誇り

─プロローグ─


 国道沿いのいつもの場所に、白いセダンを停めた。

 時計は8:47。朝のピークは過ぎ去り、歩道を急ぐ人はまばらだ。


 俺の名前は佐藤和也、48歳。

『乗っていきなさい株式会社』代表取締役だ。

 まあ、社員は俺一人なのだが。


 俺はシートを少し倒し、遠くの信号を見つめる。

 今日も走る誰かを待っている。走る理由は、人それぞれ。


 俺は──乗っていきなさい株式会社は、何かに向かって走っている人に「乗っていきなさい」と声をかけ、目的地まで送り届けるのを業務としている。


──どうやら本日のお客さんが走ってきたようだ。


1.若い男


 黒いフード付きのパーカーを着た若い男が、猛烈な勢いで走っている。

 息が荒い。肩で息をしている。ここまで全速力で走ってきたのだろう。

 右手にはスポーツバッグをぎゅっと抱え、左手はズボンのポケットに突っ込んでいる。何か不自然な格好になっていた。


 しきりに後ろを気にしている。明らかに普通じゃない。

 

 和也は横を通り過ぎていくのを目で追う。


──よし。


 和也はハザードランプを点滅させたまま、ゆっくりと車を滑らせ、男の横に並ぶ。 そして"ウイィン"と助手席の窓を下ろす。


「乗っていきなさい」


 男は一瞬、足を止めた。目が血走っている。額に汗が光る。唇が震えている。


「……おっさん、何だよ急に」


 声が上擦っている。明らかに動揺している。  和也は静かに、もう一度言った。


「いいから乗れ。追われてるんだろ?」


 男は一瞬で顔色を変えた。コイツは何を知っている?

 まるで罠を疑うような目で和也を見る。


 遠くからサイレンの音が聞こえ始めた。

 男は助手席に飛び込むように乗り込み、ドアを乱暴に閉めた。


 ──バタン


 車内が一瞬、熱と汗と焦燥の匂いで満たされる。

 男はシートに深く沈み込み、両手で顔を覆った。肩が小刻みに震えていた。


「……マジで、助かった……」


 和也は無言でアクセルを踏んだ。

 サイレンが近づいてくる。パトカーが二台、交差点を曲がってきた。

 冷静に左ウインカーを出し、脇道へ滑り込む。

 白いセダンは、まるで何事もなかったかのように、朝の街に溶けていった。


─2.強盗と逃走と─


 車が安定した速度で走り出すと、男はようやく顔を上げた。

 まだ二十歳そこそこだろう。頬にうっすらと髭の跡。目は充血している。


「……どこに連れてくんだよ」


 声は低く、警戒している。

 俺は前を向いたまま答えた。


「どこに行きたい?」


 男は一瞬、言葉を失った。

 まるで誰もそんな質問を、自分に投げかけたことがないかのように。


「……おかしな人だなあんた」


──少しの間、無言状態が続く。


ガタンと車が跳ねた。それを合図に男が口を開く。

「……とにかく、遠くに……この街から出たい」


 バッグを膝に抱えたまま、指が白くなるほど強く握っている。

 ニュースにはなっていないが、おおよその察しはついた。


 あの走り方、あの目、あの震え方は多分この若者は犯罪をしてきた。


 男は震える声で続けた。


「俺……やっちゃったんだ。包丁、持って……店員に突きつけて……」

 言葉が途切れる。泣き出しそうだった。


「レジには3万くらいしか入ってなかった……奪おうとしたら抵抗されてさ、怖くなって何にも奪らないで逃げたんだ。そん時に怪我させちまったかもしれない……血が出たんだ……」


