07 路地裏でショタを拾う
いつもいるからか、夜目が効く。
路地裏程度の暗さであれば、すぐに目がなれるようになった。
「聞こえねぇんだよ。はっきり喋れやドブネズミが!!」
「あぐっ……。集金は明後日だって言ってたじゃねぇか。」
自分の顔ほどのデカい手で前髪を鷲掴みにされ背骨が反るように掴みあげられた。
「なんだ、お前、口答えするたぁ随分偉くなったな、オイ。じゃあ、明後日なら金を持ってこれるってのかよ!?あ”ぁ”!?」
「……ぐがっ!」
掴んだ手を横薙ぎに払われ、厚いこぶのできた手の腹に打たれた勢いのまま倒れこむ。
受け身を取ろうと伸ばした手がゴミ箱を倒し、質の悪い鉄特有の甲高い音が路地に響いた。
「てめぇの親がこさえた借金だろうがよ。死ぬ気で返せやクソガキが!」
最初の一撃が腹にモロに入った。
作業ブーツが潰れないように仕込まれている堅い靴の型が蹴りの重さを直に腹に伝えてくる。
登ってくる嘔吐感に堪えながら腹を抱えてうずくまると腕の上から執拗に蹴りの衝撃が飛んできた。
「申し訳ねぇと思わねぇのかよ。俺らによ!! 毎回毎回次は金を持ってくるって嘘つきやがって!! どっかの家に忍び込んでもなんでも持って来いって言ったよな俺たちは? なぁ!?」
痛みには慣れたものだ。
大声で罵られるのもそう。
この時間がどうにか早く過ぎてくれと、心を空にして丸まっている。いつもそうだ。
だから、せめて返事を求めるのはやめてほしい。
口を開いて言葉を発すと、痛みに鈍くなるまでまた少し時間がかかる。
会話をするのが一番嫌だ。
「てめぇ、次、金持ってこなかったらブッ殺すからな!!」
最後に思いっきり強い衝撃が内臓を揺らした。
えずきながら、早鳴りしていた心臓が少しずつリズムを取り戻すのを感じていた。
とりあえず、今日はこれ以上何も耐えなくて良いのだ。
自分を落ち着かせようとそう言い聞かせたが、これだけ痛めつけられても空腹はごまかせないらしい。
腹の奥から何かが登ってくるのを感じた。
何も入ってやしないだろうから胃液だろうか。
仰向けになっているのが辛くなって体を横に倒すと、倒れたゴミ箱から落ちたのだろうか。リンゴの芯が転がっていた。
「へへへ……ラッキー。 なんだ、たまにはいいことあるじゃん。」
手を伸ばしても届かない。
だから、痛みと嘔吐感に堪えながら体を起こして手に取った。
鼻が潰れているから匂いも気にならない。
口の中があちこち切れているから味も何もないのだ。
わずかに残った果肉を削り取るように食むと、じゃりじゃりとした触感があるのが分かった。砂だと気づくのに時間がかかった。俺はどうにも頭が悪いからだろうか。
まぁ、今更そんなことを気にするはずはないのだ。慣れたものだ。これも。
「そういや、今日は運がいいよな。俺。」
一つ目は自分で投げ捨ててしまったが。
あの財布、結構銀貨が入っていたように思えた。
「貰っときゃよかったな……。やっぱ……。」
無駄なプライドが投げ返してしまったのだ。
人と話すと心とやらが勝手に動いて行動してしまう。やっぱり会話をするのが一番嫌だ。
とっさに出くわしたら、どうすればいいか分からないのだ。
でも、仕方ないだろう。幸運には慣れていないのだ。
「次にあったら、受け取ろう。」
別に財布を渡されるとか、そんな飛び切りの幸運じゃなくても良い。
小銭でもパン切れでも、次に渡されたら貰うと決めておく。そうすれば心が揺れても大丈夫だろう。
俺の人生に、そんな幸運はそうそうないだろうが、考えるだけならタダだから別にいいではないか。
それすら許さないというほど神様も冷たくはあるまい。
腹と胸の間からしゃくりあげるような音が鳴る。熱が鼻の奥から目に伝わって落ちそうになった。
勘弁してくれ、と。
水だってまともに飲めていないのに。骨と皮しか残ってないだろ、これ以上出て行かないでくれ、と。
膝を抱えた腕に両目を押し付けた。
人一人いない暗い路地裏で、誰にも見つからないように小さく丸まった。
意味などないと思ったが、案外そうでもないと思ったのは、ツカツカと不機嫌な足音が聞こえたからだ。
自分の体をぎゅっと固めた。足音の主が誰であれさっさと去ってくれることを祈る。
カカッと自分の前で軽快なヒール音が石畳を鳴らして止まった。
「あんた、親は?」
聞いた声だった。
だけど、思い出すのも億劫だ。
「いないの?」
見れば分かるだろ。どっかいけ。
俺は何も返事なんてしないぞ。壁に向かって喋ってるのか、と。
もう本当に勘弁してほしかった。
「じゃあ、あんた。今日から私のね。」
一瞬。
心臓が止まった気がした。
いや、心臓どころではない。時間が止まったのではないかと疑った。
意味が分からず膝から顔を離してバレないように、前にいるらしい女の様子を盗み見た。
女は胸をそらし腕を組んで突っ立っていた。
髪は路地の暗さに溶けてしまいそうなほどに黒いのに、僅かな月明かりを照らし返して輪郭を浮かばせていた。
瞳は落とせば沈む黒曜石のようであったが、光をしっかりと湛えてこちらを見ている。
「名前は?」
ぶっきらぼうな声だったから、心が揺れすぎることはなかった。
「クルト……。」
自分の名前を他人に教えるのは、ずいぶん久しぶりに思われた。
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