ヒロインvs転生悪役令嬢vs創作者

九々

第1話 悪役令嬢とヒロイン


 ♦

 


「悪役令嬢作品のヒロインって、悪役令嬢とヒロインのどっちになるのかな」



 磨かれた爪をいじりながら、さくらっちが呟いた。



 ネイルサロンで知り合った友達のさくらっちは、いつもレース満載のゴスロリを揺らしている。本当の名前は知らない。施術前にいつも「佐倉さん」と呼ばれているから、私も「さくらっち」と呼んでいる。



「ヒロインって女性の主人公でしょ? じゃあ、主人公がヒロインじゃん」

 


 我ながら頭痛が痛いみたいな返事をすると、さくらっちは口をとがらせて熱弁を始めた。



「そ~じゃなくて、悪役令嬢物って、本来は悪役の子が本来のヒロインに復讐したりザマァしたりするじゃん? だから悪役令嬢以外にちゃんとしたヒロインがいるの。


でも本当に悪いのはそのヒロインなわけだから、ヒロインが悪役じゃん? それで主人公の悪役令嬢がヒロインになるわけじゃん。


でも悪役令嬢はヒロインじゃなくて悪役だから主人公になるのに、ヒロインになっちゃったら悪役令嬢じゃなくなって……」



 言ってるうちに本人も混乱してきたのか「あっれ~?」と言いながら首を傾げた。



「えー、哲学ー」



 適当に返事をしたら、さくらっちは拗ねて身を詰めてくる。スマホの画面をこちらに見せながら、最近新たに読みだしたらしい悪役令嬢作品のプレゼンを始めた。



 それを聞き流しながらネイルの施された自分の爪を見つめた。ほんと、ここのネイリストは腕がいい。キラキラのラインストーンを散りばめた指先を眺めると気分が上がる。

オシャレはモチベのインフラだ。



「だからね、元々の悪役令嬢がいろんな事情で断罪を回避するなら、今度は元のヒロインだって復讐を回避しようとするんじゃないかって! そしたら、悪役令嬢物の本当のヒロインって誰になるのかなぁって!」



 だんだんとさくらっちの語気が強くなってきた。この短時間で彼女は何回悪役令嬢と言っただろうか。そろそろさくらっちの語尾が「アクヤクレイジョウ」になりそうだ。

 


 ――あの時、私はなんて思ったんだっけ。



 そんな、変わり者の友人との会話を思い出して、現実逃避する。







 


「ルーヴァン侯爵令嬢、アデリシア・ルーヴァン! 私は今日この場を持って、貴様との婚約を破棄する!!」


 そうでもしなければ、この茶番へのため息を呑み込めないのだ。



 ♠



 即位周年記念の舞踏会は毎年初夏に行われる。婚約者がいる令嬢であれば通常、婚約者にエスコートされ出席する。しかし侯爵令嬢アデリシア・ルーヴァンの婚約者が、共に出席できないと言ってきたのは舞踏会の直前になってだった。


 アデリシアが何度も当日の打ち合わせはどうするのか、と連絡をしても一向に返事はなかった。そして前日になってそんな簡素な一文だけ記した手紙だけ届いた。


 当然、アデリシアはもちろんルーヴァン侯爵家の人々も「馬鹿にしているのか」と立腹した。それでも眉をひそめながらも、その不躾を許した。それは彼、キャンベル公爵家長男リチャード・キャンベルが普段は決してそのようなことをする人ではないからだ。



 八年前、アデリシアが八歳の時に婚約して以来、リチャードとは折に触れ贈り物や言葉を交わしてきた。社交に顔を出すようになると、お互い婚約者を立てながらけれど束縛しすぎずに、不要な諍いが起らないように距離感を築いてきた。


 意図せぬ勘違いで行き違いなどがないように、と何か事情があった際はお互いにきちんと説明し、時には両家をはさみながらも理解に努めてきた。

 


 そのような信用を築いてきた相手だったため、今回も何か理由があるのだろう、とアデリシアは怒りを収めた。こちらの連絡に一切返事をせず、直前になって手紙一つをよこしたのも、よっぽど忙しかったのだろう。


