キラキラ禁止令

@zeppelin006

キラキラ禁止令

 その年、「キラキラ禁止令」が施行された。


 正式名称はやたら長いけれど、ニュースもSNSもこう呼ぶ。

 ラメ入りコスメ、イルミネーション、スパンコール、そして写真アプリのキラキラ加工――全部アウト。


「地味すぎない? 世界」


 登校途中の坂道。コンビニの広告看板からネオンが消え、ビルのガラスは反射防止フィルムで曇っている。

 制服姿の生徒たちが、テストの愚痴と部活の予定をぼそぼそ話しながら、そのくすんだ街を歩いていく。


 その灰色の空を見上げてつぶやいた瞬間、背後から声がした。


「聞こえてるぞ、違反予備軍」


 黒いブレザーに銀色の腕章。うちの高校の制服のまま、《光度取締局・学生巡回隊》――通称キラ取の腕章をつけている。

 風紀委員が半強制的に駆り出されているらしい。


 そしてその腕章をつけているのが、よりによって幼馴染の真白だった。


「おはよう、真白。今日も“なんちゃって公務員”スマイルがまぶしいな」

「おはよう、駿。高校生ボランティアに“まぶしい”は禁止ワードだって何度言えば」

「言葉までモノクロにするつもり?」


 真白はため息をつき、僕の目を覗き込む。

 同じクラスで、席替えのたびになぜか近くになる顔が、ぐっと近づいた。


 心臓が一瞬だけ跳ねた。


 ――きらっ。


 視界の端で、世界がわずかに明るくなる。

 僕の瞳の奥で、感情に連動して光る結晶みたいなものが、今日も勝手にきらめいたのだ。


「……今の、セーフ?」

「ぎりぎり。瞳孔光度、規定値の〇・九八倍。セーフ」

「そんな細かく測れるんだ」

「こっちはこれでボランティア点と内申もらってるんで」


 袖口の端末には、僕の虹彩データと「注意対象」の文字。

 そう、僕の体質は公式にバレている。


 昔、小学校の頃、真白が鉄棒から落ちて膝をすりむいたとき、心配しすぎた僕の目が校庭じゅうを照らし、先生が悲鳴を上げた。

 その事件以来、僕は「光度異常者」として登録され、年に一度、保健室経由で検査を受けている。


「ねえ、真白」

「何」

「もし僕の光が基準超えたら、やっぱ逮捕か?」

「……“職務上”は、そうなる」


 “職務上”のところだけ、少し言いにくそうだった。


◇ ◇ ◇


 禁止令の建前はこうだ。


 広告やイルミネーションが欲望を煽りすぎる。

 SNSの加工文化が自己肯定感を壊す。

 だから「過度な光沢」をやめよう――らしい。


 でも僕には、キラキラを全部悪者扱いするこの時代のほうが、よっぽど貧しく見えた。


「ラメ入りのペンくらい、いいじゃん……」


 放課後の教室。黒板には「数学小テスト」の日付が残ったまま、廊下の向こうからはバスケ部のドリブル音が聞こえてくる。

 僕は机の中から、昔買ったラメ入りボールペンをこっそり取り出す。


 窓から差し込む夕陽が、そのラメに当たる。


 きらり。


 それだけで、胸のあたりが少し軽くなる。


「自首するなら今のうちだよ」


 振り向くと、ドアにもたれて腕を組む真白がいた。

 さっきまで風紀委員会に行っていたはずの腕には、まだキラ取の腕章が残っている。


「ノックくらいしてくれよ」

「違反者にそんな優しさいらない」


 そう言いながらも、真白の視線はペンではなく、やっぱり僕の目だ。


「……光度は?」

「ん。今んとこセーフ。ラメ見つめてうっとりしないでね」


 僕は慌ててペンをしまう。

 真白はふう、と息を吐いた。


「今さ、取締り強化月間なんだよ。“キラキラ狩り”って陰で呼ばれてる」

「物騒だな」

「検挙件数少ないと、うちの学校の“協力実績”も下がるの」


「じゃあ違反者いっぱい捕まえたい?」

「本音言うとゼロ件がいい」

「でもノルマがあるんだろ」

「だから言ってるの。駿、ほんと光らないで」


 眉間に寄った皺が、いつもより深い。

 真白自身、こんな仕事がしたかったわけじゃないのだろう。

 放課後は、本来なら図書室で受験勉強をしている時間のはずだ。


◇ ◇ ◇


 事件が起きたのは、その夜だった。


 市役所前広場で、夜間の一斉検査が行われたのだ。

 部活帰りのジャージ姿や、塾のカバンを持った制服姿も、まとめて列に並ばされている。

 通りかかった市民は全員、所持品のチェックを受ける「光度検問」。


