叶わぬ奇跡にも願いを

大地ノコ

叶わぬ奇跡にも願いを

「馬鹿だなぁ、サンタクロースなんて、親のいねぇお前の所にゃ来ねぇに決まってんのに」

 おじさんは――ホームレスのおじさんは、僕に向かってそう言った。いつも通り、酒の匂いをまとった呼気を僕の鼻先にまき散らしながら、そう言った。


「そんなわけないよ! だって、公園でもみんな言ってたよ、サンタさんからゲームもらうんだって、お洋服もらうんだって」

「じゃあ、サンタさんが本当にいるって、おじさんに教えてくれよ。な、無理だろ?」

 おじさんは、ごみ箱からお目当ての品を見つけられたようで、突っ込んだ手をもぞもぞさせながらそう言葉を投げた。言葉は、僕の心に深く突き刺さって、簡単には抜けそうにない。刺さった痛みで熱くなった心は、逆に僕の感情に火をつけた。

「でも、願うのは、信じるのは、自由じゃないの?」

「そうだな……確かお前、6歳だったよな」

「あと1週間でね」

「なら、別に信じてもいいし、願ってもいい。それが子供の仕事だしな。でも、信じ続けてると、いつか俺みたいになるから気をつけろよ」

 おじさんは、やっとごみ箱から解放されると、その手に握られた、痰だらけのライターに火をつけた。ブクブクと何秒か音が鳴って、そのまま嫌なにおいだけが辺りを埋める。

「ちぇっ、せっかくたばこ拾っても、火がなきゃ意味ねぇっての」

 おじさんは、苛立ちとともにたばこの先をガジガジと噛み始めた。おじさんは週に一度、たばこをガジガジしている。どうやら『にこちんぎれ』らしい。


「僕、もうおじさんみたいだよ。だから、ずっと信じてても、大丈夫」

「なーにを言ってんだい、お前、ガキもガキじゃねえか」

「だって、僕、家族もいないし、家もない。おじさんと、一緒だよ」

 自分に刺されたその言葉を、自らの手でぐりぐりと奥の方へとねじ込む。自傷行為によってどくどくとあふれ出る血液の熱さが、かじかむ手のひらを温める。

 おじさんにとっても、僕にとっても、この公園こそが家であり、帰る場所であり、唯一の家族だった。

「僕、自販機行ってくる。お金、探さなきゃだから」

 おじさんは、あっけにとられたように口を開けたまま、いつもと同じように、手を軽く掲げた。

 ここが、僕の家なのだから。おじさんは、家を守ってくれているのだから。


 公園を出てすぐのところで、よくおじさんに怒られている男の子と目が合った。結構凶暴で、結構怖い男の子。おじさんのことを馬鹿にして、それで、怒られている。

 でも、それで怒るおじさんもどうかと思う。ホームレスが汚いのは本当だし、僕たちが生きていることで誰かが幸せになるだなんて思えない。ならせめて、馬鹿にされるくらい許してあげてもいいだろうに。

「ねぇ、公園、入らないの?」

 怖いけれど、とりあえず、話しかけてみた。なんとなく、話す必要があると直感したから、話しかけてみた。

「うわ、臭いやつ来たんだけど。どっかいけよ」

「あ、ごめん。でも、何か話したいことがあったら、いつでも僕に言ってよ」

 それだけ言って、僕は近くの自販機へと向かう……。ずんずんと、足音にもならないようなか弱い足取りで、先へ、先へ……。

「ねぇ、どうしてついてくるの? 僕、臭いんでしょ?」

 僕は後ろを振り向いて、男の子に尋ねた。ピタっと、僕以外の誰かの足音が止まるのと同時に、男の子は、下を向いた。指の先を組んだり曲げたりして、いじっている。

「僕、今から自販機行ってくるから」

「……せっかくだし、ついて行ってやるよ。オレ、今暇だし」

 僕は、男の子が何を言っているのかよくわからなかった。5歳になってからでは初めての、普通の人との普通の会話をした気がして、恥ずかしくなって、何も考えられぬまま、ここはひとつ頷くことにした。