 舞踏会の後日にお茶の席を設け、嫌みの一つくらいで流してやろう。

 そう考えたアデリシアは、今回は兄のレイナルドにエスコートされ舞踏会に参加した。



 その舞踏会の会場に、見知らぬ令嬢の手を取るリチャード・キャンベルがいた。



 アデリシアがリチャードを見つけるのと同時に隣のレイナルドも彼に気づいたようだ。そしてリチャードも二人に気づき――ものすごい目でアデリシアをにらんできた。さらにアデリシアから守るように連れている令嬢を背中でかばう。


 その態度にレイナルドが顔をしかめ口を開こうとする。ちょうどその時、広間に音楽が流れ出した。舞踏会の第一曲が始まったのだ。


 リチャードの後ろにいた令嬢がそれを聞くと、リチャードの裾を引いてダンスに誘った。リチャードもそれにうなずくと、アデリシアたちを一瞥してから彼女の手を取って中央へと歩きだした。



 二人が離れる際、令嬢がちらっとアデリシアを盗み見た。その眼には確かに怯えが浮かんでいた。



 彼女のその目線を受けた瞬間、アデリシアは急な目まいにおそわれた。ふらりと立ち眩みを起こした彼女を兄が気づかい、少し休むよう言った。彼はアデリシアが、リチャードの心無い態度にショックを受けたと思ったらしい。


 

 しかし実際、アデリシアはただ混乱していたのだ。リチャードの態度にではない、自分の記憶にだ。あの令嬢に見られた瞬間から、脳内にアデリシアとは違う人生の記憶が次々に浮かんでは消えていく。シャボン玉のように頭の中で淡い記憶が漂って彼女の足元をおぼつかなくさせた。

 


 レイナルドが寄り添い、二人は会場の隅に移動する。ソファに座って休むと、アデリシアはいくらか冷静に今起こっていることを考えられた。


 リチャードのことはまあいい。良くないけど。それよりこの不思議な記憶についてだった。行ったことない街、会ったことない人たち、けれど確かにそれらをアデリシアは知っていた。



 無機質な学校の廊下を、思いっきり巻き上げた短いスカートで歩いた。友達とリップの色を試して、教師に見つかると笑いながら逃げて回った。振袖に負けないくらい髪を華やかに盛り上げて成人式の写真を撮った。少し自信なさげなお客さんが、満面の笑顔になるような服を選ぶのが楽しかった。



「骨ストなら断然、タイトスカート! フェミニンさほしいなら袖にボリューム持ってこよ!」



 ラメたっぷりにネイルした指でお客さんに服を渡すと、少し照れながら受け取る。そして試着したお客さんが鏡を見て背筋を伸ばす。その時の彼女たちのキラキラした顔を見るのが好きだった。



 そう、アデリシア・ルーヴァンこと黒瀬ユアはかつてアパレル店員として日本で暮らしていた。



 (それなのに何で私は侯爵令嬢になってて、公爵子息と婚約してて、舞踏会なんかに参加してんのよっ)



 不思議な記憶の正体が判明すると同時に、それ以上の混乱にアデリシアは頭を抱えこんだ。そんな妹を見てレイナルドはそっと背中をさすった。


 そのレイナルドの姿を、遠巻きに見守る令嬢は一人や二人ではない。アデリシアは彼女たちの視線に気づきレイナルドに言った。



「お兄様。わたくしは大丈夫ですから、どなたかと踊ってきてはいかが?」



「無理をするな、アディ。私のことは気にする必要はない」



 気にしてるのはあなたにではなく、令嬢たちに対してです! と内心アデリシアは強く思った。


 高位貴族の長男でありながら特定の婚約者がいないレイナルドは、国中の貴族令嬢から狙われていると言っても過言ではない。しかも彼は身内の贔屓目抜きにしてもとんでもなく美形なのだ。あわよくば、せめて一曲ダンスだけでも……そんな視線が会場中から向けられている。



「舞踏会でレイナルド・ルーヴァンを独り占めとあっては、皆様に恨まれてしまいますわ。わたくしの交友のためと思って下さいまし」


 今後のためにもどうか……! と、さらに兄に勧める。



 ……ん? レイナルド・ルーヴァン?



