こんな世界があるとしたら

葱巻とろね

第1話:貯まる時間、夢を見る

 今日も一息で朝が来てしまった。


 枕元で瞬くだけで夜街よまちには日が差す。寝息が混じった空気は既に起きているのだ。


 睡眠とは、こう、夢を見る感覚があるはずで……最近はない。


 無意識の糸に引かれる身体。左を向き、だらんと垂れる足。重力に従い、眠気がベールのように流れ落ちる。


(……勉強しないと)


 睡眠でさえ溶かしきれない思考。それに悩むのは意味がない。手で顔を覆い、日課に身を任せようと瞼を開く。すると、視界の端にぼやけた影。私は目を擦ったが情景は変わらない。


 見慣れた部屋に見慣れない物体。指に挟まれた眼はしっかりと捉えている。不審者がいるとしか言えない状況。しかし焦り、不安はない。どうしてだろうか。


「その秘密、教えてあげる」


 ――チュンチュン。口を塞いでいる私の代わりに、雀が答えた。


(誰だろう。目元がお母さんにそっくり。でも、違う気がする)


 もう一度、目を手で覆う。そうではない。私が考えるべきなのは不審者ではなく、受験のことだ。今や、こんな奴に構う時間が惜しい。


「寝た気がしない秘密、教えてあげる」


 ぴんと身体に光が走った。手をすっと目から離す。人影はこちらに近づいてきていた。影はソイツの外縁がいえんだけをざわめかせている。


 私は顔をまじまじと見つめる。頭に引っ掛かっている秘密を紐解きたい。心はそれに従った。


 目の前の人は手を胸に当て、にっこりと笑みを浮かべている。その笑顔は友人に似ている気がした。しかし、どこか違和感がある。


「それは……僕がから」


 私の沈黙を置いて、話は続く。見知らぬ人は枕元に置いていた目覚まし時計を手に取った。後ろを弄り、針を動かしている。


「目をつむっている時間は無駄……でしょ? だから、僕がその時間を奪って貯めていたんだ」


 誰かが階段を上る音が耳に入った。音が大きくなるにつれ心臓の鼓動が強まる。トントントン。ドクンドクン。そして軽快なノック音。私の返事を待たずしてドアが開かれた。


「いつまで寝てるの? 朝ごはんできてるよ」


 お母さんだ。一言だけ置いてからドアを閉めて帰っていった――何事もなく。


 階段を下りる音。連動して心拍数も落ち着いていく。見知らぬ人はまだ時計を触っていた。瞳は盤面ばんめんの、奥を見ている。


「今、君の時間は――


 黒点こくてんがうごめくような手を口に当て、にやついた。舌の上で数字を転がす。語尾が上がり、笑い声をかすかに引きずっていた。


「貯めた時間は君だけのモノ。つまり、君以外の時が止まった状態ってこと」


 元の場所に置かれた時計はを失っていた。針はでたらめな場所を指している。


 76日――約2か月半。1日5時間寝ているだけで、膨大な時間が手に入る。実感がわかない。しかし、私はその2か月で周りと差をつけられる、と密かに考えを生み出していた。


「いやぁ有意義だね……何に使うの?」


 見知らぬ人は私を指で突きながら言った。私の瞳孔を刺すような視線。不可視ふかしの糸が脳を犯しているみたいだ。思わず目を逸らす。何かを見透かす目つき、それは先輩を思い出させた。


 ソイツの顔には、未だ鋭い笑みが張り付いている。落ち着いた声との齟齬そごが冷えた空気に重なる。


 時間の使い方。私はとっくに決めていた。



 ――――寝るから邪魔しないで



 めくれた布団をぐっと掴む。頭まで覆いつくすと、暖かい空気が身体に馴染んだ。心置きなく寝られるなんて最高じゃないか、不思議にもその考えしかなかった。


 外の賑やかな人の営みに引っかかりが生まれる。音と空気の歪みに、産毛うぶげがふっと逆立つ。それを気にせず、私は欲求に導かれるまま目をつむった。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 目覚まし時計が怒鳴る。無意識に手が伸びるが、ない。頭を起こし、置き場所がズレた時計を叩いた。


 今日は久々に夢を見た。言葉にしがたい、非現実的な内容。だがなんとなく、眠れた気がする。


「眠っている時間を使える……か」


 せっかくなら勉強すればよかったのに。と夢にツッコんでも仕方ない。


 私は指を目頭に当てながら、部屋を出る。ちらりと見えた時計は一定のリズムで動いていた。

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こんな世界があるとしたら 葱巻とろね @ngtr_0314

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