どうせみんな死ぬ。~出汁をダシに~

さくらのあ

夫婦善哉

「ママ、パパ、行ってきまーす!」


 腰に届くほどの桃髪は、私に似てサラサラのストレート。くりっと大きな黒目は父親似だ。


「愛音ちゃん、待って待って」


「どうしたのパパ? 私が一人でお出かけするから寂しくなっちゃった?」


 玄関まで追いかけていく父親を、娘の愛音は振り返る。


「はは。まあ、少し寂しいっちゃ寂しいけど、そんなことは気にしなくていいんだよ。それよりも傘、持った? 夕方から雨が降るみたいだから」


「持ってない! ありがとう、パパ! 大好き!」


 愛音は傘立ての傘を引っ掴んで、今度こそ、出発しようとする。


「あまり、まなさんを困らせないようにしてくださいね、愛音」


 と、背後から念のため呼びかけると、愛音はもう一度、振り返った。


「大丈夫! クレイアさん、ママほどは困らされてないって言ってたから! 今度こそ、行ってきまーす!」


 そう言って私の返事は聞かず、愛音は傘を持った手を元気よく振って、出発した。


「うきゅっ……」


 大ダメージを受けて、唸るしかできない。


「あはは。愛音ちゃんすごいな」


「ええ。まさか、愛音にやり込められる日がこんなにも早く来るなんて、思ってもみませんでした」


「成長だねえ」


 なんだかんだあって、娘の愛音も高校生になった。今では休日の度に、私のまなさん――マナ・クレイアのもとに勉強を教えてもらうという名目で、遊びに行っている。


 教えること自体は、私でもできる。ただ、私の監督下だと、愛音の集中力が続かない。思い悩む時期もあったが、実の子どもなのだからそういうものだという結論に達して、今では私のまなさんにお願いしている。それにしても。


「私のまなさんに勉強を教わるなんて……ウラヤマシイ……」


「一応言っておくけど、愛ちゃんのまなちゃんじゃないからね?」


「いいえ、私のまなさんです」


「違います。――さて。コーヒーでも飲む?」


「飲みます」


「はいはい。ちょっと待っててね」


 夫とはかれこれ二十年近くの付き合いになるが、いつからか、軽くあしらわれるようになった気がする。なんとなく、立場が逆転してきたような……?


 ソファに座って待っていると、おそろいのコップに注がれたコーヒーが、目の前に差し出される。それを両手で受け取り、ふーふーしてから飲むと、夫がいつものように、隣に座った。


「あちち」


 毎回、舌を火傷している夫にも、二十年も一緒にいれば、もはや特段、何も言わないし、思わない。若い頃なら、気をつけて飲んでください、くらいは言っていたかもしれないが。


 夫はカップを左のサイドテーブルに置いて、その脇に置いてあるメガネをケースから出してかけ、本を開いて、長い足を組む。いつもの流れだ。別に、観察したって何かいいことがあるわけでもないけれど、他に見るものもないので見てしまう。


 今、夫が読んでいるのは、とあるライトノベルだ。面白さで言えば、中の下くらいのやつ。設定にやや難があり、山場では盛り上がりに欠け、技名だけが異様にかっこいい。あと絵がかわいい。


 ただ、夫は二つのことを同時にこなせるほど器用ではないので、私が読書中に話しかけると、そのページの頭から読み返す。どこまで読んだっけ、状態である。


 それを見ていると、自分でも勝手だとは思うが、そこはかとなくイラッとするので、読書中に声はかけないようにしている。


 ――コーヒーは、砂糖だけ入れる派だ。夫はコーヒーを淹れるのが上手で、本当に美味しい豆しか使わない。その風味を味わうのが好きだ。砂糖は入れなくてもいいけれど、夫の気分次第で甘かったり、ブラックだったりするのを楽しんでいる。


 話は変わるが、私はなまじ、なんでも上手くできてしまうから、どちらかと言えば常に暇を持て余している方だ。やるべきことはその時に。やりたいことは、その日のうちに。


 夫が読んでいる本も、私なら速読で、一分もかからずに読める。だからこうして、コーヒーを片手に本を読もうなんて発想にはならない。ただ、夫が紙をめくる音を隣で聞いているのは、好きだ。夫がコーヒーを飲むタイミングでこっそり同時に飲んだりするのも、ひそかな楽しみだったりする。


 とはいえ、そういう遊びは三分もすれば飽きてしまって、すぐにちょっかいをかけたくなってしまう。が、我慢我慢。別に夫の邪魔をしちゃだめとかそんなことはどうでもいいけれど、私がイラッとしてしまうので、我慢だ。


 コーヒーを片手にできることといえば。色々思い浮かびはするが、ひとまず、スマホゲームは却下。リロード時間が長くてイライラしてしまう。私は待てない。過去には、絵を描いたり、文字を書いてみたりもしたが、どうもしっくりこなかった。


