03 悪魔と食費

「この女は悪魔に取りつかれた魔女なのだ! 漆黒に染め上げられたその髪と瞳を見ればお分かりになるでしょう!」


バカ王子・レオは大仰な立ち振る舞いで周囲にわめき散らした。


まぁ、少なくともこいつの婚約者であるリディア・パラケルスではないのは確かである。

死んだ実感があるので、乗り移ったという可能性も案外まるきり否定はできない。

だから、婚約者を失って悲しみに暮れているのだと言うなら、目の前の男に同情してやりたい気持ちも、ないではない。


だが、悪魔だなんだと言われても困るのだ。

邪悪だなんだと言われたところで、こっちは日本に生まれ貴族社会だの王国の未来だのとは関係ない人生を慎ましく送ってきたというのに……。

どれだけ大げさに悪魔の計画とやらを喧伝されたところで、わたしの目下の切実な悩みは、「とりあえず明日食う飯と寝床がなくならないように」と祈るばかりなのだ。


神様も困るだろ。

断罪すべき悪魔の頭の中が、明日食う飯のことでいっぱい、などというのは。世知辛くて。


つまり、私としてはこのバカ王子との婚約破棄自体はどうでもよいのだ。

パラケルス伯爵家としては困るのかもしれないが、一宿一飯の借りを受けた身としても「じゃあ、家の人間が宿と飯に困らないようにしたらチャラですよね?」と思うのは別に不義理ではあるまい。

その後の政治はお前たちでどうにかしてくれ。

とにかく、私の目標はパラケルス伯爵の地位を落とそうとするこの男をどうにか黙らせ醜聞が広まるのを避けるという一点に尽きる。


腹を決め、一歩進もうとする私とバカ王子の間に割って入るように第2王子ユリウスが現れた。


「レオ、お前の言い分は分かった。

つまり、お前はリディア嬢を心より愛していたが、その愛する人を失うことになった敵討ちとして悪魔を告発したのだと、そういうことだな?」


「もちろんです。兄上。幼少からの縁である。わが婚約者リディアに誓います。

私は、真心から彼女を愛し、彼女の良き伴侶にならんと身を粉にする覚悟がございました。 なればこそ、愛する人を騙る悪魔の婿になるなど、どうしてできましょうか。」


ユリウスの真剣な眼差しを避けるように芝居がかった表情を伏せてレオは語った。


「私も自分の肉親の言葉ならばそれを信じてやりたいと心から思うよ。

なればこそ答えてくれ。3年前、リディア嬢が事故に遭われてこのかた、お前がパラケルス伯爵領を一度も訪れていないのは何故か?」


一瞬、レオの表情がひび割れたのが素人目にも見て取れた。


「兄上、わたしとてリディア様に一刻も早くお会いしたかった。しかし、恐ろしかったのです。私の愛した女性がこの世から去ってしまったと確信するのが……。

彼女の容体は王都にも届いておりましたので、私が参ればパラケルス伯に応対の手間を取らせるだけ。ならば、王都から彼女の回復を神に祈ることが私にできる唯一の事だったのです。」

「つまり、彼女を思ってこその行為だったと、そう申すのだな?」

「はい。私はリディア・パラケルスに操を立てた身。 この3年間はただただ愛する人が無事に私のもとへ戻ってきてくれることを祈っていたのです。」


気づけば、会場の誰もが黙って聞いていた。

ユリウスはそれを確認するように間をおいて声を発する。


「神に誓って言えるか? 我が弟よ」

「はい兄上。我らが主に誓います。私の告発が正義のものであることを。」


恭しく、レオは胸に手をあて片膝をついた。


「では、弟よ。 彼女たちとの関係を教えてくれ。 それを説明できるなら、私はお前を守ると誓おう」


ユリウスの侍男だろうか。酷くやつれた顔の男がホールの扉を開いて女性達を誘導していた。

その後ろに続いたのは、目の周りに青あざができていたり、ひっかき傷が生々しく残った女性数名の列だった。髪も崩れたまま直されていない。恐らく直前まで喧嘩していたのだろう。

見るも無残な有様だが、やはり、同情すべきは侍男だった。「もう勘弁してくれ」という顔でしわくちゃになった服を一生懸命に手で伸ばし、貴族令嬢令息が集まっているホールに酷い身なりで入らなければならないことを泣きそうになりながら耐えていた。


巻き込まれたんだろうなぁ……。 

これが彼の社交界デビューなのだとしたら、いずれ何かしら借りを返すべきではないかと良心が咎めた。

私何も悪くないけど。


そんな侍男よりも酷い表情をしている男がホールの真ん中に突っ立っていた。

口をパクパクと開け声にもならない声を出し滝のような汗をかいている。

その時点でホールにいる全員が心の中で同じことを考えたであろう。つまり、「バカ王子、やりやがったな」である。


この世界には、日本でいうメロドラマみたいな『下世話でリアルな低俗さ』を正面から描く作品は多くない。

紙も高いし、読み書きできる層も薄いから、出回るのはオペラや巨匠の書く、『お上品な文学』ばかりだ。

だから、おそらく私だけが次の展開を予想していた。この場で打てる最悪の一手である。それがどういう結果を招くのかあらかじめ知っていれば彼の運命もまだ少しマシに終わったのかもしれない、などと他人事に思いを耽っていたのだが、実際に他人になった以上、責められる謂れもない。


「そんな女ども! わたしは知らない!!」


レオがどうにか自身の潔白を言い張ろうと声をあげたので、私はその次にくる惨状を見まいと目を伏せた。

視界の端では怒り狂った女たちがレオに向かっていくのが見えたが、カエルが潰れたような音が会場に響いたのはその直後であった。


私は肉料理を皿に移そうとしていた手を止め――代わりにサラダを取り分けることにした。

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