狂禍四魂

発戸あいす

第1章

第1話 新人

 人間の精神はさきみたまあらみたまにぎみたまくしみたまという魂のバランスから成り立つ。


 幸魂は自愛に対応し、自分を愛し育てる力を持つ。


 荒魂は外向に対応し、他者と積極的に関わる力を持つ。


 和魂は調和に対応し、他者と親しみ交わる力を持つ。


 奇魂は知性に対応し、物事に関心を持ち、探求する力を持つ。


 以上を纏めて『こん』と呼ぶ。






はい、それじゃ行ってくる」


 この言葉を最後に、純白の髪を持つ女性は目の前から姿を消した。あのとき、普通に見送ってしまったことが、間違いだったとは思わない。自分がわざわざ心配するほど、実力の低い人物ではなかったからだ。


 ただ、違う世界線を想像してしまう自分がいるのも事実だ。もしも、自分が止めていれば──。もしも、自分が一緒に行っていれば──。







 静かな一室で、灰音は目を覚ました。懐かしいけど、あまり思い出したくない、そんな夢を見ていたような気がする。


「もう、朝か。最近、職場での寝泊まりが通常運転になっているような……」


 彼女の名はざくら灰音、現在二十五歳。『なお』と呼ばれる組織で働く捜査員の一人である。現代はどこもかしこも人手不足というが、ここはその比ではないだろう。


「そういえば、今日は直霊に新人が来る日だったっけ。一応、情報を見ておこうかな」


 灰音はパソコンの電源を入れて、共有事項を遡る。その後、目当てのファイルは即座に発見することができた。


「ふーん、二十歳ね。ん、ちょっと待って。新人研修の担当、私の名前が書いてあるけど……」


 急いで時計に目をやる。予定されている時間は少しばかりか過ぎている。次の瞬間には、身支度を済ませ、部屋を飛び出した。普段着に白のカーディガンを羽織っただけの適当な格好だが、仕方ないだろう。


 新人が待っている部屋まで慌てて駆けていき、部屋の前で呼吸を整える。そして、何事もなかったかのように、堂々と扉を開けた。


「お待たせしました。今回の新人研修を担当する緋桜灰音です。どうぞ、よろしく」


 部屋には、赤いジャケットを着た女性が座っていた。その女性は灰音の姿を見て、立ち上がる。


「初めまして、おきほむらと申します。よろしくお願いします!」


 第一印象は、良い意味で新人らしい子だと思った。無垢な目をしているというか、何というか。


「えっと、悪いね。予定時間少し過ぎちゃって」

「いえ、直霊の方々は皆様多忙だと聞いています。私のために時間を割いていただけるだけで、非常にありがたいです」

「はは、とんでもないよ」


 純粋な視線も時には残酷に感じられた。まさか直前まで知らなかったとは、口が裂けても言えない。


「よし、それじゃあ早速、新人研修を始めようかな。直霊に所属するということで、ある程度は知っていると思うけど、まずは基本的な説明からしていくね」

「はい、よろしくお願いします!」







 人間の精神は流動的なものである。一時の感情の昂ぶりによって、精神構造は大きく形を変え、四魂のバランスは崩れてしまうが、時間を経ることで、やがて元通りになっていく。


 ところが、遺伝的に突出した四魂が強力な感情によって更に乱れた場合に、稀にバランスが元に戻らない場合が発生する。例えば、元々幸魂の傾向が強い人物に、更に感情を揺さぶるような出来事が重なることで、幸魂が異常に増大した状態から元に戻らない場合があるのだ。


 その後、変異的に増大した不安定な四魂は、自分だけでなく周囲の精神と干渉してしまう。そして、この異常な四魂によって生み出された、人間の精神に干渉する力を総称して、『れいこんじゅつ』と呼ぶのである。


 霊魂術について、幾つかのことが知られている。まずは女性にしか発現しないということ。これは妊娠時に精神を創造する女性の精神空間が男性より広く、不可逆的な四魂の増大も引き起こしやすいからと考えられている。


 更に、妊娠時には強大な四魂が生命力を求めて、胎児へと移動する。つまり、霊魂術は親から子へと受け継がれるわけだが、これも精神空間の狭い男児には継承不可能であるようだ。


 以上のことから、現代で霊魂術を持つ人物、霊魂術者は非常に限られている。性別が限定されているだけでなく、遺伝的要素、時には偶発的要素などが関わるからである。


 しかし、絶対数の少なさは、霊魂術者が持つ影響力の少なさを意味しているわけではない。霊魂術者一人一人が、大勢を救う力、あるいは、大勢を脅かす力を持っていると言えるだろう。







「霊魂術は四魂を起源とすることから、対応する四魂に応じて、四つの系統に分類される。一つ目は、幸魂を起源とする霊魂術、『さきみ』って呼ばれているね。これは、自分の精神に干渉する力を意味している。基本的には、精神を強化する術って感じかな。例えば、自分の恐怖心を消すとか」


 灰音の説明を、焔は黙って聞いている。


「二つ目は、荒魂を起源とする霊魂術、通称は『あらみ』。これは、相手の精神に干渉する力を意味している。イメージしやすいのは洗脳かな」


 荒の霊魂術は焔にとっても簡単に理解できるだろう。所謂、精神干渉能力の代表として挙げられるものだからだ。


「三つ目は、和魂を起源する霊魂術、通称は『にぎみ』。これは、自分と相手の精神を干渉させる力を意味している」

「自分と相手の精神を干渉させる……?」


 焔は上手くイメージできていないのか、首を傾げた。


「具体的には、精神感応テレパシーがわかりやすいかな。後は、人間を操る術も和に分類されるね」

「あの、人を操るというのは、荒の洗脳とは違うのですか?」


 良い質問である。そもそも荒と和の霊魂術はどちらも相手の精神に関わる力なので、混同してしまうのはよくある話だ。


「和の操作術は人間の行動を操るっていう意味だから、少し違うかな」

「なるほど」


 荒と和の霊魂術の違いは、意外と奥が深い。しかし、最初はこれぐらいの説明で十分だろう。


「最後は、奇魂を起源とする霊魂術、通称は『くしみ』。これは、死者の精神に干渉する力を意味している。一応、例外的なものは──」


 そう言いかけたとき、突如として灰音の携帯が鳴った。灰音は一時的に話を止め、携帯への連絡を確認した後、再び焔に視線を戻す。


「……よし、座学は終わりにしよう。事件の現場に向かおうか」

「え、いきなりですか?」


 焔は驚いた表情を隠し切れていない。


「もちろん。直霊は人手不足だからね。新人の手も借りたいってことさ」


 不敵に笑う灰音とは対照的に、焔は不安気な表情を浮かべている。しかし、焔の心の準備が整う前に、二人を乗せた緋色の車が直霊本部を出発していた。

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