 どんな田舎に住んでいようが、自販機くらい、公園からはせいぜい徒歩2分圏内にある。2分くらいなら、無言の時間にも耐えられる。僕たちはただ、無言のまま、とにかく自販機のもとへと歩いていた。

「なぁ、バッチィ」

 しかしどうやら、男の子は1分も耐えられなかったようだ。明らかに僕に向けて、明らかな悪口を吐いた。

「ご、ごめん」

「ちげぇよ、お前、名前教えてくれねぇだろ? だから、俺はお前を『バッチィ』って呼ぶ。汚くてばっちぃから、『バッチィ』」

 男の子は、少しうつむいて、恥ずかしそうにこう言った。

 そういえば、僕の名前がなんだったか、あまり思い出せない。最近はずっと「お前」とか「ホームレス」とか「かわいそうな子」とか呼ばれていたから、忘れてしまった。でも、自分を象徴する名前が付くというのは、素直に嬉しい。


「ありがと、コワイ君」

「は? なんだよ、コワイって」

「みんなは、友達の特徴から名前を付けるんでしょ? コワイ君は怖いから、コワイ君」

 なっ、と目を大きく見開いたコワイ君を横目に、赤い自販機のおつり口へ手を突っ込む。どうやら外れのようだ。

「お、オレの名前はアカミネだ!」

 後ろでコワイ君がぴょんぴょんと飛び跳ねている。地団太を踏むとおじさんが教えてくれたような気もする。

 自販機の下にもお金は落ちていない。現金を使わない人が増えたことで、お金があまり落ちなくなったらしい。おじさんは、困った時代になったもんだとぼやいていた。ついでに『たばこはいつでも落ちてるからありがてぇや』とも。

「なぁバッチィ、自販機で何やってんの? 金ないのに、意味ないだろ」

「お金がないから、自販機に来てるんだよ。知ってる? 自販機って、お金が落ちてることがあるの」

「うわ、それダメじゃないの? 警察に言ってやろー、おまわりさーん」

 少し、コワイ君の声が大きくなった。僕に着いてきた時よりも、元気な声になった気がする。けれど、だからこそ僕とかかわる理由が見えない。メリットがないどころか、デメリットだらけだ。

「ねぇ、コワイ君、やっぱり僕と一緒にはいないほうがいいよ」

「だから、オレはアカミネだ! ……で、なんでだよ。別に、良いだろ。オレはなんか今、バッチィと遊びたいんだよ」

 コワイ君は、すぐさま後ろを向いた。耳の先まで赤く染まっていて、多分きっと、信じられないくらい照れている。

 でもやっぱり、ここでコワイ君に甘えてたらいけない気がする。

「ねぇ、やっぱり駄目だよ。コワイ君が僕といたら、友達に見られたときに」

「だまれ!!!」

 今まで、聞いたこともないような大きな音が、雷のように耳を貫いた。

 ごみ収集車の音より、大きかった。すごく、すごく大きくて、怖かった。

「……ごめん、でも、オレはこれでいいの」

「そっ、か。わかった。別の自販機も寄るけど、ついてくる?」

「……うん、行く」

 少し気まずい沈黙とともに、僕たちは別の自販機へと向かう。2分間の沈黙に、今度は耐えられそうになかった。


「なぁ、バッチィ」

 僕が自販機の下を覗いているとき、コワイ君はちょうど、僕に話しかけてきた。

「バッチィって、とうちゃんいるの?」

「……いないよ。お父さんは、僕が産まれる前に、どこか遠くに行っちゃったんだって。お母さんが昔、そう言ってた気がする」

 自販機にお金は落ちていなかったが、10円ガムが落ちていたため、ありがたくいただくことにした。

 久しぶりの甘味に感動して、「んー!」と、大きな声を挙げる。そのまま、コワイ君に手を差し出した。

「ねぇコワイ君! お菓子探しに行かない?」

「え、でもオレ金持ってな……」

「大丈夫、僕も持ってないよ。ほら、行こっ!」

 ちょちょ、ちょっと、なんて言いながら僕に着いてくるコワイ君が、なんだか少し面白く感じた。いつもは、色んな人に『○○しなさい』と言われてばかりの僕が、初めて誰かに『○○しよう』って、言えた気がする。

