烈殺刺客屋稼業

八田文蔵

烈殺刺客屋稼業 ~れっさつしかくやかぎょう



けられている?!)


 背中に視線を感じる。

 無明蓮三郎むみょう・れんざぶろうは月明かりの下、ふと歩みを止めると——



 駄ッ!



 全速力で駆けだした。

 背後で足音がばたつく。尾行者も慌てているようだ。

 蓮三郎は速度を緩めずに築地塀ついじべいの角を曲がった。

 尾行者が追随する。

 ——が、おなじく角を曲がったところでたたらを踏んだ。

 薄闇のなか、目を凝らして周囲を見回している。

 標的を見失い、狼狽する様子がはっきりと見てとれる。


「おれはここだぜ」


 蓮三郎はケヤキの木立の陰から姿をあらわした。

 尾行者の風体を上から下までざっと見下ろす。

 擦り切れた小袖を着た浪人態だが、腰に二刀を手挟んでいる。

 主持ちのようだが、身なりが貧しい。だが身にまとう若さが、面体めんていの涼やかさが、みすぼらしさを打ち消している。

 蓮三郎は大刀の栗形くりがたに手をかけ、半身に構えて問うた。

「なにゆえ、おれをつけ狙う?」

「ま、待て! 貴殿をつけ狙うたのではない。頼みがあるゆえ、機会を伺うておったのだ!」

「頼み?」

 蓮三郎が重ねて問うと、尾行者——その若者はひとつ呼吸をおいてからたずね返した。


刺客屋しかくやどのにござるな?」


 なぜそれを?

 などと間の抜けたことは蓮三郎はいわない。

 若者と蓮三郎は同じ的を巡っていたのだ。その途次において彼は蓮三郎の存在にいち早く気づいたというわけだ。

「…なるほど。して、頼みとは?」

 この若者も同業の刺客屋なのか? いや、そうは見えない。裏稼業に通じたもの独特の陰影がこのものにはない。

「拙者、越後長岡藩の岩井冬馬いわい・とうまと申す若輩者。兄・春馬はるまかたきを追って故郷長岡からこの江戸に流れついた次第」

 つまり仇討ち行の武士ということか?

 蓮三郎は即座に理解した。親族縁者を無法の行いにおいて殺された武士は仇を討たねばならない。仇討ちは藩命となり、その赦免状を手に冬馬は江戸にでてきて、やっとその所在をつかんだのだ。

 冬馬はじっと蓮三郎を見据えていう。

「お譲りくだされ。かたきを…。

 飛葉錠之介ひば・じょうのすけをこの手で討ちはたさねば、わたしの一分いちぶんが立ちませぬ」

 その言を耳にするや蓮三郎はフッと笑みを口辺に刷いた。

「嘲笑なさるか!」

 冬馬が気色ばむ。

「要は飛葉が死ねばよいのであろう。おれが貴公ならば、面倒ごとは他人にやらせてしかるのち自身の手柄とするがな」

「刺客屋どの」

 冬馬があらたまる。

「なんだ?」

「貴殿の姓名を伺いたい」

「無明蓮三郎」

「無明どの、貴殿は北越に古来より伝わる流派・北霜ほくそう流をご存じか?」

「いや、知らぬな」

「北霜流には秘伝の奥義がござる。その名を『牙返し』。

 牙返しなる奥義がどんなものかはわたしも知らぬ。なにせ、くらったものは必ず死する必殺の技。語り継ぐものなどおらぬ」

「それで? なにがいいたい?」

「わたしが飛葉に敗れしときはおそらく、牙返しの秘剣によるもの。無明どのはその木立の影でじっくり見分ののち、おのれの職務を果たされるがよかろう」


 愚直にもほどがある。

 …と蓮三郎は思う。本来なら蓮三郎を先に仕立ててけしかけ、飛葉の隙を突くはずだ。

 なぜ、そうせぬのか?

「この手で討ちたいのだ」

 蓮三郎の思考を読んだかのように冬馬はいうと、赤松の樹の根元に腰を下ろした。

「飛葉錠之介は兄上を殺しただけではない。兄上の妻女まで手にかけた。

 あによめの雪どのはわたしの幼馴染みだ」

 そういったきり、冬馬は押し黙る。

 ここで飛葉が通りかかるのをじっと待つ気だ。


 飛葉錠之介は闇剣武やみけんぶと呼ばれる賭け仕合を生業なりわいとする剣客である。

 刺客屋の連絡係つなぎが調べたところによると、毎月寅の日に闇剣武は富商豪商の別邸で開かれるとのこと。

 今月は船問屋の西海屋さいかいやが持ち回りで主催をつとめ、夜二更、根岸の茶寮で行われるはず。

 ゆえに飛葉はこの寅の日、この戌の刻にこの下谷道——金杉通りを通ることは間違いない。


 ひゅうううううう………。


 晩秋のころである。北風がケヤキの葉を揺らし、その下にたたずむ無明の体を吹き渡る。

 ふと気配を感じて下手しもての並木の闇に眼を向ける。

 ひたひたと足音が聞こえてきた。

 月明りの下、おのれの影を踏むようにして菅笠の武士が歩いてくる。

(あやつか?)

