人の死なない2〇〇団地
三雨ぬめり
人の死なない2〇〇団地を目指します
僕の住む2〇〇団地はよく人が死ぬ。
ご近所さんはみんな良い人だけど、それがこの団地の、僕の嫌いなところだ。
「今日の朝に見つかったよ」
「なにが?」
兄ちゃんの言葉に返事をすると、兄ちゃんは死体だよと言った。
「お隣のおばちゃん。飛び降りだって。昨日の夜にはベランダから落ちてたらしい」
「そう」
──おばちゃんと、昨日の昼に一度会った。ゴミ出しをしている時にたまたま会って、飴玉をくれたのを覚えている。カサカサしたシワだらけの指が、ビニールに包まれた赤いキャンディーを摘んで僕の手の上に載せたのを覚えている。
あの飴玉を、僕はどうしたっけ。
「……兄ちゃん」
「何だ」
「引越ししたい」
「ごめんな」
兄ちゃんは親指に絆創膏の貼られた手で、僕の頭をガシガシ撫でた。でも、僕はもう小さくないから、それで誤魔化されない。
「おばあちゃんがお家においでって言ってた」
「前の話だろ?」
「でも、頼るべきじゃないの」
「引越しなら、お金を貯めるのを待ってくれ」
「待ってたら死んじゃう」
2〇〇団地はよく人が死ぬ。大人の、役所の人達が沢山調査をしたけど分からないらしい。呪われているから人が死にやすいのだと噂されているし、実際人が死ぬ。だから、この団地のは"人の死なない2〇〇運動"というのが行われている。
毎日、朝起きたら喉が詰まるのだ。
──今日も生きてた。ああ良かった。
──もしかしたら、今日死ぬのかもしれない。
兄ちゃんが死んだ人のことを話す度に、今日こそはと竦んでしまうのだ。
「死なないよ」
「死んじゃうよ」
「大丈夫。ソウマは死なないよ」
「……ねえ」
兄ちゃんも怯えているのを知っている。僕がおばあちゃんを嫌いだから、だからお母さんが死んでもおばあちゃんに頼らないのだ。
「僕、我慢するから」
「我慢はダメだ!」
僕が死にたくないからそう言うと、毎回兄ちゃんは酷く怒る。大きな声を出して、ダメだと力強く僕を怒鳴る。
「──変なの。呪いなんてないのに」
「でもミコちゃん、本当に人が死んでるんだよ」
ブランコを漕ぐミコちゃんの前の、柵の所に座って、僕はそう言った。
「それは呪いじゃないのよ。もう三年生なのに変なこと言わないでよ」
ミコちゃんは僕の友達で、団地の横の公園によく遊びに来る。けどミコちゃんにはお家がある。だから、ミコちゃんは団地の呪いを信じない。
「みんなみんなバカみたい。人が死ぬのが団地のせいなわけないのに」
「ミコちゃん」
「ソウマくんもよ」
ピョンとブランコから着地して、ミコちゃんは僕の横に座った。僕は角の所に座ってるから座りやすいけど、ミコちゃんは普通の棒のところだから、座りずらそうだった。
「わからないなら確かめるべきだわ。知りたいなら知って、知らないならそれをちゃんと知るべきよ。呪いを信じたいなら、呪いがある証拠を見つけなきゃ」
「よくわかんないや」
「もう、おバカ。」
それから何でか知らないけど、ミコちゃんが僕の家に遊びに来ることになった。僕の家というか、団地を調査するんだそうだ。
兄ちゃんはまだ学校だったからダメだと言いたかったけど、何も聞かずに先々進むミコちゃんを慌てて追いかけた。ミコちゃんは女の子なのに凄く早足なのだ。
「ここが2〇〇団地ね」
僕の家の前の通路に来ると、ミコちゃんはようやく止まった。ミコちゃんが階段を三段飛ばしで登っていて、僕がそれを懸命に追いかけていたから、僕達二人とも息が切れている。
「ここがって、もうとっくに団地の中に入ってるよ」
「じゃあ言い換えるわ。ソウマくんちの前ね」
黄色っぽい壁をペタペタ触って、ミコちゃんはすぐにスカートで手をぬぐった。
「早く開けてよ」
「待って」
ダメだと言うべきだと思ったけれど、僕はいつの間にかポケットからカギを取り出していた。
──友達が家に来るなんて初めてだ。
なんだか本当に仲のいい友達みたいで、僕はついつい流されて。
鍵穴にスペアキーを刺して、そのままクルリとドアノブを回した。
「お邪魔します!」
部屋の中には西日が刺していた。
廊下までほんのり黄色に明るくて、ミコちゃんがまた先々進んだから、僕も慌てて靴を脱いで進んだ。
部屋の真ん中にはいつも通りちゃぶ台が置いていて──でも、今日はその上に人が居た。
ギイ、ギイと軋む音を鳴らしながら、そこには兄ちゃんがぶら下がっていた。
「うそ、嘘、嘘嘘……!」
流石に僕でも知っている。人は首が締まるといきができないことも、人の自殺の方法の一つに、縄に首を通して死ぬ──首吊り自殺ということがあることも。
足元には煎餅の空き缶が二つ転がっていて、兄ちゃんの足元から机までにはスペースには少しの隙間があるから、たぶんあれでやったのだ。
ああ、死んでるな、と思った。やたら臭いけど、血でも流れたのだろうか。
「──な、何なのっ!」
「ミコちゃん」
「ソウマくん──あの、あれって、お、お兄さんよね? なんで──」
「ミコちゃん」
ミコちゃんちのお母さん達に、警察呼んでもらえる?
そう言うと、ミコちゃんはとうとう泣き出してしまった。
──ミコちゃんは泣きながら、えずきながら部屋を飛び出して行った。たぶん帰ったのだ。怖いから。
じゃあ誰に通報してもらえばいいのだろう。
「兄ちゃん」
俯いた兄ちゃんの顔を覗き込んで、僕は座布団に座った。
「兄ちゃん。家に友達が来たよ。勝手でごめん。けど、いい子なんだ。前にも話したよね。ミコちゃん──覚えてる?」
ああ、と息を吐いて、それから言葉が思い付かなくて、喋ろうとするのを辞めた。
ミコちゃんが帰ってしまった。
唯一の友達だったのに。
「──……兄ちゃん。兄ちゃんが死んだよ。」
体育座りになって、そのまま膝に顔を埋める。
「こんな団地、引っ越せばよかったんだ」
おばあちゃんがぶってくるのだって、兄ちゃんがしんどくないなら我慢したのに。
「たくさん人が死ぬのだって、兄ちゃんが励ましてくれたから我慢してたのに。」
──兄ちゃんのバカ。
「僕を可哀想っていうやつらと、すっごくムカついてケンカしなかったの、ぜんぶ兄ちゃんのためだったのに」
──可哀想だって言われたって良かったのに。兄ちゃんが撫でてくれればぜんぶ誤魔化されてあげたのに。
あーあ、と鼻をすすって呟いた。
顔を上げずに横になって、寝転がったまま右を見る。そこにはピンク色に似た、透けた赤色をした飴玉が転がっていて、それは西日を浴びて袋ごと、宝石のようにキラキラしていた。
「あーあ……」
バカみたいだ。全部。
人の死なない2〇〇団地 三雨ぬめり @nmnmklll
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