短編小説実験劇場2
沼下 百敗
帯化
深夜一時。山奥の集落にある空き家の庭で、真っ白な彼岸花が一本だけ咲いていた。だが、よく見ると奇妙だった。花びらが帯のように、ひとつに癒着している。
スマホのライトを向けると、白い花弁が細長い一本の“舌”のように見えた。光が当たると、ぬるり、とわずかに動いた気がして、私は息を呑んだ。
「…帯化ってやつか?」
植物が突然変異して伸びたり癒着したりする現象――知識としては知っている。だが、実物は初めてだった。好奇心に負けて近づいたその時、花の“中心”に何か黒いものが見えた。まるで、瞳孔のような黒点が、こちらを……見ている。
その日からだ。
私の家の前に、毎晩、白い花が一本ずつ増え始めた。最初は玄関脇。次はポストに。
三日目には、寝室の窓の外に――まるで誰かが植えているように、きれいに根が張っていた。
全部、帯化している。白い舌のような、ぬめる花弁を揺らしながら、私の方を向いて。その中央には必ず、“黒い瞳”があった。
怖くなって抜こうとしたが、触れた瞬間、ぞわりと震えた。まるで脈を打っているように。
嫌な汗が背中を濡らした。
この花……呼吸していないか?そう思った時、背後から声がした。
「……返して」
振り向くと誰もいない。ただ、白い花が風もないのに、一斉にこちらを向いた。
四日目の夜。寝ていると、窓の外から“かさ……かさ……”と聞こえた。
開けた覚えのないカーテンの隙間から、白い線が垂れ下がっている。帯化した花弁が、窓ガラスを舐めるように滑っていた。
「返してよ……返してよ……」
耳元で囁いたのは、人の声だった。
私は悲鳴を上げて立ち上がり、部屋の電気をつけた。足元に、一本の白い彼岸花が落ちている。拾い上げると、根元から“指”が生えていた。白く、細く、死んだ人間の指そっくりのものが、花を支えるように五本。震える声で問いかける。
「な……何を返せって……」
その瞬間、窓の外の花々が一斉に開いた。花弁が裂け、黒い中心が口のようにぱくぱくと動き始める。
「“あなたが踏んだ子を”……返して」
脳裏に浮かんだのは、あの日、空き家の庭で咲いていた一本の白い花。軽く踏んでしまったことを、私は覚えていた。
花びらが――いや、指が、窓を叩く。
「返して……返して……返してェェェ……」
翌朝、通報した警察が見たものは、ただの荒れた庭だったという。白い彼岸花も、帯化した花も、一本も見つからなかった。
ただ玄関の前に、乾いた土が盛り上がっていたそうだ。小さな墓のように。
そして私は――行方不明のままだ。
盛られた土の下から、細い白い指が一本だけ、まだ震えているのが見つかった。まるで、誰かを“植えた”かのように。
短編小説実験劇場2 沼下 百敗 @numashitahakube
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