 俺は静かにハンドルを握り直した。


 男は自分の手を見つめている。

 左手の人差し指と中指辺りから血が出ていた。おそらく抵抗された際に自分で切ってしまったのだろう。結構派手に出血しているが、傷自体は浅そうだ。


血がポタリポタリと革のシートに滴れる。


「……俺、借金があって……親にもバレて、もうどうしようもなくて……」


「なんて馬鹿なことしちゃったんだろう……」

男は顔を覆い、咽び泣いた。


 和也は静かに息をつき問いただした。


「本当に、逃げたいのか?」


 男は顔を上げた。フロントガラス越しに流れる景色をじっと見る。涙で滲んでこの世の景色とは思えなかった。


「このまま捕まるよりは……」


「違うだろ」


 俺は静かに、そして本当の気持ちを代弁してやった。


「本当にこのまま逃げていいのか? それとも……」


 男の目が揺れた。

 まるで、誰かに初めて心の奥底を見透かされたように。


 俺は続けた。

「お前が今、一番行きたい場所は……どこなんだ?」


 男は口を開けたまま、固まった。


 そしてバッグをちゃんと持ち、ゆっくりとチャックを開けた。

 中から、血のついた包丁が出てきた。

 男はそれを見つめる。


「……警察だ」


 小さな、掠れた声だった。

「俺……自分で……全部、話す」

 涙がこぼれた。


 俺は静かに頷いた。

そして、次の交差点でUターンした。

行き先は、管轄の警察署。


「目的地変更ですね」


 俺は言った。


「乗っていきなさい株式会社は、あなたが本当にいきたい……本当の目的地へお連れします」


 男は泣きながら、窓の外を見ていた。

少し遅い朝の陽射しが、涙で歪んだ視界を優しく照らしていた。


─2.自首─


 和也は警察署の前で車を停めた。

 男は車内から警察署をじっと見る。


 男はしばらく、ドアノブに手をかけていた。

 タイミングを見計らっているようにも見えた。ガタガタと震えている。


「……おっさん」

 男は掠れた声で言った。


「俺……刑務所行きだよな。死刑とかになるのかな?」


 和也は静かに問う。

「人は殺してないんだろ?」


 男は"こくん"と頷く。


 和也はまっすぐに男を見つめ、静かに、力強く伝える。

「あのまま逃げ続けてたら、お前はもう二度と、自分を許せなかっただろう」

「後悔しながら、腐っていくだけだ」


「悪いことだ。 やってはいけないことだ。 だが、やってしまった事は仕方がない」


「あとはもう、償うしかない。 お前は、選んだんだ。罪を清算する道を」


「強盗してしまった事は決して誇れることではない」

「だが、この目的地を選んだ自分を誇れ」


 男は包丁が入ったバッグを両手に抱え、深呼吸した。


「……ありがとう」


 そして、ドアを開けた。

 署の玄関に向かって、ゆっくりと歩き出す。  足取りは重い。でも、もう逃げていない。

 制服の警察官が気づき、近づいてきた。

男は何も言わず、バッグを差し出した。


「俺が……今朝、コンビニで……」


 そういうと警察官が目を見開き、署内の人間に大声で声をかけ、胸につけているレシーバーで何やら報告している。


 署内から5、6人警官が出てきた。


 男は両手を頭の後ろに組み、膝をついた。


 大方、昨晩テレビでやっていた洋画でも観ていたのだろう。同じようなシーンがあった。


 男がチラリとこちらをみて一瞥した。


 和也はそれを見届けて、静かに車を発進させる。

 今日も、誰かの「本当の目的地」へ送り届けられた。

 白いセダンは、街の景色に溶け、また次の誰かを待つ場所へと向かう。


─エピローグ─


 国道沿いに車を停め、地方のラジオ局をかけると丁度昼のニュースが流れてきた。


「本日未明、国道沿いのコンビニで起きた強盗未遂事件は、発生から1時間後、犯人が管轄の警察署へ自首してきました」


「犯人は『刃物で人を傷つけてしまったかもしれない。本当に申し訳ないことをした』と話しており、犯人自身が手を切っているだけで、それ以外に怪我人は居ないとのことでした」


「警察は余罪を追求しておりますが……」


 俺はラジオを切り、車の外へ出て背伸びする。


──あの若者なら、きっと大丈夫だろう。


 そう思いながら愛車を眺めていると、横を【花嫁】が走り抜けた。

 

 ウェディングドレスの裾を持ち上げ、一心不乱に走る後ろ姿を見て、俺はつい大声で呼び止めた。


「乗っていきなさい!」

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