30話 シェルとチェル


♦︎荒れ果てた遺跡の奥。

砕けた石柱と、濃く漂う妖気の中、

二人は、再び向き合っていた。


チェル「にーちゃん!!!」


数年ぶりに見る兄の背中。

大きく、逞しくなったその姿に、胸の奥が熱くなる。


シェル「チェル、久しぶりだなぁ!!元気だったかー?」


振り返ったその顔は、

記憶の中のあの太陽のような笑顔だった。


たったそれだけの言葉なのに、

チェルの胸が、ぎゅっと締め付けられた。


チェル「にーちゃん!にーちゃん!!」


抱き付いてくるチェルにシェルの目が細くなる。

安堵と、後悔が入り混じったような瞳だった。


しかし、

その空気は、突如として引き裂かれる。


ドォン!!!


地面を震わせ、巨大な妖力が二人の間に落ちた。


「シェル、感動の再会か?」


歪んだ声。

闇の中から、敵が姿を現す。


シェル「てめーは・・・」


チェル「誰?」


シェル「俺の因縁の相手だ」


戦いが始まった。

剣と妖術がぶつかり合い、火花が宙を裂く。


互いに一歩も引かぬ激闘。

だが、その最中、

敵は、嘲るように笑った。


「そういえば、

お前たち兄弟には、まだ“教えていない事”があったな」


チェル「何!?」


敵の口元が、ゆっくりと吊り上がる。


「お前の両親、

あれは“自分の意思”で動いていたと思っているのか?」


チェル「は?」


シェルの動きが、一瞬止まった。


「俺が“操っていた”」


その一言が、空気を凍り付かせた。


「欲望が強い人間ほど、操るのは容易い。

金、嫉妬、憎しみ・・・

実に滑稽だったぞ」


チェル「・・・っ、うそだろ・・・?」


喉から、掠れた声しか出ない。

到底信じられる話ではなかった。


敵「お前の両親はなぁ、

売りたくて売ろうとしたのではない」


にやり、と歪んだ笑み。


「売るように俺が仕向けただけだ」


チェルの視界が、ぐらりと揺れた。


チェル「売るって・・・何の話だよ!」

シェル「チェル、あの二人は俺たちを売ろうとしていたんだ。」

チェル「それ、本当なの・・・?じゃあ、もしかしてにーちゃんがあの時、二人殺したの?」


言葉が、喉で詰まる。


シェル「・・・ああ」


歯を食いしばる音が、はっきりと聞こえた。


敵「お前は、哀れな人形だったんだよ、半妖。

操られた親を自分の手で殺すしかなかった。

最高の喜劇だろう?」


その瞬間。


チェル「ふざけるなああああああ!!」


感情が、完全に爆発した。


チェル「にーちゃんがどんな気持ちで!!

どんな覚悟であの日を生きてきたと思ってんだああああ!!」


チェルの魔力が、一気に噴き上がる。


シェル「チェル・・・」


震える弟の背中を見る。


チェル「操ってたって何だよ・・・

じゃあ全部・・・全部、お前の都合でにーちゃんは一人で背負ってたのかよ」


拳が、血が滲むほど握り締められる。


敵「ははははっ!

人は皆、誰かの都合で生き、死ぬものだろう?」


その言葉が引き金だった。


シェル「もう、黙れ」


低く、凍りついた声。

それは、いつものシェルではなかった。


シェル「俺はお前を許さない」


ゆっくりと、しかし確実に一歩踏み出す。


シェル「今度こそお前を倒す」


チェルも、並び立った。


チェル「俺もだ、にーちゃん・・・今度は

一緒に戦う」


チェルは怒っていた。

操った敵にも、それに気付けなかった自分自身にも。


シェルが頷き、兄弟は背中を預け合う。


操られた過去。奪われた人生。

それでも二人は立ち向かっていく。



♦︎戦いの後。


夜の静寂が、重く部屋に落ちていた。

焚き火の残り火が、ぱちりと小さく音を立てる。


チェルは俯いたまま、震える声で言った。


チェル「にいちゃん、本当なの?

