第11話 俺の「防御結界」がないと、スライムの攻撃も痛いそうです

「痛いッ! 痛い痛い痛い!」


東京都内、探索者協会(ギルド)直轄の総合病院。

その特別病室から、情けない男の悲鳴が響き渡っていた。

声の主は、元『スターダスト』の前衛職(タンク)、ゴウだ。


「おい看護師! もっと痛み止めをくれ! 傷口が焼けるように熱いんだよ!」

「もう投与限度量はいっぱいです! これ以上は体に毒ですよ!」

「ふざけんな! かすり傷だぞ!? なんでこんなに痛いんだ!」


ベッドの上でのたうち回るゴウの全身には、無数の赤い斑点のような火傷と、切り傷があった。

それは、彼らが『翠緑の迷宮』から撤退する最中、パニックになって遭遇した下級モンスターたちに付けられたものだ。


「うるさいわね! あんただけじゃないのよ!」


隣のベッドで処置を受けているミナも、ヒステリックに叫んだ。

彼女の自慢の長い髪は一部がチリチリに焦げ、肌もボロボロに荒れている。


「私の肌が……! ダンジョンの空気に触れただけで、こんなにガサガサになるなんて聞いてないわよ! 化粧水持ってきて!」

「知らねぇよ! 俺だってMPが枯渇して頭が割れそうなんだ!」


リーダーのキラも、頭を抱えて蹲っていた。

魔力欠乏症(マナ・ショック)。

自身の限界を超えて魔力を行使した後に起こる、激しい頭痛と吐き気。

今まで彼がこれを経験しなかったのは、俺が常に裏で魔力譲渡を行い、彼の負担を肩代わりしていたからだ。


「……信じられない。あんたたち、本当にAランクなの?」


部屋の隅、椅子に座って不貞腐れている赤髪の女、アリスが冷ややかな視線を送る。

彼女だけは後衛で逃げ足が速かったため、軽傷で済んでいた。


「ゴウ、あんた『俺の肉体は鋼鉄だ』とか豪語してなかった? 帰り道で遭遇したグリーン・スライムの酸液ごときで『ギャアアア!』って泣き叫んでたわよね」

「うっ……! あ、あれは変異種だったに違いねぇ!」

「ただの雑魚スライムよ。私が見た限り」


アリスは鼻で笑った。


「それにミナ。あんた、ポイズン・ビーの針が一本かすっただけで『毒が回るぅぅぅ!』って失神したじゃない。解毒魔法も使えないの?」

「だ、だって……詠唱する余裕がなかったのよ!」

「言い訳ばっかり。結局、あんたたちって『張りボテ』だったってわけ?」


アリスの容赦ない言葉が、三人の胸をえぐる。

だが、反論できなかった。

事実、彼らは弱かった。

かつては「蚊に刺された程度」だと思っていたスライムの酸液が、皮膚を溶かす激痛を伴うものだと初めて知った。

「サウナみたいで暑いな」と笑っていた中層エリアの熱気が、肺を焼くほどの環境ダメージだと初めて知った。


全ては、黒峰カイという「見えない防護壁」がなくなった結果だ。


「くそっ……カイの野郎……!」


キラは震える手でタブレットを操作した。

画面に映っているのは、現在進行形で行われている、俺とヒカリのコラボ配信だ。


『同接200万人突破』

『ボス部屋到達!』

『カイくんのバフえぐすぎ』

『ヒカリちゃん無傷』


画面の中の俺たちは、彼らが命からがら逃げ出したダンジョンのさらに奥、最深部に到達していた。

しかも、汗一つかいていない涼しい顔で。


「なんでだよ……なんであいつらだけ、あんなに楽そうなんだよ……!」


キラの歯ぎしりの音が、病室に虚しく響いた。

彼らが感じている痛みは、肉体的なもの以上に、プライドを粉々にされた精神的な激痛だった。


          ◇


一方、ダンジョン最深部。

巨大な扉の前。


「ふぅ……いよいよですね」


天道ヒカリが、少し緊張した面持ちで深呼吸をした。

ここまでの道中、俺たちは数多のモンスターをなぎ倒し、ついに『迷宮の主』の間へとたどり着いた。


「体調はどうだ? 魔力は?」

「万全です! というか、むしろ入る前より元気なくらいです」


ヒカリは不思議そうに自分の体を見下ろした。

白い戦闘衣は泥汚れ一つなく、新品同様に輝いている。

激戦を潜り抜けてきたはずなのに、疲労感がない。


「カイ君のサポート魔法……本当に凄いです。まるで、見えない羽衣に守られているみたい」