 凄腕の剣客か否かは歩き方でわかる。体幹にぶれがなく、頭の位置が動かない。地を滑るかのように一定の律動で歩いている。


「飛葉錠之介、いざ勝負!!」


 抜刀しつつ岩井冬馬が菅笠の武士——飛葉の前に飛びだした。

 飛葉がちらりと蓮三郎に目をやる。

「フッ。助太刀を呼んだか?」

「違う!! あのものは刺客屋。おそらくは、おまえに討たれし別の縁者の筋によるもの」

「どうでもいいことだ。まとめてかかってこい」

 飛葉が菅笠をとり大刀を抜いた。

 左足を前に出し、右足をひいて地擦り下段に構えている。

 蓮三郎は飛葉の刀に注意を向ける。

 厚刃重ねの戦場刀で身幅が広く反りが浅い。

 冬馬も飛葉の刀の特徴に気づいたようだ。

 視線は飛葉に向けられているにも関わらず、冬馬の想念が波のように伝わってきた。


(死ぬ気か……?)


 冬馬が鋭い矢声を発した。

 真っ向上段で斬り下ろす。

 夜陰に光がはしった。

 上から下に墜ちる光が、下から上にのぼる光に跳ね返される。

 光が砕けた。

 剛刀の峰の部分で飛葉は冬馬の刀の物打ち部分を折った。

 切っ先が宙に舞い、月光にきらりと映えた、刹那——


 しゃっ!!


 飛葉が気合を発して宙に舞った尖刃を打ち返す。

 それはまさしく光の矢となって冬馬の左胸に刺さった。


 秘剣牙返し!!!


 それは剛刀の峰で相手の刃を折り、それを宙で打ち返す業であった。

 おのれの牙がおのれに返ってくる。

 それは至近距離で行われる瞬息の返し技であり、こちらは刀を折られているため防ぎようがない。

 まさに必殺、不可避の魔剣。

 心ノ臓を深々と貫かれて冬馬はちらりと蓮三郎をみた。

 口角に笑みを浮かべる。

 しかと見分したかと視線が語る。

 足元が崩れ、冬馬は無言の言を発して地に伏した。



 ひゅううううううう……。



 物言わぬ冬馬の体を寒風が撫でてゆく。

 ケヤキの幹に背を預けていた蓮三郎が一歩、飛葉に向かって踏み出す。

「刺客仕事人…無明蓮三郎」

「なにゆえ向かいくる? 刺客仕事の賤業ならば逃げるが上策」

 剛刀の切っ先を向けて飛葉が問うた。

「愚問」

 蓮三郎がこたえる。

「勝てると踏んだからだ」

 刀の栗形に手を添え、居合腰に沈む。鯉口はまだ切らない。

「居合か? 地獄で悔やむがよい」

 飛葉が地擦り下段に構える。

 先ほどと同じ左前足、右後足にひいて抜き身の刀を右腰につけている。

 飛葉の前足が尺取り虫のように動く。

 おそらく蓮三郎の鞘の長さから刃長を目算しての動きだろう。一足一刀の間境にはまだ遠い。

「……霜が降るな」

 飛葉がいった。この剣客の道統・北霜流の霜とは、


 寒夜にて霜を聞くべき心こそ

 敵に逢うても勝ちを取るなり


 の剣歌『寒夜聞霜かんやぶんそう』からとったものだろう。

 普通、人間の聴覚では霜の降る音など捉えきれない。

 つまりは霜が降る音が聞こえるほどの精神集中の度合いを極めれば無敵であるとの教えだ。

 飛葉がいったとおり、夜空に白いものが舞いはじめた。

 晩秋がいつの間にか初冬に移り、冷え込みを一段と厳しくしている。


 じゃり。


 飛葉が地面を踏み鳴らす。

 間境に踏み込んだとみせて摺り足で後退する。

 蓮三郎が鯉口を切った。

 瞬息の速さで抜刀する。

 刹那、飛葉の口元に嘲りの笑みが浮かぶ。

 馬鹿が、誘いだされおって!

 その顔が雄弁に語る。

 飛葉は瞬時に間境の外に出ていた。

 居合は空を斬り、斬撃は空振りに終わる。

 体勢が崩れた斬り終わりを討てばそれでいい。

 それは返り討ちともいえぬ簡単な作業だ。牙返しを遣うまでもない。


 だが——

 蓮三郎が抜き放ったのは刃ではなかった。

 それは長さ一間(180センチ)ほどの長鞭である。

 甚長な鞭が鞘のなかに折りたたまれた状態で納まっており、居合の業によって射出されたのだ。

 間境を越えて蛇のような鞭が飛葉の左前足にからみつく。

 錬三郎は鞭をひく。

 虚を突かれた飛葉が剛刀を放り出してすっ転ぶ。

 蓮三郎は地を転がると素早く飛葉の背後をとり、鞭を首に巻きつけた。

「うぐぐ……」

 諸手を虚空に泳がして飛葉がなにか言葉を発したがっている。

 今わの際の言葉か、蓮三郎はわずかに鞭を緩めた。

 飛葉はいった。

「卑怯……」


 ぐぎり。


 再び力を入れ、そのまま頚骨をへし折る。

 それが飛葉錠之介の最後の言葉となった。

 物言わぬ骸となった飛葉を打ち捨て蓮三郎は立ちあがる。


 ひゅうううう……。


 路上には二人の武士の死体が転がっている。

 役所が仇討ちの果ての相打ちと判断すれば刺客屋に手が及ぶことはないだろう。

 蓮三郎は歩きだす。

 粉雪舞い散るなかを、孤影を引きずり闇溜まりに消えていった。




    烈殺刺客屋稼業

          完。

 







 

 

 

 

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烈殺刺客屋稼業 八田文蔵 @umanami35

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