 十六年間聞き慣れたはずの兄の名前が妙に引っかかった。


 そこから芋づる式に思い出す。アデリシア・ルーヴァン、リチャード・キャンベル、そして――ミア・アクトン。


 聞き覚え……いや、見覚えのある名前にかつての最後の記憶が浮かんできた。



 ネイルサロンで仲良くなった友達、さくらっちはWEB小説を読むのが好きな子で、いつも会うたびに新作を見つけては進めてきた。活字をあまり読まないユアは普段は聞き流していた。けれどその日、気まぐれでサイトを検索したのだ。


 ただ正直、さくらっちオススメの小説はタイトルが長すぎて覚えられなかった。

 なんか悪役令嬢とか、婚約破棄とか入ってた気がする。キーワードを頼りに目についたページを開いた。



 ごく普通の平民の少女、ミアはある日突然魔力に目覚める。国の法律で魔力を持つものは貴族として生きなければならず、ミアもとある貴族の養女になる。


 けれど貴族社会は彼女の出自を笑いいじめてくる。碌に礼儀作法も知らず好き勝手に振る舞う恥知らず――悪役令嬢と陰で囁かれる。ミアはそんな周囲に負けず、努力と才能で居場所を作っていき、ついに国の危機を救う英雄になる。


 そして、そんな彼女のひたむきさにレイナルド・ルーヴァンはじめ、貴族の子息たちは恋をする。公爵家の子息、リチャード・キャンベルもその一人だ。


 彼は自身の婚約者、アデリシア・ルーヴァンとの婚約を破棄してミアに求愛する。



 レビューやサイト内の他作品のタイトルを見るに、よくある内容の女性向け小説らしい。けれど普段そう言った作品をあまり読まないユアにとっては新鮮で、それなりに楽しく読めた。


 何より、作中の文章表現がユア好みだった。女性キャラの心情や表情を宝石にたとえたり、景色や部屋の風景を色鮮やかに表現したり、その作品の文章はキラキラ色づいて見えた。



 部屋でスマホ画面を見ていると、なにやら部屋の外がうるさくなった。最初は気にせずに続きを読んでいたが、騒ぎは収まることなく大きくなっていった。


 ようやくユアが顔を上げると、部屋中が真っ黒い煙に包まれていた。――火事だ。


 慌てて部屋を出て非常階段に向かった。けれどすでに煙を吸いすぎていたらしく、階段を下りながらゆっくりと視界が黒く染まっていき――そこで黒瀬ユアの記憶は終わっている。



 (火災報知器、電池切れてたもんなぁ)



 おそらく私はあそこで死んだのだろう。アデリシアは当時の息苦しさを思い出し、ため息をついた。

 


 そして顔を上げると舞踏会の会場を見渡した。中央ではリチャードと先ほどの令嬢が踊りを踊っている。


 ストロベリーブロンドに蜂蜜色の瞳。あの小説の主人公と同じだ。おそらく彼女こそがミア・アクトンだろう。



 リチャードもレイナルドも、アデリシア自身も、最後に読んでいたあの小説に出てくるキャラクターに名前と特徴が一致している。


 理由はわからないが、命を失った自分は何故か小説の世界に転生してしまったのだろう。



 ♣︎



 会場が大きくざわついて、見ると国王夫妻が入場するところだった。


 流石に隅で座りっぱなしとは行かなくなった兄は、気遣わしげにアデリシアを見る。


 記憶が整理されてだいぶ落ち着いたアデリシアは、彼にもう大丈夫だと告げて二人で会場の中へ戻った。



 国王夫妻が広間に入り、最奥に用意された席へと向かうのをカーテシーで見送る。


 途中、国王夫妻は懇意の貴族たちに声をかけ、軽く挨拶を交わしながら歩く。今代の両陛下は夫婦そろってかなり気さくな性格をしており、その人柄が国民から貴族まで高い人気を集めている。



