優しいあの子のウラの顔
円藤飛鳥
第1話
私の通っている女子校には大人気の生徒がいる。
名前は
勤勉で人当たりのいい美少女だ。人助けしている彼女の姿を、私は何度か見たことがある。この間は、おばあさんの手を引いて横断歩道を渡っていた。
森合ナナカのことを嫌う人間なんているわけない。
そう口にする生徒は珍しくなかった。
ちなみに私――
端的に言って、気に食わないのだ。
私はそんな森合とラブホテルに来ていた。
「どうしてこうなった……?」
大きなベッドに腰掛けながら首を傾げる。ベッドの横には、壁一面に鏡が張られていた。げっそりとした顔の私が映っている。
シャワーを浴びた森合が、バスローブ姿で現れた。
頬を赤らめ、目を伏せている。
「……次は優子ちゃんが使っていいよ」
「あ、うん」
私は森合を見ないようにしながら脱衣所に足を運んだ。素早く衣服を脱ぎ、浴室に入って蛇口を捻る。
ほんと、どうしてこうなったんだろう?
私の意識は過去へと遡った。
▼
人には優しくしましょう。
小学生の時、そんな言葉がクラスの標語になりかけたことがある。先生の独断だった。
誰も異議を唱えなかったので、私は仕方なく手を挙げて発言した。
「先生、嫌な奴にも優しくすべきですか?」
三十代半ばの女性教師はにこやかな笑みを私に向けた。
「私はそうすべきだと思うわ」
「一週間前、露出狂が現れましたよね。その人にも優しくすべきなんでしょうか?」
公園に現れたらしいぜ、と男子たちがはしゃぐ。
先生はわずかに頬を強張らせた。
「星谷さん、それはちょっと極端な意見だと思うわ……」
「でも、現実にそういう人はいますよね。露出狂だって人間ですよ。そういう人に裸で声を掛けられても、先生は優しくすべきだって言うんですか?」
結局、標語は見直され、「清く正しく」に変更された。
私は別に標語に文句があるわけじゃなかった。意見を募ったのに、それらをすべて無視して自分の用意してきたものを採用した先生にムカムカして声を上げたのだ。ちなみに何の疑問も抱かず提案を受け入れていたクラスメイトたちにも腹を立てていた。
「面倒な女ですね」
昔話を終えると、友達の土屋みぃが私の勇気ある言動を馬鹿にした。
いや、わかっている。自分が面倒なことくらい。
「逆張り野郎と呼んでいいですか?」
「だめです」
昼休みの教室には穏やかな空気が流れていた。
私の体感でしかないが、このクラス――二年三組の仲は決して悪くないと思う。
森合ナナカがいるからかもしれない。
私は教卓の前でクラスメイトと話している森合ナナカに目を向けた。
いつものように可愛らしい笑顔を浮かべて愛嬌を振り撒いている。小さな顔についている個々のパーツは完璧と言っていいだろう。まるでテレビで活躍するアイドルのようだった。セミロングの髪も綺麗に整っている。
「昼間から人気者を視姦ですか?」
「人聞きが悪すぎるでしょ……」
あと、官能小説みたいな語彙を教室で使うな。
私は小学生のような見た目の、いつも眠たげに半目を作っている土屋を睨みつけた。
「本当は見たくないよ。目立つから視界に入るだけ」
「嫌いなんですか?」
「好きではないね」
「また逆張り……」
どう思われようと構わなかった。嫌いなものは嫌いなのだ。
「土屋だってああいう子は苦手でしょ?」
「そんなことはありませんよ。この間、土屋にお菓子をくれましたからね」
「それなら、私も貰った気がするな……」
「たまに向こうから挨拶してくれますし、この間は消しゴムを拾ってもらいました。たぶん土屋のことが好きなんでしょうね」
土屋はわずかに頬を赤らめた。
少し優しくされただけで好きになっちゃう陰キャそのものじゃないか。
私は鼻を鳴らした。
「土屋にはがっかりだよ。もっとへそ曲がりの変人だと思っていたのに。可愛くて優しければ何だっていいんだ」
「優子」
「今更そんな顔してもダメだから。森合ナナカなんかに懐柔されるなんて見損なったよ。あんな、ただ優しいだけの女なんかに――」
「後ろを見てください」
振り返ると、森合ナナカがにこにことした笑顔を浮かべて立っていた。
「ひょっとして、わたしの話?」
気まずい空気が漂う。
私は咳払いした。
「いや、全然違う話題で盛り上がってたところだよ。ね、土屋?」
「森合ナナカの話をしてました」
こいつとの関係、見直そうかな……。
「え、なになに? 気になるなぁ」
森合は笑顔のまま距離を詰めてきた。
面倒だな……。
悪意を向けられるなんて考えもしないのだろう。だからこんなにぐいぐいと距離を詰めてこられるのだ。
私は謎の使命感に駆られて口を開いた。
「森合のことが苦手って話をしてたんだ」
正直に告げると、森合は動きを止めて目をぱちくりさせた。
罪悪感に胸を痛める。
本人に直接言うのはよくなかったかもしれない。
「……はぁー、びっくりしたぁ」
しばらく黙っていたかと思うと、森合は石化の魔法が解けたかのように言葉を発した。
「そういうこと面と向かって言われたの初めてだから新鮮。わたし、優子ちゃんに嫌われてたんだね」
「いや、嫌いとは言ってないから」
「優子、嫌いと言っていたじゃないですか」
うん、決めた。こいつと友達でいるのやめよう。
森合は少しだけ悲しそうな顔を浮かべた。
「それは流石にショックかも……」
「あ、ごめん」
良心の呵責に負けて謝ると、森合は微笑んだ。
「いいよ。好き嫌いってどうしてもあるものだからね。ただ、同じクラスになったんだから、わたしのことをいずれは好きになってくれると嬉しいな」
「それは……」
「わたし、頑張るから!」
森合は踵を返して友達のところに戻っていった。
森合が混ざっただけで、そのグループは何倍も輝いて見えた。
「優子、これから大変ですね」
「あんたのせいでね」
私は溜息をついた。森合の方を見て、ぎくりとする。無表情でこちらを見つめていたからだ。しかし、次の瞬間には天使のような笑顔を取り戻していた。
見間違いだろうか?
私は不穏なものを感じたが、あまり考えないことにした。
向こうからしたら私は雑魚だ。そこまでの強い関心を抱くことなんてないだろう。
この時の私はそう楽観視していた。
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