 よりによって、真白の持ち場の列に僕は並ぶことになった。


「身分証と、スマホの画面ロック解除」

「プライバシーは」

「この国にはもうない」


 さっきまで教室で見ていたのと同じ顔が、今は“巡回官”の顔になっている。

 端末が僕の虹彩を読み込む。


【光度:〇・八九 安全圏内】


「はい、次のひ――」


 そのとき、小さな悲鳴が上がった。


 広場の端で、別の高校の制服を着た女の子が、キラキラの付けまつげを摘ままれている。


「やめてください、それ、誕生日プレゼントで……!」

「光度準値超過。没収と罰金です」


 取締官は事務的に言い放つ。

 女の子の目に、涙が浮かぶ。


 胸の奥が、ぐっと熱くなった。


 ただの違反と言われればそれまでだ。

 ただのラメ、と言われればその通りだ。


 でも必死に守ろうとするその様子が、条文よりずっとまっとうに見えた。


「駿」


 真白の声が、低く響く。

 ここで光ったら、本当にアウトだ。


 分かっているのに。


 ――きらっ。


 世界が、一瞬白く弾けた。


 地面、街路樹、ビルの窓、取締官のバッジ。

 全部が、僕の瞳から放たれた光を反射して、一斉にきらめく。


「光度異常! 発光源を――」

「下がって!」


 怒号と同時に、真白が僕の前に飛び出した。

 腕章のセンサーが過負荷で火花を散らす。


「対象、私の管理下! 一時的な生理反応です! 規定内!」


 ありえない嘘を、真白は全力で叫んだ。


 取締官たちが一瞬たじろぐ。

 その隙に、さっきの女の子は付けまつげを握りしめ、人混みに紛れて消えた。


 光は収束し、広場に微妙な沈黙だけが残る。


「……真白。今のはどう考えても」

「黙って」


 真白は僕の腕をつかんだ。手が小刻みに震えている。


「上に報告が必要だろう」

「私の端末では“異常なし”って出てるけど?」


 さっきの火花は、センサー故障扱いにするつもりらしい。

 真白が冷たい目で周囲を見回すと、他の職員たちは「厄介ごとはごめんだ」といった顔で検査に戻っていった。


◇ ◇ ◇


 検問が終わり、人がはけた広場の外れ。

 街灯に照らされながら、ようやく真白が手を離す。

 遠くで、塾帰りらしい自転車のブレーキ音が聞こえた。


「……バカ」

「ごめん」


「だって、あの子、泣きそうで」

「分かるよ。ああいうの、胸くそ悪いのは。でもね」


 真白は、ぽす、と僕の額を突く。

 その力加減は、小学校の頃と変わらない。


「世の中には、光っていいときと、ダメなときがあるの」


「光っていいときなんて、もうないだろ。この世界」

「あるよ」


 真白は即答した。


「例えばさ。誰かの涙見てムカついて、勝手に光っちゃうとき」

「それ、褒めてるか?」

「八割は怒ってるけど、二割はちょっと羨ましい」


 ふっと笑った横顔が、放課後の教室でノートを貸してくれたときと同じに見える。


「……ごめん。今日の巡回、邪魔した」

「最初から、駿の存在自体が私の進路と推薦ルートの邪魔してるから」


「でもさ」


 真白が制服のポケットから、小さな透明の袋を取り出した。

 中には、星型のラメが少しだけ入っている。


「それ」

「証拠物件」

「アウトじゃん」

「全部捨てるの、なんか嫌でさ。ちょっとだけ、ポケットに避難させてた」


 真白は星ラメをひとつつまみ、僕の胸元の学生服にそっと貼りつける。


 街灯の下で、星がきらりと光った。


「キラキラ禁止令、第一条」

 真白が条文口調で言う。

「『過度な光沢表現は、これを禁ずる』」

「うん」

「でも、“ちょっとだけ”なら、いいでしょ」


 その笑顔は、どの規制にも引っかからない種類のキラキラだった。


 胸元の星と、真白の目元の光が、同時に瞬く。

 僕の瞳も、たぶん少し光った。


 でももう、抑えようとは思わなかった。


 今はきっと、光ってもいいときだ。


 世界がどれだけ禁止令を増やしても、曲がり角の向こうで誰かがこっそりラメを分け合っている限り、


 この街は、完全な灰色にはならない。


 僕は、目の奥のキラキラで、静かにそう確信していた。

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