 数日間、固形物を口に入れていないはずなのに、足取りは以前にもまして軽快なものになっていた。


「バッチィ、サンタさんって、知ってる?」

 僕とおじさんの住んでる公園Aとはまた別の公園Bには、ホトケノザがよく生えている。その蜜を求めて地面を這っていた僕に、またコワイ君の方から話しかけてきた。コワイ君は、言葉をひとつひとつ選んでいるような、そんな様子だ。

 けれどそれは、僕を気遣っているのではない。むしろ、自分が、コワイ君自身がいちばん傷つかない言葉を選んでいる。

「知ってるけど、どうして?」

「……お前、何お願いした?」

 思いがけない質問に、少しだけ呆気にとられた。

 ここで僕はなんと言うのが正解なのだろうか。おじさんに言われたことをそのまま答えるのは、コワイ君の夢を潰してしまいそうな気がする。それだけは、僕だってわかっている。

「……ライター、かな」

「え、なんで? あんま使わないだろ?」

 コワイ君の目に関心の火がともる。しどろもどろになりながら、僕は答えた。

「僕は使わないけど、おじさんがたばこ吸えるようになるから」

「おじさんって……俺の事怒ってくるあいつ?」

「お、おじさんはいい人だから! 僕の、家族だから……」

 なんとなくおじさんに倣って、ホトケノザの先をガジガジと噛んでみる。甘い蜜はほのかに香るが、噛まれたことで植物の青臭さが前面に押し出され、えもいわれぬ不快感が味覚を刺激する。

 でもはっきりと分かった。やっぱり、噛むよりも吸ったほうがおいしい。

「バッチィ、何食べてんの?」

「おいしいよ、コワイ君も食べようよ」

 歯形のついた花弁を地面に投げ捨て、僕たちは二枚目を手に取った。


「オレ、父ちゃんとケンカしたんだよ」

 口の中を甘い味で埋め尽くしている僕と対比するように、コワイ君は苦い顔のまま、そう言った。

「そうなんだ。僕、おじさんとしか喧嘩したことないから、よく分かんないや」

「……ケンカして、そのまんまオレ、家出しちゃって」

 家出、1回だけ聞いたことがある。おじさんから言われた。

『お前が思春期になっても、頼むから家出なんてしないでくれよ? あ、俺ら家ないんだったな』

 家があるのに、わざわざ捨てて野宿に勤しむこと。

「家出なんて、する意味ないんじゃ……」

「そんなの、オレだってわかってるよ。でも、一回家出したら、もう戻っちゃダメな気がして」

 気づけば、あたり一面のホトケノザは消え失せていた。残ったのは、緑色の背の高い草だけ。僕たちは甘い匂いと苦い雰囲気に気圧されていた。


 公園からの帰り道、またも沈黙が僕たちを襲った。公園から公園へ、短いようで、案外長い道のり。徒歩7分ほどの道のりは、沈黙とは不釣り合いに長すぎた。

「ねぇ、どうしてコワイ君は喧嘩しちゃったの? 言わなくてもいいけど、言ったほうがすっきりするよ」

「いやだ、バッチィには、言いたくない。あのおっさんにも、嫌なのに……」

 僕より少し先を歩くコワイ君の声は、震えていた。僕にはわかる。僕が、よく発する声だ。僕が、言いたいことを、言えずにいるときの声。

 数年前、ここに放られたその日、僕は謎のおじさんに異様に絡まれた。そのとき、僕は何度もおじさんに助けを求めようとして、言えなくて。その声に、そっくりだった。きっと、『言いたくない』って言葉は嘘じゃなくても、本音を隠している言葉には違いない。