 国王は前方にリチャードとミアを見つけると、華やかな笑顔を浮かべ彼らに近づいた。



「おお、ミア・アクトン! 先だっての活躍は見事であったぞ!」



 両手を広げ鷹揚な声でミアにそう告げる。ミアは少しぎこちない形式通りのカーテシーをした。



「ありがたきお言葉にございます」



 ……そういえば、ミアはその魔力で国を救う英雄になったんだっけ。


 難しいところは飛ばし読みしていたので詳しくは覚えていないが、たしか国中で猛威を振るった伝染病をミアが聖魔法で浄化したとかなんとか。

 


 伝染病、もしかして春先にかかった病気のことだろうか。普通の風邪だと思ってたけど、いつもより渇いた咳と鼻の奥がツンとなる痛みがしばらく続いた。


 それがある日、いきなり症状が消えて全快した。


 変な風邪だなー、なんて思っていたが医者曰く悪化していたら呼吸困難になって命に関わるそうだ。これくらいで済んで幸運だと言われた。



 王都中で流行したあの病気はアデリシアが回復した日と同じくして感染がおさまった。


 経緯は知らないが、おそらくミアが聖魔法でどうにかしたのだろう。となると、アデリシアにとってもミアは恩人ということになる。



 ふむ、とアデリシアが先日のことを思い出している一方でリチャードたちは別の話題に進んでいた。



「国王陛下、あの時我々へ褒美を考えておけ、とおっしゃいました。今申し上げてもよろしいでしょうか?」



「うむ、リチャード・キャンベル。そなたもミアと共にずいぶん尽力してくれた。遠慮せず申してみなさい」



 国王は鷹揚に頷きリチャードに言葉を促す。仰々しい口調だがノリは居酒屋でビール片手のあれだ。バッシバッシと背中を叩き出しそうなくらい軽い。


 しかし、その軽さも次のリチャードの発言に固まった。



「では、私、リチャード・キャンベルとミア・アクトンの婚約を認めていただきたい」



 一気に会場がざわめき、参加者の視線が一点に集まる。


 後ろで聞いていた、アデリシアに向かって。



「リチャード、そなたはルーヴァンの令嬢と婚約しているではないか。私とて家庭の事情にまでは口出しできんぞ?」



 それはそうだ。国王もちらりと後方のアデリシアを見ながら答える。


 しかしリチャードもその返答は予想していたようで、続けて陳情を述べた。



「陛下、我々貴族は国家と君主に忠誠を誓い、国家繁栄のため尽力する義務があります。しかし、アデリシア・ルーヴァンはその貴族の義務を放棄して、挙句このたびの大事に奔走したミアに数々の妨害をし、虐げたのです!」


「アデリシア・ルーヴァンは私の婚約者に、いいえ、それどころか貴族に相応しい人物ではありません!」



 会場のざわめきが大きくなる。国王も眉根を寄せ戸惑った表情を浮かべている。


 何より、アデリシアの隣に立つレイナルドが感情を削ぎ落とした完全な無表情でリチャードを見据えている。周囲の温度がいきなり氷点下まで下がった。寒い。まわりの貴族たちも腕をこすりながら二人から一歩離れる。



