隔週の秘密
不思議乃九
隔週の秘密
第一章:完璧な違反者
間宮茜(まみやあかね)のマンション管理組合理事としての生活は、いつもゴミの匂いと、住民間のわずかな緊張感に包まれていた。
今期、理事に就任してからというもの、彼女の毎朝の日課は、エントランス横のゴミ集積所を巡回し、ゴミ出しマナーの違反がないかをチェックすることだった。
この厳戒態勢の理由は、沢村耕平という古株住民からのクレームに尽きる。
「間宮理事。今日のプラゴミ、まだラベルが残ってたぞ。管理費を払っている以上、あんたの怠慢だ」
沢村はルールに異常に厳しく、まるで監視カメラのように目を光らせていた。
彼の辞書に「多少」や「大目に見て」という言葉はない。
ゴミ出しマナーは、彼にとって人間の品性を証明する唯一の基準だった。
そして茜の仕事は、沢村の完璧なルールに沿って他の住民を従わせることだった。
そんな日常の中で、茜は一つの小さな、しかし不自然なルーティンに気づいていた。
隣棟に住む野口誠という男性。
彼はいつも無愛想で、会釈さえ返したことがない。
野口は、可燃ゴミが出せる隔週の木曜日になると、必ず同じ時間に集積所へやってくる。
彼の出すゴミはいつも二袋。大きな袋と、手のひらに乗るほどの小さな真っ黒なポリ袋だ。
ある朝、茜は好奇心に負けて、野口が出したばかりの小さな袋の中を覗き見た。
中に入っていたのは、空のペットボトル一本と、そのフタ。
それに加えて、薄く広げられたティッシュペーパーが数枚。
なぜ、たったこれだけのゴミを、分別もせず、隔週の可燃ゴミの日に出すのか。
ペットボトルのフタは資源ゴミのはずなのに、なぜ黒い袋に入れて、木曜日を待つのか──。
それは、沢村の細かすぎるクレームよりも、茜の胸に深く引っかかる、日常の小さな違和感だった。
⸻
第二章:水曜日の悲劇
その水曜日、マンション全体が異様な静けさに包まれた。
沢村耕平が自室で倒れているのが発見されたのだ。
発見者は、連絡が取れないことを心配した沢村の妹だった。
警察は、腹部を刃物で刺されたことによる失血死と断定。
凶器は見つからず、部屋は密室ではなかった。
警察は、沢村とトラブルを起こしていた住民への聞き込みを開始。
理事である茜も、事情聴取を受けた。
「沢村さんは、ゴミ出しマナーに厳しかったと聞きます。住民間で揉め事は?」
茜はためらいながら答えた。
「はい。かなり…厳しかったです。特に隣棟の野口さん。数ヶ月前、野口さんのゴミ出しが少し早かったと、沢村さんが執拗に責め立てていて……」
野口のアリバイは完璧だった。
事件発生時刻、彼は会社で会議に参加しており、複数の証言があった。
ただし、捜査を担当する刑事は、野口の供述にわずかな違和感を覚えていた。
野口は会議中に度々スマートフォンをチェックし、リモート会議のログには彼の音声が一瞬だけ途切れた箇所が記録されていたのだ。
野口は「通信環境の不調だ」と説明したが、刑事はそれが遠隔操作によるものではないかと疑っていた。
彼の部屋には最新のスマートロックが導入されていたが、警察はあくまで“突発的な犯行”という枠からはまだ外れていなかった。
アリバイは完璧。
それでも茜の脳裏には、あの隔週の小さな黒い袋の謎が、しつこく残り続けていた。
事件が起きたのは水曜日。
つまり、野口がその袋を出す“前日”だった。
⸻
第三章:ルールと隙間
翌日の木曜日。
茜は、いつも通りゴミ集積所へ足を運んだ。
野口は、決まった時間に現れた。
手にしているのは、いつものように大きな袋と、あの小さな真っ黒な袋。
彼は無表情でゴミを投入し、すぐに立ち去った。
茜は、その小さな黒い袋を素早く掴み取った。
今日この袋が収集車に持って行かれれば、謎は永遠に闇に沈む。
理事室に戻り、震える手で袋を開けた。
中には空のペットボトルとフタ、そして、乾いて固まった赤黒いシミがついたティッシュ。
その瞬間、茜は確信した。
野口がこの袋を出す週には、必ず沢村が彼に何らかの言いがかりをつけていた。
──これは練習だった。
野口は数ヶ月前から「指を切った」と言い張り、黒い袋を出す習慣を周囲に植えつけていた。
住民と警察に、“彼は不器用で隔週で怪我をする人間”という無意識の記憶を作るために。
そして──。
ペットボトルのフタは、金属探知機に反応しない。
だがその表面には、肉眼ではわからないほど微細な研磨痕があった。
それは、鋭利な刃物として仕立てるために削られた痕跡──。
犯行当日、野口はアリバイを構築しながら沢村を刺殺。
凶器は、削ったフタ。
そして翌日、例の黒い袋に凶器と血痕のついた衣類を忍ばせ、
“いつも通り”の顔でゴミ集積所にそれを投棄した。
警察は事件当日のゴミは調べたが、
翌日の「いつも通りのゴミ」を疑う者はいなかった。
それは、「ルール」を守った行動だったからだ。
⸻
第四章:優しすぎる罪
茜は理解していた。
野口が、ルールに執着する沢村から妻を守るために動いたこと。
そして、そのルールを逆手に取り、“完璧な違反”を実行したこと。
彼女の手には、フタとティッシュが入った封筒があった。
それを警察に持って行けば、野口の完璧な計画は崩れる。
でも──。
沢村のいなくなったマンションには、奇妙な平穏が訪れていた。
ゴミのルールは緩やかになり、住民同士の挨拶も増えた。
茜は思った。
本当の被害者は誰だったのか?
「沢村さん……あなたの正義が、彼を怪物にしてしまったのよ」
彼女は封筒を、静かにデスクの引き出しの奥深くへしまった。
次の隔週の木曜日。
集積所に、あの黒い袋はもう置かれなかった。
そして茜は、自分が一人の善良な市民が犯した、**優しすぎる罪の“共犯者”**となったことを、静かに受け入れていた。
彼女の胸には、拭いきれないゴミの匂いと、
人間の切ない感情の重さだけが残された。
(了)
隔週の秘密 不思議乃九 @chill_mana
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