「……僕、絶対怒らないよ。馬鹿にもしない。ホームレスっていうのは、いろんな人から愚痴を聞くために生きてるんだよ、多分」

 道の上をゆっくりと歩く僕たちを、夕日が照らしている。もうすぐ、夜だ。この時期の夜は寒いから嫌いだ。そろそろ、こーと、というものが欲しい。

 かじかむ手をポケットに突っ込んで、足元に気を付けながら不器用に歩くコワイ君の背中は、僕と同い年にはとても見えないほど、どっしりとしていた。

「バッチィ、オレと、友達になってくれる?」

「え、いいの?」

 どっしりとした背中から飛び出した小さな声に込められた願いは、僕の心を眩しく照らしてくれた。僕が、誰かの友達に。誰かの、ために。

 夢のまた夢だと思っていた。

「友達になってくれたら、話してやる」

「……ありがと。ほんとに、あり、がとう」

 数年ぶりの涙の気配を察知して、僕は軽く視線を落とす。それでも、歩みは止まらなかった。公園まで、あと3分、きっと沈黙は訪れない。なぜかそう確信した。


「バッチィ、もしも、サンタさんがいないって言ったら、お前どう思う?」

 コワイ君の話はそんな言葉から始まった。沈んだ声音で、始まった。不思議なことに僕は、そんな唐突すぎる言葉の裏に込められた意味を、なんだか知っている気がしたのだ。

「コワイ君は、どうしてそんなこと、聞くの?」

 けれど、これはコワイ君が、自分の口で話すべきだと、そう直感した。

「コワイ君は、サンタさんについて、何か、気づいたことがあるの?」

 背を僕に向けながら、コワイ君は涙を浮かべていた。背中から、涙を浮かべていたのだ。肩を小刻みに震わせたまま、言葉がひとつひとつ、紡がれる。

「……サンタさんが、父ちゃん、だったんだ」

「やっぱり、そうだったんだ……」

「バッチィは、オレのこと疑わないの?」

「僕も、そうなんじゃないかなって、思ってたから」

 思っていた、というのは嘘。おじさんの言葉から、そのまま確信していた。おじさんはきっと、僕がとっくにその事実に気づいているものだと思っていたのだろう。けれど、僕はまだ、おじさんの思っている以上に子どもだった。

