ソラゴリ

第一話

「今日も空は綺麗……。こういう色をなんて言うのかな?」


 水色?

 でも、水色というには色が鈍いかなぁ……。

 青藍色?

 でも、青藍というには澄んでいるよねぇ……。

 紺青色?

 でも、紺青というには色が軽いかぁ……。

 

「あぁ、そっか……。こういうのを空色って言うのかな……?」


 本当に……。

 本当に……。


「綺麗だなぁ」

 

 私と違って……。




====================


「……行ってきます」


 私は一言溢す。

 一般的な家庭なら、明るい口調で、あるいはほんの少しの心配から“いってらっしゃい”と返事があるのだと思う。

 でも、“一般的”という言葉は私の家に当てはまらない。

 私に返ってくる言葉は、何もない。

 確かに、家の中には家族がいるはずなのに……。




 いつも通りの時間に家を出て、いつも通りの時間に電車に乗る。

 そして、いつも通りに……。


「……止めてください」


 身体が触られる。

 どうやら、私の身体は男の人から見ると魅力的に映るらしい。

 そのせいで、痴漢に遭うことが多い。

 

 本当は電車になんか乗りたくない。

 そう言っても、母、もしくは父親にあたる人が車で送り迎えしてくれることはない。

 何度も痴漢の被害に遭っているのに、そんなものに出会うのは“私のせい”だそう。

 

 見知らぬ男性から、何度も身体を触られる。

 偶然を装うように、手の甲? で太ももに触れてくる。

 そのまま、手のひらでゆっくりとお尻を撫で上げる。

 

 嫌悪感と恐怖から身が固くなる。

 大きな声を出さなきゃいけない。

 身を捻ったりして、抵抗しなきゃいけない。


 でも、私に出来るのは微かな反抗だけ……。

 自分なりに、必死に声を上げる。


「……やめてぇ」


 頑張っても、気の弱い私では、大きな声が出せなかった。

 何よりも、男の人から痴漢されている事実を周囲に知らせるのも抵抗があった。

 私みたいな醜い人間が、痴漢されるわけがない。

 そう思ったから……。


 なんとか身体を捩って、抵抗しようとする。

 でも、その手はしつこく私の身体に触れてくる。


(気持ち悪いよ……。誰か助けて……)


 そんな願いがどうやら通じたようだ。

 パッと私の身体を触っている手を、誰かが掴み取る。


「おっさん!! 朝っぱらから何してんだよッ!!」


 そう言って、声を荒げてくれたのは、髪を茶に染めた気の強そうな女の子だった。


「テメェの気色悪い性欲を、こんなところで発散してんじゃねぇッ!!」


 そう叫びながら、彼女は痴漢していた四十代ぐらいのおじさんの手を捻り上げた。


「イデェ!!」


 女の子はかなり力が強いのか、おじさんが苦悶の表情を浮かべる。

 そんなおじさんのことを知ったことかと言わんばかりに、女の子は私に優しく笑みを浮かべる。


「大丈夫か? 朝から気持ち悪かったよな。もう大丈夫だからな」


 メイクもしっかりと決めたギャルっぽい彼女の顔は、気の強そうな表情から、私を気遣うような色に変わる。


 おじさんの手を捻り上げたときの彼女にかっこよさを感じていたが、当時に少しだけ怖さもあった。

 でも、私を気遣うような表情をした女の子は、陳腐な言い方だけど、凄く可愛かった。

 何よりも、私のことを慮ってくれることに、嬉しくなった。


 私はつい、彼女の柔らかな表情に見惚れてしまった。


「お、おい。大丈夫か?」


 そうして、返事をしないまま彼女を見つめてしまっていたからか、彼女の表情がより心配したものに変わった。

 それに気づいた私は、慌てて口を開く。


「あ、すいませんっ。ぼーとしちゃって……。助けてくれて、ありがとうございますっ」


 あわあわと落ち着きのない私の様子に、彼女は何かおかしかったのか、クスッと笑みを浮かべた。


「そうかっ。大丈夫だったらいいんだ」


 見た目は完全なギャルなのに、言葉遣いは男の人のような彼女。

そんな彼女に、なぜか私の心はキュンとしてしまう。

 自分のことながら、一度助けてもらっただけなのに、ときめいてしまうなんてチョロいなぁ、と捻くれた考えが脳裏を過ぎる。


 そんなことを考えていると、彼女は申し訳なさそうな、気を遣うような顔をして言う。


「申し訳ないけど、このおっさんを駅員に突き出さなきゃいけないんだ。被害者なのに悪いんだけど、付き合ってくれるか?」

「あっ! は、はい」


 チョロい私は、彼女の付き合うという言葉に、少しだけドキッとしつつ、返事をした。


 その後、私の身体を触ってきたおじさんは、気の強い彼女に腕を捻られながら、駅員さんに突き出された。

 おじさんは諦め悪く、逃げ出そうとしていたが、まったく隙のない彼女が逃がすことはなかった。


 面倒ごとが終わった後、私は彼女に改めてお礼を言った。

 そのまま話していると何となく気が合った私たちは、友達になった。

 名前と連絡先を交換したのだから友達だよねっ、と独り言を溢したとき、彼女、光希ちゃんに聞かれてしまっていたのは恥ずかしかったけど……。

 嫌なこともあったけど、朝からミツキちゃんと知り合えたことは、今年で一番良かったことだと思う。

 

 駅でミツキちゃんと別れた後、私はルンルン気分で学校に向かって一歩を踏み出した。

 その上機嫌も学校に着く頃には、すっかり消えてしまった。


 でも、それも仕方ないことだと思う。

 私は学校で虐められているのだから……。

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