暗闇にて

羽山 涼

第1話

 暗闇を走っていた。

 明かりはない。星も月もない闇夜をぼくは走る。手を伸ばしてもなにもつかめず、ただただ足を動かして、この出口もわからない暗闇から抜け出したい一心だった。

 何かに追われているわけでもない。恐怖はこの場合外にはない。ただ、ぼくが、この暗闇に留まりたくないと思っている。それだけはいけないと、頭にうるさく誰かの声が響く。その声がぼくの声だと気が付くのに、時間はかからなかった。

 どれだけ走ったかわからない。足がもつれても、千切れそうになっても、ここで足を止めれば命の終わりであるかとさえ思う。手を伸ばす。何も掴まない。宙を掻くだけ。この暗闇には何もない。何もないのに、なぜぼくは必死に走っているのだろう。

 行かなければならないから、とぼくの声がした。

 どこに、とぼくは問う。

 どこかへ、と声がする。

 そうだ。ぼくは、どこかへ行かなければならない。この暗闇ではないどこかへ。そのために走っているのだと思い出した。先は見えず、ただ目的地もなく走ることしかできないぼくでも、きっと、いつか、どこかに辿り着けるのだと、信じたかった。

 その時だった。――ふと、遠くに灯りが見えた。

 心に火がともる。足に力が入る。あの灯りを目指せばいいのだと直感的に理解した。

 走る。走る。走る。先程までの焦燥感はなく、ただ喜びがある。目指すものがあるのだと、行くべき道があるのだと、それがこの暗闇を走ってきたぼくにとって、嵐の中の灯台のように希望に繋がっている。

 どこかへ行かなければならないと、ぼくは言った。この灯りの方へと向かえばいい。行先がわかったことが、どれほど嬉しいことか。

 近付くにつれて光は大きくなる。

 手を伸ばす。

 ぼくの手を掴む、手があった。

「灯りも持たずに走っていたのか。きみは馬鹿だなあ」

 揺れる提灯を持った友が言う。ぼくはなんと言うべきかの言葉も見つからず、ただ笑う。

「そら、水もある。少し休憩していくといい」

 休憩? ここが終点ではないのか? ぼくは疑問に思って声にしようとしたが、喉がからからで声は出なかった。ぼくは友が差し出した水筒を受け取った。

「ここは終点ではないよ。ここは中継点でしかない。きみがこんなところで先へ進むのをやめるものか。そうだろう?」

 友が言うからには、そうなのだろう。ぼくはここで、友の隣で、足を止めているわけにはいかないらしい。水筒を返す代わりに、友が提灯を差し出した。

「この提灯はきみにあげよう。これを持って進むといい」

 どこへ、とぼくは問う。

「どこへでも。だってきみは、どこへだって行けるのだから」

 提灯を受け取る。友は微笑んで手を振った。

「さようなら。きみに灯りを渡す役になれてよかった」

 さようなら。ぼくもそう言って、友に背を向ける。どうやら行かなければならないらしいから。友の隣で、昔話を語り合うこともできないようだから。

「さようなら。さようなら。きみの道行に幸があらんことを」

 友の声が消える。辺りは暗闇になった。でも、ぼくの手元には提灯がある。友がくれた光がある。

 光は行先など何も示してはくれないけれど、ぼくの心に確かにあって。ぼくの足元を照らしてくれる。行先は見えず。それでも、確かにぼくはここに立っているのだと、灯りが教えてくれる。ぼくがここにいることを、この暗闇の先にいるかもしれない次の誰かに、伝えてくれるに違いない。

 さようなら、友よ。君のおかげで、ぼくはまだ歩いてゆける。頬を一筋の涙が伝った。

 ぼくは歩く。この暗闇の先へ。

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暗闇にて 羽山 涼 @hyma3ryo

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