「それだけで、家出したの?」

「それだけって……バッチィは、クリスマスとかないから、わからないよな」

 コワイ君の足が、止まった。夕日に照らされ、黒く輝く影の動きとともに、時間も止まった、ような気がした。

「……ごめん、バッチィ。言いたくて、言ったんじゃない、から」

「別にいいよ。実際、その通りだから。サンタさんなんて、来たこともないし、最近、『サンタさん』って、名前を知ったんだから」


 コワイ君は、公園を出て初めて、僕に向き直った。目には、後悔のような、喜びのような、もしくは安堵のような、そんな涙がたまっている。

「ごめん、オレ、こんな性格だから、友達、いなくて。いつも、怖いとか、ウザいとか、近寄んなって……」

 その瞬間、過去の記憶が脳裏をかすめた。


『おじさんきったねぇ、臭いし、ウザっ、近寄んなよ!』

『あ? んだとクソガキ! おい、友達もつれてこい! 全員ぶん殴ってやる!』

『へへっ、追いつけるならこっち来てみな! ほーらほーら!』

『ふざけんじゃねぇ! まてやごらぁ!』


「お前らだけは、オレと向き合ってくれたから……ごめん、なさい」

 コワイ君の声が僕の耳の中で反響する。うるさいカラスの声が、どこか遠くのものに感じた。僕たちは今、僕たちだけの世界にいるのだ。

「ねぇ、コワイ君。やっぱり、家出なんかやめて、帰ったほうがいいよ」

 だから、今日の僕は幸せだった。たった数時間だけど、僕には友達ができたんだ。僕たちだけの世界が生まれたんだ。

 もう、十分受け取った。クリスマスプレゼントは、もらえた。

 楽しいことが終わったら、現実に、戻らなくてはならない。

「コワイ君は家に帰って、お父さんと仲直りして、クリスマスを楽しまないといけない」

「でも、サンタさんいないんだよ!」

「それって、そんなに大事なこと!?」

 初めはコワイ君を冷静に説得するつもりだったのに、結局こうなってしまった。やっぱり、羨ましいものは、羨ましかったんだ。

「コワイ君には、コワイ君を大切にしてくれるお父さんが居て、サンタさんになってくれてた。それでいいじゃん! そんな、コワイ君を大切にしてくれるサンタさんを、信じればいいじゃん!」

 もう公園は、目と鼻の先だ。けれど僕は、その公園に足を踏み入れる勇気が出ない。コワイ君には、きっと嫌われた。楽しい時間を壊して、日常に戻るのは、こんなに苦しいのか。なら、いっそ。