「アディ、一応聞くがあの令嬢と面識は?」



 レイナルドが声をひそめてアデリシアに聞く。



「ございませんわ。お名前も存じませんでした」



 実際アデリシアはミアを初めて見たし、どんな活躍をしたのかも今初めて知った。妨害などできるわけがない。


 しかしリチャードはそんなことお構いなしで演説を続ける。



「ミアに対して行った数々の悪事、決して許されることではございません!」



「ルーヴァン侯爵令嬢、アデリシア・ルーヴァン! 私は今日この場を持って、貴様との婚約を破棄する!!」



 ❤︎



「……ばかばかしい」

「……お声が漏れていますわ、お兄様」



 レイナルドがボソッと呟くのをアデリシアは諌めるが、その声も呆れが隠せていなかった。


 リチャードの主張が真実であれ、嘘であれ、どちらにせよ舞踏会でするような話ではない。というか、その内容が重要なものであるほど、場所を選ぶべきである。

 こんな場所で言っても、宴の余興になるだけだろうに。



 国王がどうしたものかと言葉に迷っている後ろで、王妃もまた呆れた表情で扇子をいじっている。我が国の国王夫妻は大層素直でいらっしゃる。


 周りの貴族たちはやはり、何やら面白い余興が始まったと楽しんでいる。誰一人真剣に話を聞いていない広間の中で、一人だけ硬い表情をした少女がいた。



 リチャードの背中に隠された、ミア・アクトン本人だ。



 俯きがちにリチャードの背後に隠れながら、時折怯えるようにアデリシアとレイナルドの方を盗み見て、すぐに目線を逸らしてまた俯く。


 リチャードの主張するようなイジメなど誓ってしてないが、彼女がアデリシアたちを気にしているのは確かなようだ。



 はて? さくらっちが言うには、こう言う場面では断罪する側の女性は高慢に笑っているものではなかったか?


 かつての友人のオタ話を思い出してアデリシアは疑問に思う。


 いやまあ、普通に考えれば怖いだろう。いくら公爵家の長男だからって自分を理由に侯爵家にケンカを売っているのだ。確か小説の中では、ミアの義実家、アクトン家は子爵家だ。敵うわけがない相手の、矢面に立たされているようなものだ。


 よくよく見れば、リチャードとミアにはずいぶん温度差がありそうだ。



 リチャードはなおも国王に婚約の取り消しと、新たな婚約の承認を訴えている。その後ろで、ミアは何か言いたげにリチャードを制する。けれどその度にリチャードに「大丈夫だ」「ミアは何も心配いらない」などと言葉を封じられる。


 その様子は王妃も気づいたようで、意味ありげな視線でリチャードとミアを見比べている。



 そんな彼女の所在なさげな態度を見て、唐突に思い出した。



「悪役令嬢物のヒロインって誰になるのかな?」



 さくらっちのあのテツガクな疑問に対して、その時私が考えていたことを。



 ――物語の中の人たちは大変ね。

 

 現実なら誰だって自分の人生のヒロインだけど、お話の中ではそうもいかないみたいだし。みんな何かしらの役割が決まってて、望まなくともその役の通りに動かなくちゃいけないなんて――



 日本に生まれて良かったー。なんてのんきに考えていた。


 ミアを見ると彼女はアデリシアの視線に怯えて、リチャードの背後に隠れる。


 それに気づいたリチャードが、それ見たことかとアデリシアを睨む。


 家格のせいか、それとも別の行き違いがあったのか。いずれにしろ、二人の間ではすっかりアデリシアは悪役になってしまっているようだ。



 理不尽な話だが、アデリシアは少し冷静に振り返る。前世で小説を読んでいたときは、この世界は作り物の物語だった。


 けれど、今こうして自分がこの世界の中を生きている以上、ここは現実だ。


 