「『多重防御結界(マルチ・レイヤー・シールド)』と『環境適応(バイオ・コンディション)』を常時展開してるからな。あと、自動回避補助も入れてある」

「えっ、いつの間に!? 詠唱聞こえませんでしたよ?」

「呼吸と同じだよ。意識しなくても発動するようにしてある」


俺がさらりと言うと、ヒカリは呆れたように、そして嬉しそうに笑った。


「もう……カイ君がいると、私が強くなったと勘違いしちゃいそうです。これじゃあ『スターダスト』の人たちが勘違いしたのも、少しだけわかる気がします」

「彼らは感謝どころか文句ばかりだったけどな」

「私は違いますよ。ちゃんとわかってます。この力が、カイ君からのプレゼントだってこと」


ヒカリは真っ直ぐに俺を見つめた。


「だから、このボス戦……私がメインで戦わせてください。カイ君のサポートがあれば、私がどこまでやれるか証明したいんです」

「わかった。背中は任せろ」


俺は頷き、重厚な扉に手をかけた。


ギギギギギ……。


地響きのような音と共に、扉が開く。

中に広がっていたのは、広大な地下庭園だった。

そしてその中央に、禍々しくも美しい、巨大な花の怪物が鎮座していた。


『クイーン・アルラウネ』。

Aランク上位、この迷宮の支配者だ。

上半身は妖艶な美女の姿をしているが、下半身は巨大な花弁と、無数の触手に覆われている。


「キシャアアアアアアッ!!」


美女の口が裂け、耳をつんざくような咆哮が放たれた。

『威圧(プレッシャー)』の効果を持つ叫びだが、俺の『精神耐性付与』を受けているヒカリには効かない。


「行きます! 『聖光の翼(ホーリー・ウィング)』!」


ヒカリが地面を蹴る。

俺の『加速(ヘイスト)』を受けた彼女の速度は、弾丸のように速い。

背中に光の翼のエフェクトを纏い、空中に飛び上がる。


「『光の雨(レイン・オブ・ライト)』!」


上空から無数の光弾をばら撒く。

アルラウネの触手が迎撃しようと蠢くが、俺は指先だけで風を操った。


「そこだ」


ヒュッ。

見えない風の刃が、ヒカリの死角から迫っていた触手を切り落とす。

ヒカリは攻撃に集中できる。防御を考える必要がないからだ。


『すごい! ヒカリちゃんの動きキレッキレ!』

『弾幕ゲームみたいな攻撃を全部避けてるぞ』

『いや、よく見ろ。避ける前に攻撃が逸れてる』

『カイくんが風で軌道変えてるのか』

『神サポートすぎる』


コメント欄が盛り上がる中、アルラウネが形態を変化させた。

花弁が赤く染まり、周囲に毒々しい紫色の胞子が撒き散らされる。


「猛毒花粉だ! ヒカリ、吸い込むな!」

「はいっ! 『浄化(ピュリフィケーション)』!」


ヒカリが即座に浄化魔法を展開するが、範囲が広すぎる。

視界が紫に染まり、逃げ場がない。


「させないよ」


俺は一歩前に出た。

右手をかざす。


「『拒絶領域(アブソリュート・バリア)』」


キィィィィン!!


空間が鳴動した。

俺とヒカリを中心に、半径五メートルの球状の結界が出現する。

それはガラスのように透明だが、ダイヤモンドよりも硬い絶対的な壁だ。

猛毒の花粉も、怒り狂ったアルラウネの触手攻撃も、全てがその壁に弾かれ、無効化される。


「えっ……?」


ヒカリが目を丸くした。

目の前で、太さ一メートルはある触手が、俺たちの鼻先数センチのところで「見えない壁」に激突し、ひしゃげているのだ。

衝撃音すら遮断されているため、中は静寂に包まれている。


「今のうちに詠唱を。最大火力でいい」

「は、はいっ!」


俺の言葉に、ヒカリが我に返る。

安全地帯の中から、彼女は杖を掲げた。

誰にも邪魔されない、完全な集中状態。

彼女の魔力が練り上げられ、膨大な光が集束していく。


「聖なる星よ、邪悪を討ち滅ぼせ……!」


アルラウネは必死に結界を叩くが、ヒビ一つ入らない。

かつて『スターダスト』のゴウが、スライムの酸で泣き叫んでいたのと比較すると、あまりにも残酷な対比だ。

俺の結界の中では、Aランクボスの必殺技ですら、そよ風以下なのだから。


「『天聖光(スターライト・ブレイカー)』!!」


カッッッ!!