「プレゼントなんて、要らなかったよ」


 おじさんはいつも通り、『暇だから』、午後九時には寝ていた。その時間まで僕は、日常に戻りたくなくて、辺りをウロウロしていた。

「公園って、こんなに静かだったっけ?」

 風の音と、車の音と、時々聞こえる鳥の鳴き声にまみれても、まだ、公園は静かだ。今日の、2人だけの楽しい時間と比べたら、あの沈黙にもまして、静かだ。

「……おやすみ、おじさん、コワイ君」

 静かな公園の中では、自分の声までもがハッキリと、骨を揺らす。

 だから、何となく感じたんだ。眠りにつくその直前、ベルのような、鈴のような音が聞こえた、気がする。


 ♢


「父ちゃん、昨日は、ごめんなさい」

 寝室を出てすぐ、そんな言葉が口をついて出た。

 結局、バッチィを追いかける選択が出来なかったオレは、そのまま家に帰って、父ちゃんと仲直りをした。

 でも、一瞬でも家出をしたことに罪悪感を覚えている、それもまた事実。昨日からでは、3度目の謝罪である。

「いいんだ、朱嶺。いつか、言わなきゃと思っていたんだからな」

 父ちゃんが優しくしてくれる度に、自分がどれだけ幼かったのかを痛感する。また、口癖にもなっている『ごめんなさい』が吐き出されようとしていた、その時だった。

「あれ? なんだ、これ」

 父ちゃんは、机の椅子の下を指してとぼけ声を上げた。

 そこにあるのは……ラッピングの施された箱。自分の顔よりも大きなそれは、考えなくてもクリスマスプレゼントだと分かる。

「……父ちゃん、いや、サンタさん。プレゼントくれて、ありがと」

 そう、バッチィも言っていたんだ。

『そんな、コワイ君を大切にしてくれるサンタさんを、信じればいいじゃん!』

 だからオレは、これまで通りサンタを信じる、そう、決めたんだ。

 でも、父ちゃんの顔は、明るくはならなかった。

「いや、父さんは『ラジコン』を買ってやってたんだが……それ、なんか違うぞ」

「えっ、そんな訳ないよ。だって、サンタさんって、いないんじゃ……」

 その瞬間、全てに気がついた。この日に起きた、全ての奇跡に……。

「……朱嶺、サンタさん、来たんだな」

「そうだね、父ちゃん。めっちゃ嬉しい! 開けていい!?」

「もちろん! ほら、開けてご覧!」

 オレの腕は、父ちゃんの答えを待たずに、箱へと向かっていた。

 へへ、気づかないとでも思ったのか。本当に、オレの父ちゃんは馬鹿だ。


 ♢


「……なに、これ」

 僕が目覚めた先に、1匹のテディベアが寝転がっていた。もちろん、寝る直前には存在しなかった。僕が見逃していただけかもしれないが……

「おっ、起きたか」

「お、おはよ、おじさん。ねぇ、なにこれ?」

「ん? あぁ、サンタさんでも来たんじゃねぇのか? 良かったじゃねぇか、昨日言ってただろ、サンタさんに来て欲しいってさ」

 呆然とするしかなかった。信じられなかった。僕の元に、サンタさんが来るなんて、ありえないんだから。きっと、何かの間違いに違いない。

 色々な可能性を探す中で、1つの仮説が浮かんだ。……でも、浮かべるだけにしておいた。

「ねぇ、おじさん。不思議だよね。今日って、クリスマスじゃなくて、『イブ』なんだよ」

 ふと草むらに投げ捨てられた、痰だらけのライターと灰皿を見て、思う。これらを打ちつければ、鈴のように、チリンチリンと音がなりそうだな、と。


 12月24日。僕がテディベアを抱えて、公園をウロウロしていると、見た事のある人影がこちらへ寄ってきた。

「え……コワイ君?」

「バッチィー!!!!!」

 もう二度と関わることがないと思っていた、昨日限りのプレゼントだと思っていた。

 自分が今見ているものが、現実のものとは思いがたくて、目を三度擦る。それでも、コワイ君は僕の元へと向かってくる。

「なんで、どうして、また僕のとこに? 僕、酷いこと言ったのに」

「それは、オレも同じだから。ねぇバッチィ、聞いてよ、サンタさん、やっぱり父ちゃんだった」

 昨日と同じことを話しているのに、コワイ君の声音はやけに明るかった。異様なその光景に、ただただ疑問が募っていく。

「朝起きたらさ、サンタさんからプレゼントが届いてたんだよ! しかも、父ちゃんが買ったのとは違う物が。だから、父ちゃんの他にもサンタさんがいるって、多分そう言いたかったんだと思う」

 コワイ君の言葉に、思わず笑みが零れる。なるほどまさか、ここにも同じミスをする『サンタさん』がいるなんて。

「僕も、これ、朝起きたら落ちてたんだ。おじさんに聞いたら、サンタさんじゃないかなって」

 そう言いながら、ボロボロの、汚れたテディベアを掲げる。ちっちゃくて壊れてて、ダメダメなぬいぐるみ。でも、もっとおかしな所がある。

「バッチィのところもなの!? おっかしー、サンタさんが来るのって、『クリスマスの日』なのにな! まだイブなのに、焦りすぎだろ」

 ふと気になって、おじさんの方へ向く。おじさんはいつも通り……いつもより周期が早い気はするが、たばこをガジガジとかじっていた。

 きっとサンタさんは、僕の願いも聞いていたはずだ。ならば、ライターをプレゼントするに決まっている。

「残念、僕が欲しいのは、ライターでした」

「あ、バッチィそういえば言ってたな。やっぱ変なのー」

「いや、大丈夫。今は、サンタさんから貰ったこの人形が……いちばん、嬉しい」

 いくら汚くても、要望に沿っていなくても、邪魔だったとしても……

 はじめて貰ったプレゼント、だったから。

「というか聞いてよ! 父ちゃん、オレが家出するまではパジャマで1日家にいるって言ってたのに、帰ってきたらちゃんと服着てたの! 必死すぎ!」

「そういえばおじさんも、全然自販機の方着いてこなかった。いつもはあーだこーだ言いながら来るのに……そういうこと、だったんだ」


 サンタさんは、存在しない。そう言い切ることは簡単だ。でも、だからこそ、僕たちは信じたい。

 サンタさんの、僕たちを心から愛してくれる人の、存在を……。

 叶わない奇跡も、願えば輪郭を帯びる。僕たちは、その輪郭に思いを馳せれば、それできっと幸せなんだ。


「あ、バッチィ! ホトケノザだっけ? もっかい吸いに行こうぜ!」

「あ、そっちの公園は今あんまり……」

「こっち、めっちゃ生えてた!」

「そうなの!? じゃ、行こっ!」

 それに、これは誰かが用意した幸せじゃない。奇跡が僕たちにくれた、幸せなんだ。

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