第56話 杜若
時は進み、神在大祭の最終日。神在大祭を締めるのは『
今、拝殿の祭壇には、神籬と御餅が備えられている。参列者の目に映るのは神職の姿、耳に聞こえるのは奏上される祝詞。先日に戦場だったとは思えないほど、落ち着いた空気に包まれている。観衆の静けさ、それは数の少なさも確実に影響していた。心願の儀と比べると、神去神事の参列者は少なくなるのが、通常ではある。だが、今回は比較にもならない。
先日の出来事は神在大祭という人の集まる期間を狙った爆破テロとして、表向きには報道された。参道付近の外観的被害について、一旦は爆弾が原因として処理したということだ。これらの情報を踏まえて、十月神社を訪れるのには相当な覚悟が要るのも当然なのだろう。
逆に言えば、現在の観衆は神在大祭を最後まで見届けるという確固たる意志を持つ者ということになる。その大半は、古くから神在大祭に参加し、神に祈りを捧げてきた出雲の民々。それもまた、十月神社の伝統を体現するものなのだ。
その後、祝詞の奏上が終了し、
今年の神在大祭の終幕、それは詠の旅立ちも意味している。楼門の前には、神職住居に荷物を取りに向かった詠を待つような椿の姿がある。また、詠を見送るためか、式守を含めた神職たちも待機していた。
「
その間、
「い、いえ、私も伝統ある行事を間近で体験できたので……」
「そう言っていただけると光栄です」
式守は少しお辞儀をしながら、感謝を述べた。その後、一瞬の静寂が椿たちを襲う。詠が不在の状況で、何を話せば良いのかわからない。椿は沈黙を避けるため、内心で焦るように話題を探していたのだ。
「あ、あの、神在大祭はどれほど前から続いているものなのですか?」
結局、椿が捻り出した話の題目は無難なものだった。
「文献として記録に残っている限りでは、約五百年前からですね」
十月神社の創建は十世紀以前と考えられているので、実際は更なる歴史を持つ行事なのだろう。もはや重圧が想像できない領域である。
「この年月を人々が繋いでいると思うと、非常に考え深いものです」
「そ、それだけ、古の文化を受け継ぐための努力が裏にあるということですよね……」
「そうですね。ただ、継ぐ努力だけでなく、継がせる努力もあると思います。そもそも、儀式や技術は昔の人々によって体現化されていなければ、継承も困難でしょう」
つまり、伝統とは継ぐ側と継がせる側の相互協力によって生じるもの。だからこそ、人同士を繋ぐ連続的な線を感じさせる。しかし、注意しなければならないのは、その連鎖における主導権を握っているのが、継ぐ側ということである。もちろん、当然のことではあるが。
「な、なるほど。その努力、これからも続いていくことを願っています……」
「ありがとうございます。まあ、私は詠さまの帰る場所が不変であるように努めるだけですけどね」
その後、二人の目には楼門に近づいてくる詠の姿が映った。
「……それじゃあ、
「はい、いってらっしゃいませ」
「絶対、取り返してくるから」
詠の言葉に式守も無言で頷いた。続いて、式守は椿の方に目を向ける。
「椿さん。改めて、詠さまをお願いします」
一瞬の間で、椿は咳払いをし、息を整える。
「はい、お任せください」
椿はありのままの自分で言葉を返した。そうするべきだと直感的に思ったからだ。普段よりも増大された声量と明瞭な口調。それを聞いた式守も安堵したのか、少し表情を崩す。
そして、椿は詠を連れるように楼門を抜けて、外に出る。手を振る神社の皆の姿は徐々に小さくなっていく。気づいたときには、砂利を踏みしめるような二つの足音しか残っていなかった。
「……椿さん、少しだけ寄り道しても良いですか?」
「も、もちろん。私は鳥居の下で待っていたら良い?」
「いえ、椿さんにも来てほしいです」
どこに向かうのか、なぜ自分にも来てほしいのか、椿には見当もつかなかった。しかし、椿は特に何も聞かずに詠の後ろを付いていくことにした。
参道を外れ、神社に隣接する森の中へと足を踏み入れる詠と椿。二人の稽古場でもあった平野を通り抜け、更に奥へ進むと、小丘がある場所に出ることができた。
その丘の頂上付近に佇む明らかに手入れされた石。刻まれた文字を視認するまでもなく、それが如何なるものか、椿は即座に理解した。
「言ってくれたら、花買ってきたのに……」
「その気持ちだけで、母も喜んでいると思いますよ」
その後、詠は少し屈んで、荷物の中から二本の線香とライターを取り出した。
「一緒に上げてくれますか?」
椿は詠から差し出された片方の線香を静かに受け取り、ゆっくりと腰を屈める。そして、手慣れたように詠が二本の線香に着火する。
その炎の光は一瞬。風に揺られるままに消えてしまう。しかし、その煙は現世から黄泉への道を繋ぐように天に昇っていく。
二人は墓石に線香を供えた後、瞼を閉じて手を合わせる。暫しの暗闇の中で、漂う線香の煙を感じる。互いに何を考えていたのかはわからない。だが、心のどこかが共鳴しているような気がした。
目を開き、腰を上げた後、二人は確かに残り続ける線香の煙を尻目に、来た道を戻る。その途中で、詠は一瞬足を止め、墓石の方を振り返った。
「……もうお願いはしないよ。見ていてくれたこと、わかった気がするから」
詠の小さな独り言を最後に、墓石との距離は離れていく。
天から降り注ぐ日差し。それに応えるように、和傘を開く詠。隣を歩く目線からは何の変哲もない。ただ、天から見下ろすときには、和傘の小間に描かれた模様として目に映るだろう。それは美しい『
狂禍四魂 発戸あいす @hot_ice012
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