 現実である以上、理不尽なんてあって当たり前だ。



 アデリシア、いや日本人の黒瀬ユアだって、感情的に誰かを嫌ったり、なんとなくで嫌われたことなんていくらでもある。


 あの時の私たちは、お互いにお互いの人生のヒロインと悪役だったのだ。


 それと同じことが、今アデリシアとミアにも怒っているだけの話ということだ。


 ――いずれにしろ、



「私の知らない話もありそうね、リチャード。長くなりそうだし、日を改めて話しましょう。これ以上、皆様のお時間を奪ってはいけませんわ」



 一歩進み出てリチャードを諌める。こんな痴情のもつれでお茶会の肴になるのはごめんだ。


 リチャードの背後でミアもまた、ホッとした表情を浮かべる。けれどリチャードが食い下がる。



「そういって逃げる気だろう? 貴様の卑怯な魂胆には呆れたものだ!」


「陛下、この悪女は今すぐここで罰されるべきです!」



 強い口調でリチャードは叫ぶ。それを見たミアが苦しげな表情を浮かべる。


 リチャードの顔は怒りで固定されている。そう、固定されている。


 泥人形が造形された表情しかできないように、心から湧き上がる感情が浮かんでいるのではなく、まるでその表情以外許されていないようにリチャードは怒りの表情をしている。



 アデリシアは、言いようのない違和感を抱えた。それは二人のやり取りでさらに加速する。



「ミア、心配はいらないよ。君を苦しめた悪女はすぐにいなくなる。そうしたら、私たち二人で幸せになろう」



 ミアはもはや会場中の好奇に晒され、恐怖で震えてさえいた。それなのにリチャードにそう言われた途端、幸せそうに満面の笑みを浮かべてリチャードにすがりついた。



「嬉しい、リチャード。あなたはいつだって私を助けてくれた。私、ずっとあなたといられたらそれだけで幸せよ」



 先ほどまでの怯えた表情が一瞬で消え、まるでプログラムされたように笑顔で愛の言葉を口にした。


 その様子に王妃の怪訝な顔をする。



 アデリシアは込み上げてくる吐き気に口元を押さえ、二人から目を逸らした。レイナルドも妹を庇いながら二人に警戒の視線を向ける。


 リチャードとアデリシアが真っ当に交流を重ねてきたことは、当然レイナルドも知っていた。だからこそ、今日のリチャードの行動には彼も不可解に感じているのだろう。



 ミアはリチャードに腕を絡ませすがりついているが、リチャードが国王に顔を向けた途端、泣き出しそうな顔ですぐに体を離す。アデリシア以上に気持ち悪くてたまらないといった様子だ。



 その様子を見て、アデリシアは確信する。やはりここは、あのWEB小説の世界なのだ。単に世界観が共通しているとかいう次元じゃない。


 あの小説通りの人物がいて、小説通りのイベントが起こって、小説通りの人間関係になる。そこにキャラクター本人の意思は関係ない。作者が書いた文章が絶対だ。


 

 ユアが読んだのは、ミアとリチャードが両思いになり、舞踏会でリチャードがアデリシアに婚約破棄を宣言する場面までだ。それ以降は火事からの避難で読めていない。


 けれど物語はまだ続いていた。これ以降も、作者の思う通りに私たちは動かされる。



 リチャードが再びミアに話しかける。ミアはそれに応える。二人とも、とろけるような表情で相手が好きでたまらないと言うように愛の言葉を重ねる。


 けれどリチャードが離れると一瞬でミアは表情を崩し、恐怖と吐き気と絶望を表す。



 ミアはあの小説のヒロインだ。つまり、一番に作者の思惑に動かされてきたのだろう。



 ――ふざけるな。



 腹の奥がマグマのように煮えたった。


 私たちはこの世界で生きている。これは、私たちの人生だ。作者だかなんだか知らないが、私たちの人生を他人の好き勝手にされてたまるか。



 今すぐ駆け出してミアの肩を抱きたかったが、アデリシアはその場を動くことができなかった。小説の本文では、まだリチャードとミアの恋人同士の会話が続き、誰もそれを邪魔できないのだろう。



 悪役令嬢物のヒロインが誰かは知らないが、ここは現実だ。


 現実においては、誰もが誰かの悪役になる。


 アデリシアの人生ではアデリシアが主人公であり、もしかしたらミアが悪役になるかもしれない。


 ミアの人生ではミアが主人公になり、アデリシアが悪役になる。


 それはいい。お互い、自分の人生を生きようじゃないか。



 けれども無理矢理その役にさせられるのは話が違う。私たちは私たちの意志で相手を悪役にするのだ。


 それに介入してくる存在など、悪役ですらない。


 私たちがお互いにヒロインになり、悪役になるために、まずはその存在をどうにかしなくてはならない。



 最初に断罪されるべきは悪役令嬢でも、ヒロインでもない。


 ――神とも言えるこの世界の創造主を、断罪してやろうではないか。



 ♦︎♠︎♣︎❤︎



 ヒロインvs転生悪役令嬢vs創作者――ファイ!

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