まばゆい極光が放たれた。

一直線に伸びた光の奔流が、アルラウネの巨体を飲み込む。

断末魔を上げる暇もなく、迷宮の主は光の中に消滅した。


ドォォォォォン……。


遅れて響く爆発音。

光が収まると、そこには何も残っていなかった。

ただ、キラキラと輝く魔石と、宝箱だけが転がっている。


「……勝った……?」


ヒカリが呆然と呟く。

そして、ゆっくりと俺の方を振り返った。


「勝ちましたよ、カイ君! 私、Aランクボスを倒しちゃいました!」


彼女は感極まったように飛びついてきた。


「おっと」


俺は彼女を受け止める。

柔らかい感触と、石鹸の香りが胸に広がる。

配信中だということを忘れて、彼女は俺の首に腕を回してはしゃいでいる。


「カイ君のおかげです! あの結界、すごすぎます! 私、一歩も動かずに魔法撃てちゃいました!」

「ヒカリの火力が凄かったからだよ。俺はただの壁役だ」

「ううん、最高のパートナーです!」


『リア充爆発しろ(二回目)』

『最強の壁役』

『スターダストが見たら泡吹いて倒れるレベル』

『ていうか、あのバリア何? 魔法無効化? 物理無効化?』

『両方だろ。チートすぎる』

『これもう国が保護すべき人材だろ』


コメント欄の熱狂は最高潮に達していた。

同接数はついに二五〇万人を記録。

俺とヒカリの初コラボは、伝説的な成功を収めたのだ。


          ◇


ボスのドロップ品を回収し、ダンジョンを出た頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。

俺たちは駅前のカフェで、配信の締めくくりを行っていた。


「いやー、楽しかったですね! カイ君、また絶対一緒に行きましょうね!」

「ああ、機会があればな」

「『機会があれば』じゃなくて、『来週も』です!」


ヒカリは強引に約束を取り付けると、カメラに向かって満面の笑みで手を振った。


「皆さん、今日の配信はここまでです! アーカイブも残すので、チャンネル登録と高評価、よろしくお願いしまーす!」


配信終了のボタンを押す。

ふぅ、と俺たちは同時に息を吐いた。


「お疲れ様、ヒカリ。さすがに疲れただろ」

「精神的には少し。でも、体はピンピンしてます。……カイ君のおかげで」


ヒカリはストローでアイスティーをかき混ぜながら、少し真面目な顔になった。


「ねえ、カイ君。私、本気ですよ?」

「ん?」

「私とパーティ組みませんか? 正式に」


彼女の瞳は真剣だった。

夕日が差し込む窓際で、銀髪がキラキラと輝いている。


「今日、確信しました。カイ君となら、世界中のどんなダンジョンでも行けるって。私、もっと高い景色が見たいんです」

「……」

「それに、カイ君も一人じゃ寂しいでしょ? ご飯食べる時とか、背中流す時とか」

「背中は一人で洗えるけどな」


俺は苦笑した。

だが、悪い気はしなかった。

『スターダスト』のような依存関係ではない。

お互いの実力を認め合い、背中を預けられる関係。

今日一日を通して、ヒカリが信頼に足るパートナーであることは十分すぎるほどわかった。


「……まあ、専属契約って形じゃなくていいなら」

「えっ?」

「俺はソロとしても活動したい。でも、ヒカリが困ってる時は優先的に手伝うし、難関ダンジョンには一緒に挑む。そういう『相棒』的なポジションなら、悪くないかなって」


俺がそう提案すると、ヒカリは目を丸くし、やがて花が咲くように破顔した。


「はい! 十分です! 『相棒』……いい響きですね!」


彼女はテーブル越しに身を乗り出し、俺の小指に自分の小指を絡めた。


「指切りげんまんですよ。嘘ついたら、激辛カレー百杯の刑ですからね」

「それは勘弁してくれ」


俺たちは笑い合った。

こうして、俺と天道ヒカリの奇妙なパートナー関係が結ばれた。


          ◇


その夜。

俺のスマホは、再び通知の嵐に見舞われていた。

だが、それは以前のような誹謗中傷ではない。


『大手ギルド・ドラゴンハートより勧誘の件』

『探索者専門誌・月刊シーカー取材依頼』

『企業案件のご相談』


山のようなオファー。

その中には、俺を捨てた『スターダスト』が所属する事務所からの、「契約再交渉のお願い」という虫のいいメールも混じっていたが、俺は秒でゴミ箱に入れた。


そして、SNSでは一つのハッシュタグがトレンド入りしていた。

『#カイの結界が欲しい』


そこには、多くの現役探索者たちの切実な書き込みが溢れていた。


『俺もカイ君に守られたい』

『スターダストはなんでこんな神サポーターを手放したんだ?』

『今日のスターダストの撤退劇と、カイ君の無双動画の比較作ったわ』

『結論:カイがいないとスターダストはEランクパーティ』


世間の評価は完全に逆転した。

俺は「最強のサポーター」として崇められ、かつての仲間たちは「無能な集団」として嘲笑の的となった。


病院のベッドで、その書き込みを見ていたキラは、スマホを握りつぶしそうなほど力を込めていた。


「ふざけるな……ふざけるな……! 俺はまだ終わってない……!」


彼の目には、どす黒い怨念の炎が宿っていた。

プライドをへし折られた男の逆恨みは、時としてモンスターよりも厄介な毒となる。

だが、今の俺にはそんな負け犬の唸り声など、届くはずもなかった。


俺はベッドに入り、ヒカリから送られてきた『今日のお礼に、今度手料理振る舞いますね!』というメッセージを見て、少しだけ口元を緩めた。

明日からはまた、騒がしくも新しい日常が始まる。

テスト勉強もしないとな、なんて学生らしい悩みを抱きながら、俺は深い眠りについた。

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