爆食花嫁のドレス選び

ふじもと ひより

爆食花嫁のドレス選び

緑いっぱいのテラスから光が差し、柔らかな陽だまりができている。


今日、私は結婚式当日を迎えた。


花嫁といえば純白のドレス。


でも私には譲れないこだわりがひとつあった。


それは──たくさんごはんを食べられるドレスであること。


オフショルダーやビスチェタイプは論外だ。


ドレスは重たい。肩に布や紐がないと、ウエストをきつく締めて着ることになってしまう。 お腹を締め付けられていては、料理を心ゆくまで味わえない。だから私は、肩まで布のあるタイプを選ぶと決めていた。


人気のマーメイドラインも外した。


ボディラインが出て確かに美しいけれど、食後のお腹が目立ってしまう。なるべくお腹まわりは“ふわっと”していてほしい。


「あれでもない、これでもない」と試着を重ねるうちに、ようやく理想の一着が現れた。


肩までしっかり布があり、スカートはレースでふんわり。ハイウエストで、みぞおちの下にはリボンが縫い付けてある。


これだ。


ゲストの視線はお腹ではなくリボンへ。リボンを囮にして、更にレースでカモフラージュ。 完璧な様相だった。


表向きは“優しいふんわりとした花嫁”、しかし実際は“爆食オーライ”のユニフォームである。うん、これでいい。


ドレスが決まれば次は採寸だ。


私が選んだドレスはオーダーメイドではなく既製品。大き目サイズで作ってあるらしく、花嫁のサイズに合わせて余分な布を摘まんで縫ってくださる。


更衣室では、サイズを測る人、縫い直す人、インナーを売る人が代わる代わる出入りして、見事な連携で作業が進む。


私は新しいスタッフの方が来るたびに「腹囲は、緩めでお願いします。ごはんが楽しみで。」 と、ちょっと恥ずかしそうに伝えてみた。この“ちょっと恥ずかしそうに“というクッションを挟んであるものの、来るスタッフ全員に伝える抜かりのなさには、30歳になった自分の図太さを感じ、妙に納得する。


インナーにしてもドレスにしても、スタッフの方は完璧なラインを作ろうとウエストをキュッと締めようとする。一方で私の頭の中は食べる事でいっぱいだ。


スタッフの方々は微笑みながら、重たいドレスを抱えて何度も微調整をしてくれた。


ドレスが決まれば、披露宴のプランだ。


結婚式は忙しい。小刻みなスケジュールに追われ、気づけば終わってしまうらしいのだ。


だとしたら、食べる時間を確保する事こそ最優先だ。


第一手は「ケーキ入刀」をやめること。


あのケーキ、食べられないのだ。


見た目は華やかだがイミテーション。せっかくなら本物のケーキ三種を楽しみたい。


お色直しもやめた。ドレスを着替える時間が惜しい。前撮りの写真を飾れれば私は満足だ。


キャンドルサービスも生い立ちムービーもなし。


私たちの披露宴は、“食べて笑って、写真を撮る”シンプルな会にした。


今流行りの1.5次会に近いかもしれない。


ーー小学生の姪にお願いした乾杯のあいさつは、「乾杯!」のひとこと。


それだけで会場は笑いに包まれ、テーブルには次々と料理が運ばれてくる。


一皿目はスープ。


芳醇な牛蒡の香りと、生クリームのやさしいコクが口いっぱいに広がった後、黒胡椒がキリッと引き締める。


その瞬間、食指が動き“食いしん坊スイッチ”が入った音がした。


──ああ、私、今おなか減っている。ここに在るもの全部食べられるんだ!今日たのしい!


緊張もほぐれ、ようやく心から笑えた。


鮮魚のカルパッチョ、オードブルの盛り合わせ──もう止まらない。


胃袋が「次をよこせ!」とせがんでくる。お皿が置かれた瞬間、私は入れ食い状態だった。


バイクで言うなら、ブルルンッとエンジンを吹かしている感じ。


念のためドレスのしみ抜き保険には加入済みだが、とはいえ綺麗なドレスを汚せないし“しみ抜きタイム”というロスタイムも避けたい。細心の注意は払いながらも、勢いよく食べ進める。


