第36話 混乱

 時刻は午前十時。本殿の周囲には数百を超える人の群れ。それだけの数がいるのにも関わらず、一面が静寂に包まれている。それは、集結した神々を前にしている緊張感から生まれるものなのだろうか。


「皆さん、本日はご足労いただきありがとうございます。十月とおつき神社宮司の月華詠つきはなよみと申します」


 詠が沈黙を破った。一方、詠の姿を見た群衆は少しざわめき始める。


「ねえ、宮司って神社のトップだよね?」

「あんな子どもが?」

「歴史ある神社って聞いていたけど……」


 悪気はないだろう。しかし、陰口のような言葉が確かに詠の耳には届いている。詠は一度目を瞑り、深呼吸をした後、ゆっくりと瞼を開ける。そして、背中の和傘を手に取った後、腕に力を入れる。


 直後、隣に置いてあった銅鑼に、閉じた和傘で強烈な一撃を叩きこむ。それによって、周囲の雑音を消し去るように、轟音が鳴り響いた。一気に群衆の口が閉ざされ、場が静まり返る。


「それでは、心願の儀について、私から簡単にご説明させていただきます。お手元の儀式次第をご覧いただきながら、お聞きください」


 詠が再び口を開いた。その堂々たる態度に圧倒されたのか、今度は音を発する人は存在しない。それから、心願の儀がゆっくりと幕を開ける。


 心願の儀では、大まかに四つの段階がある。第一に献饌。次に参列者と共に謝恩詞の奏上。続いて、宮司による祝詞の奏上。最後は、参列者による玉串拝礼をもって終了する。


 その後、心願の儀は滞りなく進行し、現在は二段階目の終了時点。つまり、次は詠の出番である。群衆の目に囲まれる中で、詠は本殿へと入っていく。また、本殿の傍には、それを見守る椿つばきの姿もあった。







 同時刻、せんは神社の入口付近の木の上で見張りを続けていた。ちなみに、以前に参道を通過した一般客の中には、特に怪しい人物を発見できていない。また、参拝客の大半が心願の儀を目的としているせいか、参道辺りの人影は目に見えて少なくなっていた。


「うーむ。見落としはないとは思うが……」


 千里は独り言を呟いた。既に抜けられた可能性を考えているのだろう。通常であれば、続々と神社に参入する人々の中から不審な人物を見つけることは難しい。しかし、千里が集中状態の場合、類まれなる観察眼によって、監視をすり抜けるのも簡単なことではない。


 例えば、暗殺者が一般人に紛れようとしても、今から人の命を奪おうとする覚悟や緊張などの感情が無意識的に肉体の動きとして表れてしまう。この僅かな違和感を千里の目は捉えることができるのだ。また、これは外見変化などでは隠せないものであるだろう。


 そして、異分子かどうかの判定を千里は高速で実行できる。単純に目を動かす速度の高さの影響もあるだろう。ちなみに、それは対象から目を離さない追従能力として、れい禁門きんもんに役立っているものでもある。


「……場所を移してみるか」


 敵の侵入経路について、群衆として神社の正面から堂々と入ることがまず考えられる。そもそも、神社の周囲を何重もの垣が囲っている以上、基本的には正面から入るしかない。しかし、垣は本来、聖域として区切る意味合いが強く、防護柵という役割は薄い。つまり、垣を強引に乗り越えて、直接本殿に向かうことなどは困難ではないだろう。


 要するに、参拝客に紛れないのであれば、正面から本殿に行く経路は遠回りでしかない。そして、現在、参道には紛れることのできる客がいない。よって、千里はこれ以上、入口付近を見張る必要はないと考えたのだろう。


 その後、千里が木から降りて、本殿の方に戻ろうと走り出したとき、背後の遠方から、やけに多い足音が聞こえた。何事かと、振り返る千里。次の瞬間、視界に映ったのは、絶望の光景だった。


「は?」


 千里は思わず、困惑の声を漏らした。鳥居から神社に侵入してきたのは、数百を超える人々の大群。問題なのは、その全員が明らかに正気を失っているように見えたことである。つまり、それは操作術によって人形と化した人々、言い換えるならば、見境なく人を襲う可能性が高い集団である。


「この数が本殿の方に向かったら……」


 人形の大群は徐々に参道を行進している。ここで止めるしかないと即決した千里は、他の皆に緊急連絡を送った。その内容は、操作人形と思わしき大群が出現したこと、本殿よりも前で食い止めるために増援が欲しいことである。







 その後、連絡を受け取ったななおんは駆け足で千里がいる場所へ向かっていた。道中、紫苑が走りながらも、器用に瞑想を始める。透影とうえいかいで敵の人数や進軍状況を把握しようとしたのだろう。


「え……」


 その瞑想の最中、紫苑は混乱しているように見えた。


「どうした、紫苑? そこまで数が多かったか?」

「いえ、その逆と言うか……」

「少ないのか?」


 この七瀬の質問にも、紫苑は否定するように首を横に振った。


「私の術に全く映っていないです……」

「……なるほど」


 通常の場合、操作人形であっても、透影世界で探知自体はできる。そして、透影世界で探知できないものと言えば、何を隠そう死体である。







「死体を操作する術ということか……」


 紫苑から来た連絡を見て、千里は溜息を零した。数百を超える死体をわざわざ拾い集めるとは考えにくいので、千里の視界に映っている人形たちはどこかで殺害された人々の集まりということになる。それは、既に大きな悲劇が起きているということを意味するだろう。とはいえ、操作されているのが死体であれば、手加減をする必要がないという見方もできる。


 それから、人形の進軍が参道の半ばまで差し掛かった頃、千里がいる場所に七瀬と紫苑が合流した。更には、はいほむらも合流してきた。本殿付近は椿に任せるという判断なのだろう。


「……死体を弄ぶとは、悪趣味ですね」

「ああ。そして、悪趣味な奴は余に任せろ。その間に、人形を足止めしておいてほしい」


 人形を全滅させるよりも、それを操作している本体を潰した方が早いという判断である。直後、千里はその場を離れ、本体を探しに向かっていった。


 その後、進軍する屍の大群の前に灰音たちが立ち塞がる。襲い来る屍に対し、怯まずに立ち向かう灰音たち。基本的には、灰音の紅鏡で一掃、取り零しを他三人が確実に仕留めるという作戦である。幸いにも、多大な衝撃や損傷を与えることで、操作状態は解除されるようだった。無敵の軍勢ではないということである。しかし、数が多いせいか、灰音たちは応戦しながらも、戦線は後退しつつあった。

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