第12話 テスト勉強とダンジョン攻略、どちらが難しいか
「……詰んだ」
2年B組の教室。
放課後の茜色が差し込む中、俺、黒峰カイは机の上に置かれた一枚の紙を見つめて、絶望の声を漏らした。
そこに書かれているのは、前回の小テストの結果だ。
『数学Ⅱ:12点』。
赤いインクで大きく書かれたその数字は、Sランクモンスターの攻撃力よりも遥かに俺の精神(メンタル)を削ってくる。
「なんでだ……。魔法の術式構築なら、数万行のコードを一瞬で解析できるのに。なんでこの『二次関数』とかいうやつは、俺の頭に入ってこないんだ」
俺は頭を抱えた。
現代の探索者は、身体能力だけでなく知力も重要視される。
特に魔法制御やダンジョンの構造解析には、高度な数学的知識が必要不可欠……とされている。
だが、俺の場合は『感覚(センス)』と『才能(チート)』で全てをねじ伏せてきたタイプだ。
「ここをこうして、ドーン!」で魔法が発動する俺にとって、途中式を書けだの、証明しろだのという学校のテストは、未知の言語で書かれた魔導書よりも難解だった。
「来週は中間テスト……。赤点を取ったら、補習でダンジョンに行けなくなる」
それはまずい。
今、俺の配信チャンネルは急成長中だ。ここで活動を休止すれば、せっかくついたファンが離れてしまうかもしれない。
何より、補習を受けている間、金が稼げないというのは死活問題だ。
「はぁ……どうしたもんか」
俺が机に突っ伏していると、頭上からクスクスという可愛らしい笑い声が降ってきた。
「あらあら、あの最強の探索者様が、たかが紙切れ一枚に随分と苦戦しているようですね?」
顔を上げると、そこには銀髪を揺らす天道ヒカリが立っていた。
彼女は興味津々といった様子で、俺の答案用紙を覗き込んでいる。
「……笑いに来たのか、ヒカリ」
「まさか。心配して来てあげたんですよ。カイ君、今度のテストやばいって噂、クラスで流れてますから」
ヒカリは俺の前の席に、ちょこんと座った。
ちなみに彼女は、探索者としてトップクラスでありながら、学年成績も常にトップ3に入るという、天が二物も三物も与えた完全無欠超人だ。
「数学、苦手なんですか?」
「苦手というか、実戦で使わない知識を脳が拒絶してるんだ。サインコサインとか、いつ使うんだよ」
「弾道計算とかに使いますよ? カイ君、昨日ダンジョンで『風魔法の入射角を調整して跳弾させた』って言ってましたよね? あれ、計算式にすると黒板三枚分くらいになりますけど」
「あれは感覚だ。『ここだ!』ってところに撃てば当たるんだよ」
俺が真顔で答えると、ヒカリは呆れたように、そして感心したようにため息をついた。
「……やっぱりカイ君って、天才肌の野生児なんですね。わかりました」
彼女はパンと手を叩き、ニッコリと微笑んだ。
「私が教えてあげます。カイ君の専属家庭教師、特別に引き受けてあげましょう!」
◇
というわけで、俺たちは図書室に移動した。
放課後の図書室は静かで、勉強するにはうってつけの環境だ。
……ただし、俺たちが座った席の周りを除いては。
「おい、見ろよ。黒峰と天道さんだ」
「マジで付き合ってんのかな?」
「図書室デートかよ、青春してんなぁ」
「俺も天道さんに勉強教えてもらいてぇ……」
周囲の生徒からの視線とヒソヒソ話が痛い。
俺たちが並んで座っているだけで、図書室の一角が観光地化していた。
「カイ君、集中してください。よそ見してたらチョップしますよ」
「わ、わかってる。でも視線が……」
「私だけを見てればいいんです」
ヒカリはそう言って、俺の目の前にノートを広げた。
彼女の字は、性格を表すように整っていて読みやすい。
「いいですか、カイ君の弱点は『理屈』を知らないことです。答えは合ってるのに、途中式が書けないから減点されてるんです」
「だって、答えが出るんだからいいだろ」
「ダメです。学校はプロセスを評価する場所なんですから」
ヒカリはシャーペンを回しながら、スパルタ教師の顔になった。
「まずはこの問題。放物線のグラフです。カイ君、これを『スライムを投げる軌道』だと思ってください」
「スライム?」
「はい。頂点がスライムの最高到達点。このx軸が地面です。スライムがどこに着地するか、計算で求められますよね?」
「……なるほど。風速と空気抵抗を無視すれば、着地点はここか」
「正解! じゃあ次は、この連立方程式。これは『二体のゴブリンが別々の方向からカイ君に向かってくる時の、衝突地点の予測』です」
「だったら、俺はここで迎撃するから……解は(3, 5)か」
「そうです! カイ君、やればできるじゃないですか!」
ヒカリの教え方は独特だったが、俺の脳みそには劇的にフィットした。
数学記号をダンジョンの事象に置き換えることで、拒絶反応が消え失せたのだ。
「すごいなヒカリ。お前、教える才能あるぞ」
「えへへ、そうですか? カイ君のためなら、これくらいお安い御用です」
彼女は嬉しそうに微笑み、机の下で俺の足に自分の足をコツンと当ててきた。
甘い空気が流れる。