母さんと父さんを殺したって」


一瞬の沈黙。

焚き火の火が揺れる。


シェル「ああ」


短い答えだった。


チェル「何で・・・」


喉を絞り出すような声。


シェル「母さんと父さんはな、

お前と俺を“売る気”で産んだんだ」


チェル「さっき、あいつが言ってたこと?」


シェルが静かに頷く。


シェル「半妖は高く売れるからだ。

その事を知ったのは、俺が三歳の時だ」


チェル「それって俺が産まれた時・・・?」


シェル「ああ」


シェルは遠くを見るように、焚き火の炎を見つめた。


シェル「夜中、布団の中で聞いたんだ。

酒を飲みながら、金の話をする声。

“次の子も当たりなら、一生遊んで暮らせる”ってな」


指先が、わずかに震える。


シェル「このままだとお前も俺も、売られる。

逃げる事も考えた。

お前を抱えて、夜の森を走る事も」


シェルは一度、唇を噛みしめた。


シェル「でも、そうしたら二人はまた子供を作る。

何度でも金の為に」


静かに、しかしはっきりと告げる。


シェル「半妖の知力と運動能力は、人の十倍程度。

少し考えれば

事故に見せかけて二人を“消す”事は、容易かった」


淡々と語られる言葉。

だがその横顔には、かすかな痛みが滲んでいた。


シェル「操られてるって分かってた。

だけど、あの時の俺は探す術も力もなかった。」


チェル「何で・・・

何でもっと早く教えてくれなかったんだよ・・・」


拳が震える。


チェル「何で!一緒に背負おうとしてくれなかったんだよ!

にーちゃんは俺が辛い時にはいつも駆けつけてくれたのに。

なのに俺は、にーちゃんが一番辛い時に何も気付けもしないで!!」


声が、嗚咽に変わる。


シェル「お前には

幸せな記憶のままで生きて欲しかったんだ」


静かな声。


シェル「ごめんな。

ずっと良いにーちゃんのままでいたかった」


その瞬間、チェルは堪えきれず駆け出した。


チェル「にーちゃん!!」


強く、強く抱きしめる。


チェル「にーちゃんは・・・

俺にとって、ずっと良いにーちゃんだよ!!

俺がいなかったら・・・

にーちゃんは一人で逃げられたのに・・・

俺がいたから・・・」


声が崩れる。


チェル「ごめん、

にーちゃんごめん・・・!!」


シェル「ばーか」


震える声で、しかし優しく。


シェル「お前が謝る事なんて、一つもない」


そっと、チェルの背に手を回す。


シェル「俺はな、

お前がいたから生きてこれたんだ」


静かに、しかし強く言い切る。


シェル「お前は俺の、大事な弟なんだよ」


チェルの喉から、嗚咽が溢れた。

声にならない涙が、次々と零れ落ちる。


シェルは、ゆっくりと弟の頭を撫でた。

幼い頃と同じように。


チェル「にーちゃん・・・ずっと辛かったよね、苦しかったよね・・・」


どんな理由があれ、両親を殺すという行為は、

子供の心に、計り知れない傷を残す。


それを誰にも言えず、

誰にも触れさせず、

たった一人で抱えてきたのだ。


シェル「なーに」


わざと、軽く笑う。


シェル「俺はもう、旅の中で何人も手に掛けてきた。

たった二人、増えただけさ」


こんな時でさえ、無理に作る笑顔。


チェル「にーちゃん、もういいんだよ・・・」


ぎゅっと、さらに強く抱き締める。


その腕の中で、

シェルの目から、一粒の涙がこぼれ落ちた。


知力も、力も、人の十倍。

それでも、心は三歳のまま。


葛藤も、恐怖も、後悔も、

誰にも見せず、誰にも預けず。


それでもシェルは、笑い続けた。

どんな時も。

太陽のように、皆を照らすために。


その笑顔の裏に、

誰も知ることのない深い傷を隠したまま――。


シェル「チェル・・・っ・・」


チェル「にーちゃん!!にーちゃん・・・!!」


二人は、声が枯れるまで抱き合って泣いた。


そして、涙が止まった頃。

シェルとチェルは、再び仲間を守る隊長の顔に戻っていた。

太陽のような笑顔とともに。

 

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