第3話 天才と苦悩

 数日後。大きめのキャンバスと共に屋敷を訪れた私は、再び仏頂面のライセ様と向き合っていた。

 相変わらず気まずい。ここにレネーさんがいたら、ちょっとはましになるかもしれないのに。


 ライセ様は呪いに関する質問を繰り返した。誰に呪われたのか、それから、日常生活に支障はないか。

 彼の真意が分からないまま、時間ばかりが過ぎていった。


 一時間ほど経ったとき、不意に扉が開かれる。

 入ってきたのは数人の召使たちで、みな一様に不満げな表情を浮かべている。

 「ライセ様、その画家は呪われているのですよ。そんな者にライセ様の素晴らしい肖像を任せるなど、私たちは賛同できません!」

 「もっと相応しい画家がいるはずです!なんと言っても魔法の天才なのですから」


 どことなく、彼らの言葉には下心が透けて見えた。大きな身振り手振りや、わざとらしい声は私にでも目につく。

 「――やめろ。僕に媚びるな」

 ライセ様はそう一言残して、彼らとは目を合わせようとしなかった。召使たちは目論見が失敗したのか、そそくさと部屋をあとにする。


 「……どう思った」

 彼は再び静まり返った空間に、その言葉を一つ投げた。

 「こう言ったら申し訳ないですけれど――彼らが尊敬しているのは、ライセ様の魔法じゃなくて立場なのではないか、と思いました。仲良く話せるような感じでもないですし」

 言い終わってから、あ、と声が漏れる。最後の一言は余計だった。これは彼の逆鱗に触れるに違いない、どうしよう……。


 恐る恐る顔を上げると、彼は少しだけ口角を上げて――楽しそうな表情を浮かべていた。

 「画家。お前は失礼だな。……あの医者もそうやって僕に文句をつけた」

 「……レネーさんですか」

 「ああ。この地位にいると、どうしても周囲のおだてが煩わしい。――でもお前たちは違うんだな」


 こんな顔をするんだ、と一瞬面食らってしまうくらいには、あたたかい微笑みだった。彼は体勢を変え、こちらに向き直る。

 「あいつがこの屋敷に初めて来たとき、悪趣味だと真顔で言われたな。本当に変な奴だ」

 「……彼らしいと言えばそうかもしれませんね」


 「画家。お前の描く肖像だが、来月の式に間に合わせることはできるか?」

 「式?」

 知らないのか、とライセ様は冷ややかな目でこちらを見る。

 「僕が今年の『国で最も優秀な魔法使い』に選ばれた。お前の絵をそこで発表させてほしい」

 「……わかりました、ありがとうございます」


 願ってもみない申し出に目を丸くする。

 ライセ様は不意に席を立ち、私の隣でキャンバスを覗き込んだ。まだ完成には程遠い、陰影がざっくりと描かれたもの。しばらくの緊張のあと、彼は静かな声でこう口にした。

 「……いい絵だな。感謝する」

 その横顔は、思ったよりずっと幼かった。

 

 屋敷を出ようとすると、先ほど目にした召使たちがこちらを見ていた。そのうち一人がつかつかと私に近づき、静かに口を開く。

 「ライセ様に気に入られたみたいですね。羨ましい限りです」

 「……いや、そんな」

 その声には羨望とは違う――なにかもっとむごいものが含まれている気がした。

 「彼みたいに自分勝手な方に気に入られるなんて、どんな手を使ったのですか?ぜひ教えていただきたいです……彼の弱みでも握ったのでは?」

 明確な悪意、それから策略。指先が少しだけ冷たくなる。

 「あの医者の話も聞きましたか?なぜ呪術専門の彼がここにいるのか――」

 

 「僕からコツを一つ教えてあげましょう。――そのような姑息な真似をしないこと、ですよ」

 静かで、でも空気を瞬く間に変える声。私が振り返ると、白衣の男性が歩いてくるのが見えた。

 「レネーさん!」

 「門までご案内しますよ、ルリネさん」


 屋敷の広大な庭を、彼と共に歩く。

 「怖い思いをさせてしまいすみません。うちはいつも陰謀が飛び交っていますから」

 「いえ。……立場が上というのも、なかなか大変なものなんですね」

 そうですね、とゆっくり口にして、レネーさんは私に視線を向ける。

 「ライセ様から、彼の話は聞きましたか?」

 「――どういうことですか」

 「その反応だとまだのようですね。……僕も医者の端くれなので、患者の秘密を口にはできないのですが」


 ――患者?

 レネーさんは軽く片目を閉じ、「失礼しました」と笑いかける。

 「ライセ様は僕の大切な方です。ルリネさんに頼もうとしていたことも、そこに関係がある――少し座りましょうか」

 レネーさんは庭の端にある椅子に目をやる。

 そこに腰掛けた私は、彼の話に耳を傾けた。

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