勉強中だというのに、ドキドキして心拍数が上がる。これもテストに出るんだろうか。
その時だった。
「……何イチャイチャしてんだよ、気色の悪い」
不愉快な声が、静寂を切り裂いた。
本棚の影から現れたのは、顔に大きなガーゼを貼ったキラだった。
後ろには、同じく包帯姿のミナとゴウもいる。
彼らは先日の『翠緑の迷宮』での失態以来、学校を休んでいたはずだが、今日から復帰したらしい。
ただし、その姿は痛々しく、周囲の生徒からは「あ、自爆して逃げた人たちだ」「プッ」と笑われていた。
「キラ……何の用だ?」
「用なんてねぇよ。ただ、俺たちが必死にリハビリしてる間に、お前らが能天気にデートしてるのが腹立っただけだ」
キラは俺たちの机をコンコンと指で叩いた。
「おいカイ、聞いたぞ。数学12点だったんだってな? プッ、傑作だぜ。ダンジョンでいくらイキっても、頭の中身は猿以下ってわけか」
「そうだそうだ! 私なんて35点も取ったんだからね!」
ミナが低いレベルのマウントを取ってくる。
ゴウに至っては、「俺は名前書き忘れて0点だったけどな!」と何故か胸を張っていた。
俺はため息をついた。
こいつら、本当に暇なんだな。
「……邪魔だ、キラ。俺は今、勉強中なんだ」
「ハッ! お前みたいな落ちこぼれが勉強したって無駄だろ。どうせ赤点取って、補習地獄に落ちるのがオチだ。そしたら配信もできなくなって、ざまぁみろってな!」
キラは大声で笑った。
図書委員が「静かにしてください!」と睨んでくるが、お構いなしだ。
俺が何か言い返そうとした時、隣のヒカリがスッと立ち上がった。
彼女の表情から、笑顔が消えていた。
その瞳は、ダンジョンの最深部よりも冷たく凍てついている。
「……『スターダスト』の皆さん」
ヒカリの声は静かだったが、その場にいた全員の背筋を凍らせるような迫力があった。
「カイ君は今、真剣なんです。あなたたちのような、過去の栄光にすがりついて他人を足引っ張ることしか能がない人たちとは、時間の使い方の価値が違うんです」
「なっ、なんだと!?」
「12点だろうが何だろうが、カイ君は努力しています。自分の弱点と向き合って、克服しようとしています。失敗を他人のせいにして、怪我の治療もせずに学校で喚き散らしているあなたたちより、よっぽど尊いと思いませんか?」
ヒカリの正論パンチが炸裂する。
周囲の生徒たちも、「うわ、天道さんかっこいい」「スターダスト、ダサすぎ」と頷いている。
「それに」
ヒカリはキラを一瞥し、フンと鼻を鳴らした。
「カイ君の頭脳は、あなたたちには理解できないレベルで動いているだけです。12点なのは、学校のテストがカイ君の次元に追いついていないから。……凡人が天才を笑うなんて、滑稽ですよ」
最後の一言は、完全にトドメだった。
キラは顔を真っ赤にして、パクパクと口を開閉させた後、
「お、覚えてろよ! テストの結果が出たら、恥をかくのはお前らだかんな!」
と、いつもの捨て台詞を残して逃走していった。
嵐が去った後の図書室に、再び静寂が戻る。
「……言い過ぎじゃないか? 俺、本当に12点なんだけど」
「いいんです。事実はどうあれ、カイ君を馬鹿にするのは私が許しませんから」
ヒカリは座り直すと、またニッコリと天使の笑顔に戻った。
この切り替えの早さ。やはりこの女、強い。
「さ、邪魔者も消えましたし、続きをやりましょう。次は歴史です! カイ君、1500年の『第一次魔導大戦』の年号、覚えてますか?」
「いや、さっぱり」
「もう! これは重要ですよ! いいですか、語呂合わせで覚えるんです。『以後、丸裸(1500)にされた魔王軍』って!」
「……なんか、変な語呂合わせだな」
◇
一時間後。
俺の脳は限界を迎えていた。
数学はともかく、歴史や古文といった暗記科目がどうしても入ってこない。
座って文字を見ていると、強烈な睡魔が襲ってくるのだ。
「ダメだ……。文字がスライムに見えてきた……」
「むぅ、カイ君の集中力が切れちゃいましたね。……仕方ありません」
ヒカリは決心したようにノートを閉じた。
そして、鞄から一着のジャージを取り出した。
「え、何?」
「座学がダメなら、実技です! カイ君の得意分野と絡めて覚えましょう!」
「実技って……まさか」
「行きますよ! 『初級ダンジョン・試練の洞窟』へ!」
◇
場所は変わって、学校の裏山にあるFランクダンジョン。
ここは主に初心者の練習用として開放されている場所だ。
ジャージ姿に着替えた俺とヒカリは、夕闇迫る洞窟の中にいた。
「いいですかカイ君! ルールは簡単です!」
ヒカリが指揮棒(どこから出した?)を振るう。
「私が問題を読み上げます。カイ君は、その答えを叫びながら、モンスターを倒してください!」
「……それ、意味あるのか?」
「脳と体を同時に動かすことで、記憶を定着させるんです! 最新の学習法ですよ!」
本当かよ。
だが、ヒカリの目は本気だ。やるしかない。
「第一問! 『枕草子』の作者は!?」
目の前にゴブリンが現れる。
俺は構えた。
「清少納言ッ!!」
ドゴォッ!!