 最近はもっぱら、楽器を隣で奏でている。残念ながら、弾き方さえ分かればどんな楽譜でも弾けてしまうので、練習の必要がない。本当に、つまらない人生だ。


 仕方なく、新しい楽器を試すことにする。手をうようよ宙で動かして、曲を奏でる楽器だ。はたから見れば魔法使い、と言ったところか。


 それからしばらくして。


「え、よく見たら待って。……何その楽器、いや、楽器……なの? まなちゃんの人形の周りで、怪しい儀式をやってるようにしか見えないんだけど。でも、普通に音は聞こえてくるし、脳がバグる」


 本から顔を上げた夫が、栞を挟んで話しかけてきた。しめしめ、やっと釣れた釣れた。


 まなさん人形(夫作)の中に、テルミンという楽器を入れたこの楽器は。


「名付けて……マナサミンです!」


「新しい栄養の名前かな??」


 テルミンとは、楽器に直接触れずに演奏する不思議な楽器だ。世の中にはそれをマトリョーシカの中に入れた、マトリョミンという楽器が存在するが、これはそのまなさんバージョンなので、マナサミンという名前だ。そういうことにした。


「どうやって鳴らしてるの?」


「根本的な仕組みとしては、お寺の鐘がぐわんぐわんうなるようなものですね」


「ああ、ゴーン、ゴーン、ゴーン、って響くやつ? ……いや、どういう関係があるのか、全然分かんないけど」


「やってみますか?」


 夫がマナサミンを演奏する様子は、どこからどう見ても、不審者だ。女の子の人形で何をやっているのやら。ドン引き。


「……いや、これ、めちゃくちゃ難しくない? なんでそんな完璧に演奏できるのさ?」


「私だからです」


「その一言で何でも片付くと思ってない??」


「思ってますし、実際そうですけど」


「事実だったねえ」


 夫がぐいっとコーヒーを飲み干すのを見て、私もぐいっと飲み干して手渡すと、夫はすぐにそのコップを洗いながら、くすっと笑った。


「なんですか?」


「いや。さすがにちょっと、影響受けてるなあと思って」


 一瞬、何のことだろうと思ったが、すぐに思い至って、笑ってしまう。


「……ふふっ。あなたも、私にかまってほしかったんですか?」


 どうやら、私が読書の邪魔をしたかったのと同様に、夫は夫で邪魔してくれないかなーと思いながら読んでいたらしい。いやに真剣だと思ったら、そういうことだったか。まあ、私のかまちょが感染ったということだろう。


「愛ちゃんほどそわそわしてないけどね」


「む。別に、そわそわしてません」


「えー?」


 と言いながら、コップを洗い終えた夫がソファに戻ってくる。


「でも、コーヒーもずっと同じタイミングで飲んでたじゃん」


「うきゅっ……。それは、その、ぐ、偶然です」


 バレてた。


「ふーん。ま、いいけどね」


 と言って、夫は再び本を開いた。私がそれをじとーっと見つめると、今度は本を閉じて大きく笑った。


「ほら。やっぱりそわそわしてるじゃん」


「そわそわしてます。かまってください」


 袖をちょんとつまんで、上目遣いにアピールしてみる。


「えーやだよ。これ、読んじゃいたいし」


 が、再び本を開いた夫の鉄壁の防御に阻まれて、ノーダメージ。


「なっ。むむむ……。それなら、本と私とどっちが――」


「比べるものじゃありません。面倒なこと言わないの」


 と言いながら、袖をつかむ手をはんなりと外され、邪険にされてしまった。


「……まなさんみたいなこと言って!」


「まあまあ、愛ちゃん、きっと疲れてるんだよ。ちょっと寝てなよ」


「むきゅーっ!」


 昔なら、絶対に相手してくれたのに、最近はすげない。これが、倦怠期ってやつ……!?


「……コーヒー、おかわり」


 どうにか邪魔してやろうと、おかわりをオーダーしてやる。


「二杯目以降はセルフでどうぞー」


「みゅっ!?」


 軽くあしらわれてしまった。くぅ……。


 その後で夫がページをめくったのを見て、衝撃を受ける。


 二つのことを同時にできないはずなのに……私ごときの相手、邪魔にすらなってないってこと!? いつも、頭から読み返して私をイラッとさせるくせに、その必要もないってこと!?


