第2話 「監視と書紀エリシア」
宮廷での審問が終わると、蓮は文官に促されて建物の外へ出た。外はまだ冷たい早春の風が吹き、石畳の上に薄く霜が残っている。案内役の文官は無言で歩き続け、蓮はその後ろを不安混じりでついていった。やがて、宮殿の外郭に並ぶ住居群の一角にたどり着いた。重厚な石造りの二階建て。そこそこ上等だが、豪奢すぎず、まさに「下級貴族の官舎」という雰囲気だった。
「藤村殿。ここが、しばらくあなたが過ごす部屋となります」
案内役が扉を開けると、暖炉と机、簡素な寝台、それに書物棚があった。家具は最小限だが、清潔で住みやすそうだ。蓮は安堵しかけたが、すぐに別の不安が押し寄せた。
「ここに、自由に出入りしていいんでしょうか?」
文官は微妙な笑みを浮かべた。
「外出は自由です。ただし――必ず門番にひと声かけていってください。規則ですので」
その「規則」が何を意味するか、蓮にもすぐ分かった。つまり――監視下に置くということだ。宮廷にしてみれば、どこの国から来たかも分からず、しかも妙な“魔導書”を持っている人物。警戒するのは当然である。
「……わかりました」
蓮は短く答えた。文官は頷くと、出ていった。静まり返った部屋の中で、蓮は暖炉に手をかざしながら息を吐く。慣れない環境のせいか、心の中がざわつく。それでも、生き延びるためには状況を受け入れるしかなかった。
◆
そのとき、扉がノックされた。
「失礼いたします。藤村蓮殿にお会いしたく参りました」
柔らかい声だった。蓮が「どうぞ」と答えると、扉の向こうから見覚えのある女官が姿を現した。淡い金髪を後ろで束ね、深緑の文官服を身にまとった女性 ―― 審問官ヴァレリオの傍らで、取り調べの内容を記録していた書紀である。
「はじめまして、藤村殿。私の名は エリシア。審問官ヴァレリオの命により、あなたの日々の記録を担当する者です」
そう言うと、彼女は丁寧に一礼した。蓮も慌てて頭を下げる。
「あっ、どうも……藤村蓮です。さっき名乗りましたけど、改めて」
「存じております。ですが、正式な任務の開始に際し、改めてご挨拶を」
エリシアは落ち着いた所作で、胸元のポケットから羊皮紙の束と羽ペンを取り出す。蓮は、また“監視される側”であることを思い知らされ、少し肩がこわばった。
「記録係というのは……その、どういったことを?」
エリシアは微笑んだ。その表情は形式的な職務のためのものだが、どこか柔和で、蓮は少し安心する。
「あなたの行動、技術、残す成果物を――日々、観察し記録します。審問官ヴァレリオは、あなたが“学士”であるかどうかを確かめる必要があると判断されました」
「……つまり、毎日ここに来られると」
「はい。あなたが何を行い、何を成したのか。それを明らかにすることが、私の任務です」
蓮は苦笑いした。
「なんだかプレッシャーが……」
「ご心配なさらず。敵意はありません。
ただ、あなたの知識と技術を、正確に記録するだけです」
エリシアの声は、意外なほど優しかった。その言い方に、蓮は少し胸の重さが軽くなるのを感じた。
「それに……」
彼女は視線を落とし、羽ペンを軽く回した。
「あなたが持つ“写実の書”。あれほど精緻な図画を私は初めて見ました。正直に申し上げると……とても興味があります」
「芋の本ですけどね、あれ」
「“いも”……はい、その語も記録しております」
エリシアが律儀に答えるたび、蓮は自分の状況が現実味を帯びていくのを感じた。異世界でありながら、彼女の存在が“人との繋がり”を少し取り戻させる。
「では藤村殿。これから、よろしくお願いいたします。私は毎朝ここを訪れます。何か必要なものがあれば遠慮なくお申し付けください」
「……こちらこそ、よろしくお願いします」
エリシアは深く一礼し、静かに部屋を後にした。
扉が閉まると、蓮は窓の外を見た。まだ冬の気配を残す早春の空――冷たい風が枯れ草を揺らしている。農作業にはまだ少し早い。だが、この世界で生きるための最初の戦いを、彼は否応なく始めなければならなかった。三ヶ月後に、自分の去就を決める審判が待っていることを、嫌でも思い出しながら。
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