俺の拳がゴブリンの顔面にめり込み、一撃で粉砕する。
「正解! 次、コボルト二体! 鎌倉幕府の成立年は!?」
「イイクニ(1192)作ろう鎌倉幕府ッ!!」
ズバァーン!
蹴りが炸裂し、コボルトが壁のシミになる。
叫ぶことで、確かに脳に年号が刻み込まれていく気がする。
恥ずかしいが、誰も見ていない(配信外だ)から大丈夫だ。
「いい調子です! 次、スケルトン! 元素記号、Hは何!?」
「水素オオオオオッ!!」
「Naは!?」
「ナトリウムウウウウッ!!」
バキッ! ボコッ!
俺が正解を叫ぶたびに、哀れなFランクモンスターたちが宙を舞う。
ストレス発散も兼ねているせいか、俺の動きは普段よりキレていた。
「ラスト問題です! オーク出現! 三角形の面積の公式は!?」
巨大なオークが棍棒を振り上げてくる。
俺は懐に飛び込みながら、腹の底から叫んだ。
「底辺×高さ÷2ィィィィィッ!!」
ドオオオオオオオンッ!!
渾身のアッパーカット。
オークは遥か彼方、洞窟の天井に突き刺さった。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」
俺は肩で息をした。
汗びっしょりだ。Sランクダンジョンより疲れたかもしれない。
「全問正解です! おめでとうございます、カイ君!」
「……これ、明日になったら忘れてないだろうな」
「大丈夫です。あのオークの手触りと共に、三角形の面積は永遠にカイ君の心に残りますから」
どんなトラウマ学習法だよ。
だが、不思議と頭はスッキリしていた。
机に向かっている時のモヤモヤが消え、知識が筋肉とリンクした感覚がある。
「ありがとう、ヒカリ。なんか、行ける気がしてきた」
「ふふっ、よかったです。お礼は……今度のテスト明け、デートでお願いしますね?」
「……ああ、わかったよ」
俺たちは夕焼けの下、並んで帰路についた。
テスト勉強とダンジョン攻略、どちらが難しいか。
結論は、「どっちもヒカリがいれば、なんとかなる」ということにしておこう。
◇
数日後。
テスト返却の日。
俺の机には、各科目の答案用紙が戻ってきていた。
恐る恐る点数を確認する。
数学:72点
歴史:85点
古文:68点
化学:90点(元素記号を叫びすぎた効果だ)
「……よしッ!」
俺は小さくガッツポーズをした。
平均点を余裕で超えている。赤点回避どころか、中の上くらいの成績だ。
これなら補習もないし、配信活動も続けられる。
「やりましたね、カイ君!」
後ろの席から、ヒカリが身を乗り出してきた。
彼女の手には『全科目満点』の答案が握られている。さすがだ。
「ヒカリのおかげだよ。あの『モンスター記憶法』、馬鹿にできなかったな」
「でしょ? じゃあ、約束のデート、楽しみにしてますからね!」
俺たちが笑い合っていると、教室の前方からドンという大きな音がした。
「ふ、ふざけんな……! なんで俺が赤点なんだよ……!」
見れば、キラが真っ青な顔で答案用紙を握りしめていた。
点数は『15点』。
彼はリハビリ(という名のサボり)に時間を使いすぎて、全く勉強していなかったらしい。
「嘘だ……俺が補習……? 放課後のダンジョン配信ができなくなる……?」
「私もよ……。追試代でお小遣いが消える……」
ミナも突っ伏して泣いている。
ゴウは「テスト用紙を破れば点数は無効になるはずだ!」と現実逃避を始めていた。
「ざまぁみろ、ですね」
ヒカリが冷ややかに、しかし楽しそうに呟く。
俺は苦笑しながら、窓の外を見た。
彼らには悪いが、今の俺には彼らを気にする暇はない。
テストも終わった。
次は、週末のダンジョン攻略、そしてヒカリとのデートが待っている。
最強のサポーターは、学業という強敵にも(ギリギリで)打ち勝ったのだった。
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