夫はそんな私を、呑気にカメラで撮っている。


#嫁、食にフルスロットル #一心不乱の新婦 ──後で写真を見返したら、きっと笑ってしまうだろう。


食事が始まって五分ほど経つと、友人や親戚グループが順に記念写真を撮りにやってきた。


頬の中には美味しいものが詰まっているが、それを悟られないように笑顔をキープする。


そして、ついにメインディッシュの時間。


待ちに待った瞬間だ。


テラスの扉が開き、コック姿のシェフたちが登場。


4基のフランベが一斉に燃え上がり、「おおーっ!」と歓声があがる。


そこに並ぶのは、貝柱のソテー、魚のポワレ、ステーキ、お寿司、天ぷら、グラタン──。


そう、メインディッシュはビュッフェ形式なのだ。


はやく取りに行かなくては!ドレスが重いじゃないか。



———ふと、思う。


私はいつからこんなふうに“食”に真剣になったのだろう。


夫との出会いはマッチングアプリだった。


共通点といえば、同い年ということくらい。初めてのデートでオムライスを食べに行き、「美味しいね、美味しいね」と言い合いながら、気づけばふたりとも夢中でスプーンを運んでいた。 会話は殆どしていない。


満足した私たちは、食後にカフェへ移動。特に盛り上がる話題もなかったのに、気づけば閉店まで話していた。


その一ヶ月後に交際が始まり、一年後に婚約。さらに一年後の今日、結婚式を迎えた。


まだ付き合いは長くないけれど、一緒に暮らしてみると、色々な面が見えてくる。


私は服や美容にはあまりお金を掛けない。しかし自分へのご褒美のごはんや特別な日のコース料理にはためらいがない。


20代で一人暮らしをしていた頃も、スーパーのパック寿司を楽しみに暮らしていた。筋金入りの“食いしん坊”で、生まれついてのモノなのだろう。


一方の夫はというと、独身時代は家電も服も靴も、そこそこ良いものを買うタイプだった。


けれど私と結婚してからは自然と節約志向になり、今、ふたりでお金をかけているのは外食だけ。


人間、削ぎ落されると残る核の部分は、食い意地なのか?


 いや、たまたま二人とも核が食い意地だったから折り合ったのかもしれない。


ちなみに、マッチングアプリで彼にいいね!を押した理由は、AIに“本日のおススメです”と勧められたからだ。


AIは私たちを見抜いていたのだ。


夫婦で旅行に出かけても、目的はいつも食べ歩き。


晩御飯を決めるときも、こんな会話が幸せの瞬間だ。


「今日はお好み焼きにする?」


「えー!俺もお好み焼きが食べたいと思ってた!」


しかし忘れてはいけない事実もある。


夫の健康診断の結果を見るたび、私は猛反省する。


老夫婦になっても、変わらず食を楽しめるパートナーでいてもらう為には、健康管理が必要だ。


これは花嫁としての、最も重要な任務かもしれない。


——ビュッフェの盛り上がりが最高潮を迎えたころ、デザートが登場した。


色とりどりのケーキ、プリン、チョコレートファウンテン──夢のような甘い世界。


しかし、ふとスタッフの動きが変わった気がした。


あ、これは……式がラストスパートに入る。そう予感した。


この後、会場の灯りを落として私たちはランタンを上げる。そして、そのまま花嫁の手紙、両親への花束贈呈、退場へと流れていく。


ノンストップで終焉に向かうのだ。


いけない。まだ食べたいものが沢山ある。


持ってきてもらったばかりのケーキやチョコバナナを、食べたい順に素早く口へ運ぶ。


「うーん、チョコレートがおいしーい!」


本当なら一口ずつ余韻に浸りたいけれど、今はそういう訳にはいかない。


脳内では甲子園のテーマ曲が流れる。


「あと一歩、あともう少し、少しでも高いところへ」


──私もまさに今、その心境だ。


フォークをフルーツに差し掛けた瞬間、スタッフの方がそっと声をかけてきた。


「新婦様、そろそろ……」


もしかすると、“もうやめとけ”という意味も込められていたのかもしれない。


指定していたBGMが流れ、会場にランタンが運び込まれる。


ああ、もう終わってしまうんだ。


そこからは本当に一瞬だった。


ゲストがランタンを撮影する光の中で、私は親への感謝の手紙を読み上げる。読んでいるとなんだか、親から離れた遠い所へいく実感が湧いて、涙を堪え切れなかった。花束を渡した父にも伝わっていた様だった。


そして夫によるゲストへのお礼のスピーチ。だが夫の声が出ていない。ふと見ると、彼は私につられて、私以上に泣いていたのだ。


あまりにも声が出ず、友人たちから思わず笑い声がこぼれる。


その姿を見て、胸の奥で静かに思う。


──ああ、私はこんなにも優しい人と一生を添い遂げるんだ。


これから、毎日同じごはんを食べて「美味しいね」って言い合うんだろう。


今日の豪華な料理は、記念すべき最初の1ページ。


美味しい幸せが詰まった一冊を、これから二人でゆっくりと紡いでいこう。





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