「次、邪魔したら、今日のお昼はピラフにしようかな。コーンたっぷりの」


「きゅきゅっ!?!?」


 それは困る。非常に困る。コーンだけは、できる限り、食べたくない。だって、美味しくないもん。


「スープはコーンスープにして、飲み物はとうもろこし茶にしようかな」


「うきゅぅ……」


 話しかけないようにしよう……。


 なんて、思っていられるのも、せいぜい三秒。結局、気づけばどうやって邪魔するかばかり考えている。


 右手で本を持った夫が、左手をサイドテーブルに置いて、指をぴこっ、ぴこっと、動かし始める。私はじーっとそれを見て、ぴゃっと、飛びつく。


「ぴゃっ」


「ネコか」


「ネコだったら、もっとかまってくれますか?」


「いや。ネコだったとしても一緒だね」


「むぅ……」


 まあ、暇なのは平和な証拠なのだが。それにしたって、由々しく暇だ。


「私が、ネコだったら。あなたの膝の上に乗って、自慢の毛並みですりすりして、撫でたくてたまらなくしてあげるのに」


「うーん。別に、すりすりされても、放置だと思うけど」


「今みたいに?」


「今みたいに」


 釣れない。まあ、いつも釣れないんだけど。まったく、こんなにかわいい妻が隣にいるのに、どうしてそう平然としていられるのか。理解に苦しむ。


「なんでぇ」


「仕方ないじゃん。これ、面白いんだから」


 そう言う夫の視線の先には、本がある。


「……すぐ飽きるようにと、面白くないものを選んで渡したつもりだったんですが」


 夫が読んでいるのは、私が勧めたライトノベルだ。何か読みたいと言う夫にわざわざ中の下の作品を勧めたのは、そういう理由。


「そう思って読むと結構、面白いよ。愛ちゃんからすると、技名がかっこよくて、絵はかわいいけど、ストーリーがいまいち、なんて思ってるのかなーって」


「そ、そのとおりですが……」


 心の中が筒抜けだった。実は、心を読む能力――マインドリードを持っているとか……!?


「マインドリードがなくても分かるよ。かれこれ二十年一緒にいるんだから」


「うひぅゅっ!?」


 読まれたっ。なんて顔で見ていると、夫は視線だけ上げて、ちょうど開いていたページ――主人公がマインドリードを使うページを指さして、してやったりと笑った。ぐぬぬ……。


「それに、愛ちゃん、分かりやすいからね」


「分かりやすくないです」


「えー? 全部顔に出るじゃん」


「出してあげているんです」


 分かりやすい風にしてあげているのであって、分かりやすいわけじゃない。断じて、違う。違うったら違うの。


「いやいや。僕が話しかけられる度に本の頭から読み返すの見てイラッとしてるのとか、全部出てるけど?」


 それもバレてた。


「うぐっ。じ、じゃあ、今何を考えてるか当ててみてください」


「えー、やだ。面倒くさい」


「きゅぃーっ!」


「鳴き声のレパートリー多いなあ」


 絶対に当たらない自信があるのに。


「……それを読み終わったら、かまってくれるんですか」


 そうだとするならば、邪魔せず大人しくしていようと思う。夫にだって趣味を楽しみたいときくらいあるだろう。私だって、いつもこんなにかまってほしいわけじゃないし。いくら、私のことが好きだって言っても、たまには気分を変えたいときだってあるだろうし。


「あーうんうん。かまってあげるよ。昼ご飯作って掃除して買い物行って晩ご飯の支度して洗濯畳んだらね」


「長い! そんなに待てない! 私が、やります!!」


「お、愛ちゃんやってくれるの? ありがとう! じゃあ、先に掃除してきてくれる? それが終わったら買い物メモ渡すから、タイムセールの時間になったら買ってきて」


「楽勝です」


 ちゃちゃっと掃除して、買い物に出たあたりで、やられた、と気が付いた。


 二十年も一緒にいれば、夫が家事をこよなく愛する変態で、料理も掃除も洗濯も大好きだというのは知っている。


 問題は、スーパーのタイムセール――もとい、食品の買い出しだ。人混みを嫌う夫はどうしても、人のいる時間を避けて買い物に行く。私が買いに行けばいいのだが、嫌なので、行かない。別に、ネットで頼めばいいと思うの。寒いし、歩くと疲れるし、人も多いし。


 でも夫曰く、手に取っていいと思ったものを買いたいらしく。まあ、夫のそういうところは別に嫌いじゃないんだけど。ともあれ、まんまと、おつかいに出されてしまった。


「えーと、お豆腐、豚バラ、白菜、大根、ネギ……これ、完全に鍋の準備ですね」


 会計を待っている間も暇で、事件でも起きたりしないかなーなんて、不謹慎なことを考えたりもする。ヤバいやつが入ってきたら、その瞬間に察知してボコボコにして警察に突き出すのに。


