第3話 待宵草は運命を揺り起こす


 翌朝、咲夜さくやは固い感触に違和感を覚えながら目を覚ます。洞窟の天井に空いた小さな穴から光が降り注いでいるのをぼうっと眺めているうちに意識がはっきりして、そのまま洞窟で一晩過ごしてしまった──とがばりと身を起こすと、薄紫色の羽織が自身の体から滑り落ちる。誰のものだろうかと狼狽しながら辺りを見回すが、羽織を着そうな人間はおろか龍の姿もない。周囲は相変わらず青く光る湖があり、朽ちた祠と古びた橋が咲夜が元来た地上への順路へと伸びているだけだ。



「そっか。もう帰ったんだね。無事帰れると良いけど……」



 安心と寂しさが入り混じった感情を胸に、両手をぎゅっと握ると片方の手の中でころりと何か固い感触がして咲夜は手を開く。

 「あ」と咲夜は短く声を漏らした。そこには龍が昨日くれた涙片が掌で変わらず煌めいている。夢のような日々だった。それでも、夢ではなかったのだと咲夜にその輝きは教えてくれる。

 それにしてもこの羽織は誰のものだろうと不思議に思いながら、咲夜はその手でそっと触れた。感情の残滓のようなものは感じられないが、羽織の持つ記憶なのかふっと頭に長い髪が揺れて見えた。

顔は見えないが、悪意も何も感じない羽織をもう一度見てから咲夜は首を傾げた。片田舎の村には無いような上等な布で、飾り縫いも上品な一枚の羽織はまるで物語の天女が着そうな代物だ。



「村の人じゃない。誰かが此処に……?まさか」



 不可思議な事は一度起こると、どうやらあといくつか起こるらしい。咲夜はその羽織を綺麗に畳んで抱える。ふわりと花の甘い香りが香って、心穏やかな気持ちになった。

もしかしたらあの龍の恩返しなのかもしれないと思いながら、そんな昔話が鶴か何かであったっけと静かに微笑む。それから橋を引き返す前に、そうだと朽ちた祠に膝をついて拝む。



「半月お世話になりました。ありがとうございます」



 海辺も近いこの付近に花らしい花は無いが、洞窟の天井に開いた穴からやって来たのか日差しを浴びている真下の部分に土と草が自生していた。

そこには小待宵草がちんまりと黄色い花を咲かせている。咲夜はぱっと表情を明るくして、それを摘み取った。


(……あれ?)


 それに触れた瞬間、ざらりと砂嵐の向こう側に誰かがいるような光景が咲夜の頭に過ぎる。

本当に一瞬でそれがどんな人物なのかさえわからない。かつては生贄が捧げられていた洞窟──それを思い出すと、今更咲夜は身震いした。


(でも、そうなら尚更祠にお礼をした方が良い気がする)


 空の椀で湖の水を汲んでそこに小待宵草の花々を浮かべて祠に置く。

外に出たら花瓶と、それに活けられる花をまた探して此処に来ようと小さな花手水を見て目を細める。それからゆっくりと歩き出した。

 これからまたあの小屋で静かに暮らす日常に戻っていく。

 洞窟を出てすぐ、小屋の前に何人かの人がいた。見たことも無い老人が複数人と見覚えのない品のある装い。

老人達は咲夜に気づくと目を丸くした。それから足早に咲夜に近づいていく。久しぶりの人間、そして大人達の様相に咲夜は自然と昔を思い出し足が竦んで動けなくなる。



「……っ、」

「咲夜様ですね?」

「え?あ、あの」

涙鱗るいりんはお持ちですかな?」



 老人達は何故かひどく焦ったような、信じられないような様子で咲夜を見ていた。涙鱗?と頭にはそれだけではない疑問だらけだったが、ふと昨晩龍に貰った涙片るいへんを思い出す。



「これ、ですか?」



 それを見せるや否や老人達は一斉にどよめく。「なんという事だ」「まさかそんな」と大仰に驚いて見せた後で、ひそひそと老人達は何かを話し始める。

全てが置いてきぼりで自分だけを弾いて身を寄せる大人達のそれが、村にいた頃と重なって咲夜の心はざわざわと騒いだ。

折角温かい気持ちと時間を龍がくれたというのに、それを知らない人間達に踏みにじられるのは嫌だと咲夜は意を決して声を出す。



「な、なんなんですか。それは頂いた物です。盗んだりしたものでも何でもありませんし、誰かに渡したりする気もありません。お引き取りくださ、」

「咲夜様」



 老人達がちょうど話を終えたのか向き直る。そしてその内の一人がすっと咲夜の前に出た。

そこで咲夜は気づく。その見覚えのない品のある装いは、今自分が胸に抱えている薄紫色の羽織と造りがよく似ていた。



「おめでとうございます。貴女は選ばれた。龍の加護を得た花に御座います。然らば、在るべき場所で咲かねばなりません」

「……それは、どういう」

「お支度を。貴女を我ら龍の膝元へと案内いたします」



 風が吹く。相変わらず六月の風は、じっとりと肌にまとわりつくように撫でてから咲夜の後ろに吹き抜けていく。

 いつもと変わらない風、見慣れた寂れた小屋。そしてその前と、手元に見慣れない者や物が複数ある。


 自分の物語は母が死んだ事により此処へ追いやられるという形で幕を閉じたのだと、咲夜は思っていた。しかし、どうやら物語は此処から始まるらしい。

 突然の始まりに胸が騒ぎ、咲夜は未だに老人達に返事を返す事も出来ず、立ち尽くすのだった。

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