第19話 理の種子、再び芽吹くもの
それから一年が経った。
世界は静寂を取り戻し、人々は再誕の大地を“奇跡の平原”と呼ぶようになった。
黒霧山脈の跡地にできた湖――ノルドの核を抱えた湖は、今では膨大な魔力を湛える聖域と化していた。
その水からは病を癒すと噂され、無数の巡礼者が訪れた。
だが、誰も知らない。湖の底には、まだ“心核の残響”が眠っていることを。
湖畔の小さな集落に、一軒の研究小屋がある。
そこに住むのは、リナだった。
かつて巫女として生き、いまは“再誕の記録者”と呼ばれている。
彼女は昼も夜も休まず、湖から漏れる微弱な魔力を観測していた。
「今日も……安定値は変わらず、ですね。」
日記帳を閉じると、疲労の色が頬に滲む。
けれども彼女の瞳は静かで強い。
机の一角に置かれた紫水晶の欠片――アレンが残した“分枝核”が小さく脈打ち、それに応えるように光を返していた。
「あなたの言葉を信じてきたけど……本当に、このまま世界は安定するんですか?」
誰もいない部屋の中で問いかける。
返ってくるのは細かな震動だけ。
それでも、時折ほんの一瞬、彼の声が届くような気がした。
『心配するな。芽吹きは静かに、しかし確かに始まる。』
音にならない囁きが、風のように流れていく。
リナは唇を噛み、窓の外を見上げた。
空には、かつてよりも星が多く輝いている。
その中央には、白銀の“再誕星”――彼が遺した星が静かに光っていた。
◇
一方その頃。
王都ルイザークは変貌していた。
再誕の衝撃で一時は崩落した都市は、今では新たな王政によって再建され、“再起都市リュミエール”と名を改めている。
新王は、かつての勇者リオルの親衛隊から立ち上がった若者――統治よりも復興を優先した誠実な王だった。
広場では市民の笑顔が戻り、交易も再び活発になっている。
だが、その陰には、再誕後に不穏な現象が増えつつあった。
生物の突然変異、魔力暴走、不可解な夢や幻覚。
“再誕の呪い”と恐れられ、人知れず封印されていく小事件。
リオルはその最前線で働いていた。
彼は勇者を辞した後、組織の依頼を受けて各地の異変を調べている。
その旅は過酷で孤独だったが、彼にはもう恐れはなかった。
剣にはアレンの理が根付いており、いかなる魔物もそれに触れれば浄化されていく。
「……やっぱり、あの“再誕”で何かが生まれた。」
リオルは地面に膝をつき、黒く焦げた土をすくった。
その下には、焼けた魔石の欠片があった。
それが淡く脈打ち、虫のように微かに動いた。
「これが……“理の種”。」
その瞬間、頭の奥に声が響く。
男とも女ともつかぬ、冷たい声。
『観測者リオル。種はすでに植えられた。人はまた選ぶだろう。破壊か、創造か。』
リオルは眉をひそめた。
それはアレンの声ではなかった。もっと無機質で、しかし耳の奥に残る感覚だけは彼に似ている。
「誰だ、名乗れ。」
『我は“律の器”。アレン・フェルドの断片にして、世界の再構成を監視する存在。人の因果を記録し、理をつなぐ。』
「つまり、お前は……アレンのコピーみたいなものか。」
『否。私は理の継承者だ。人の心を持たない。ただ、次の進化のための礎。』
「進化、だと?」
『アレンの“再誕”によって世界はひとつの段階を終えた。次に訪れるのは“適応”。
理の種を受け継げる者だけが、この時代を生き抜く。』
声が消える。
リオルはその場に立ち尽くした。
焼けた土地から、微かに淡い光が立ち上っている。
それがまるで命の息吹のようでありながら、どこか禍々しかった。
「アレン……。お前の再誕は、まだ終わっていなかったのか。」
彼は手にした魔石を握り潰した。
光が弾け、破片が風に散る。
「なら、俺はまた剣を握る。人のために。お前の理が暴走するなら、今度は俺が止める。」
決意は静かに燃え上がる。
風が彼のマントを巻き上げ、遠くの空へ光を放つ。
その光は北の地へと届き、やがて一人の少年に流れ落ちた。
◇
北方辺境の村。
雪が降りしきる夜、十二歳の少年が焚き火のそばで眠っていた。
名をカイという。
何の変哲もない孤児だが、村では奇妙な噂が広まっていた。
彼が触れるものは枯れ果てず、壊れた道具すら壊れぬ。
傷を負えばすぐに塞がり、死んだ鳥を抱けば蘇る。
「……また、光の夢だ。」
少年は目を覚ました。
掌が淡く発光している。
その光は確かにあの日――アレン・フェルドが起こした再誕の光と同質だった。
それを見た村人たちは神の加護だと信じたが、少年の胸には恐れがあった。
彼はいつも同じ夢を見る。
黒衣の男が微笑み、湖の底に沈む。
その口がかすかに動き、名前を呼ぶ。
『カイ。お前が“道”だ。』
その声があまりにも現実的で、目を覚ました後も耳から離れない。
夜明け前、村の外から誰かが彼を呼んだ。
「カイ、起きてるか?」
扉の向こうに立っていたのは、銀髪の女だった。
寒風の中でも背筋を伸ばし、旅装に身を包んでいる。
その瞳は深い紫、リナと同じ光を宿していた。
「誰……ですか?」
「名乗る前に、ひとつだけ。君は……“アレン・フェルド”を知っている?」
少年は一瞬で凍りつく。
確かにその名前を知っていた。夢で何度も聞いた名だ。
だが現実の誰かがそれを口にしたのは初めてだった。
「……夢で、聞いたことがあります。」
「やはりね。」
女は微笑んだ。手袋を外し、掌を見せる。
そこには淡い光の紋章が浮かび上がる。
それはアレンの“分解魔導紋”と同じ形だった。
「私はリナ。かつてアレン様と共にいた者です。君に、伝えに来ました。」
「伝える……?」
「新しい時代が始まろうとしています。君の中にある“光”は、世界をもう一度形作るかもしれない。」
カイは自分の手を見る。微かな脈動が鼓動に重なる。
胸の奥が痛んだ。恐怖と興奮が入り混じった感覚。
リナはその目をまっすぐに見据えたまま、静かに言葉を続ける。
「君が“理の後継者”。
アレン様が最後に残した意志の欠片。
――再誕の先に続く、“未来”そのもの。」
外の風が吹き荒れ、雪が舞う。
その中で、少年の周囲に淡い光輪が現れた。
世界が再び、動き始めようとしていた。
「さあ、カイ。目覚めなさい。今度はあなたの物語です。」
その声が響いた瞬間、少年の背から光が弾けた。
封じられていた何かが、静かに――確実に目を覚ますように。
アレンの理は終わらない。
それは“人”という生き物が存在する限り。
夜空の再誕星がひときわ強く輝き、世界の新たな鼓動を告げていた。
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