【エッセイ】働いていると本が読めないこの時代に、私は本が読みたいのです

春生直

第1話

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という三宅香帆さんの本が、ベストセラーになった。


確かにそれはその通りで、仕事が忙しいと、とても仕事に関係しない本を読む気にはなれない。

小説なんて、もってのほかだ。


私は医者なのだが、数年前は初期研修という、いわば修行期間だった。

そこでの生活はすさまじいもので、朝5:45に出勤し、夜遅く帰る。

当然、残業代などない。


そんな生活をしていたら、本が読めなくなった。

昔はあれだけ沢山の読書をしていたのに、スマホをスクロールするだけで、わずかな自由時間は消えてなくなった。

生きる気力まで、どんどん無くなっていった。

悲しくないのに涙が出てきて、自分がなぜ生きているのか、わからなくなった。


最近は少し仕事が落ち着いたので、やっと本が読める。

全然、仕事に関係ない話を読む。

古典なら芥川やシェイクスピア、最近のラノベに、不朽の名作。

自分でもいくつか、書いてみたりする。


みるみるうちに、とはいかないが、じわじわと水が乾いた大地にしみるように、心は元気を取り戻した。


平野啓一郎さんの、「分人主義」という言葉があるが、要は場面に応じて様々な自分がいる、ということだ。

読書も同じで、それを読んでいるときは、仕事をしている自分とは違う自分だ。

ともすれば仕事一辺倒になりがちな自分の人生を、取り戻すことができる。


本当の自分、というのはいくつあっても良いものだが、昔読書の世界を羽ばたいていた自分だって、大切な自分なのだ。


働くのは、疲れる。

それでも、自由時間はゼロではない。

これは、意志の問題なのだ。


いつも疲れている。

それでもスマホを置いて、本を手に取りたい。


それは、この働かなければ生きていけない世の中に対する、ささやかな私の反抗だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【エッセイ】働いていると本が読めないこの時代に、私は本が読みたいのです 春生直 @ikinaosu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画