 まあ、事件が起きてほしいというよりは、この有り余る才能を役立てたい――もとい、ちやほやされたいだけなのだが。そんな、中学生みたいな妄想にふける、三十代後半。


 今日も今日とて、特に何もなく一日を終えて、帰宅。夫は私が出ていったときとまったく変わらない姿勢でそのままそこにいる。本は、あと少しで読み終えそうだ。


「愛ちゃんありがとうー」


 ここでまんまと、こき使われた、なんて、言ってはいけない。


「いえ。冷蔵庫に入れておきますね」


 そもそも、普段ほとんど座っている時間のない夫がたまに趣味を楽しんでいるときくらい、本当はそっとしておいてあげるべきで。


 いくら夫が家事好きだとはいえ、そういうマイナスな言い方をするのはよくない。……我慢我慢。


「あははっ。こき使われたーって顔してるね」


「し、してません。たまには買い物、楽しいなーって思いました」


「へー。じゃあ次もよろしくね」


「うきゅっ。た、たまにだから楽しいだけで……」


 夫が本から顔を上げて、けらけら笑う。


「あはは、冗談だよ。そもそも、愛ちゃんが進んで家事するなら、結婚してないしね」


 ぽすっと、夫の隣に座る私。


「……私、出会ったときからそんなに、ヒモ女っぽかったですか?」


「うーん。ヒモっていうか、ヒモノっていうか……まあ、何もしないでって言えば、少しの罪悪感もなく本当に何もしないだろうなあとは思ってたかな」


「罪悪感……? 私のお世話をさせてあげているのに、なぜ罪悪感を抱く必要があるんですか?」


「ほんとに一ミリも思ってないところが笑えるよね」


 そう。実際、夫が家事をやってくれることに対して、感謝こそすれど、悪いと思ったことはただの一度もない。むしろ、やらせてあげているとまで思っている。


「……でも、その割に今日は手厳しいような」


「早くこれ、読みたいからねえ。大好きな家事を我慢して、早く読みきって、感想言い合いたいからさ」


 家事を我慢、なんて。そんな発想はなかった。二十年一緒にいても、お互いに分かりきれていないところは意外とあるものだ。


「――それなら、次はもっと面白いものを持ってきますね」


「それは困るなあ。他のことができなくなりそう」


「だめです。私にかまうのが一番大事ですから」


「うーん。晩ご飯作ってくれたら、その時間でかまってあげられるかもねえ」


「なぜ誰も得しない提案をするんですか……?」


 作りたい人が作って、作りたくない人が作らないというだけなのに。逆転させたところで誰も嬉しくない。


「でも、たまには愛ちゃんの手料理、食べたいなーと思ってさ」


 そう言われると……。ちょっと、やる気になってくる。言うわりに視線が本しか見ていないのが、ちょっともやっとするけど。


「あなたが作ったほうが美味しいでしょうに」


「愛ちゃんが作ってくれたものなら、なんでも美味しいよ」


 夫はお世辞が得意なタイプだ。けれどこれに関しては、本当にそう思っているのだろう。


「またそういう、少女漫画みたいなセリフを素で言って……」


「天邪鬼だねえ」


「別に嬉しいですけど何か?」


「素直だねえ」


 そうそう。私はいつだって素直なのだ。だから作ってほしいと言われたら、当然、作るに決まっている。


「今日は鍋の予定でしたよね」


「ん? 豚バラと白菜のミルフィーユと、大根のステーキと、豆腐とネギの味噌汁の予定だったけど」


「固いものから順に煮込んで終わりじゃないんですか!?」


 明らかに鍋の材料だし、ミルフィーユと言いつつやっぱり鍋だけど、何かが……何かが、違う!


「あはは。まあ鍋にしても本気で作ろうと思うと、下準備とか盛り付けとか、いろいろ工夫はできるよ」


「鍋に本気とかあるんですか……?」


「我が家はいつも出汁の調合から始めてるね。あと、白菜とか水分が多い野菜はレンジで温めて絞ったり、お肉を入れるタイミングも出汁によって変えてるよ。あと鍋のどこに何を敷き詰めるかは結構大事で、あ、彩りは人参を花の形にしたりして見栄え良くしてるね。あとお麩に食紅で色つけたりとか。まあ、今回は人参もお麩も買ってないけど――」


「ひっ」


 どれだけ料理好きなのこの人。特にお麩なんて、色がついてるの買ってこればいいじゃん。食紅で着色してたとは思わなかった……。ちょっと怖い……。


「や、やっぱり、あなたが作ったほうが――」


「ま、とは言っても鍋だからね。出汁の調合はただの趣味だし、今どきお店で美味しい出汁なんていくらでも売ってるし、そういうやつの方が美味しいかも」


「使ったことは……?」


「んーと……ない、ね。うん。ないと思う」


 頭の中で確認しているのだと分かる様子で、夫がそう言った。


「……ずっと、やたらと美味しい鍋の素で作ってるなーと思ってました。毎回味が違うのは、アレンジをしているのかと。だって、あんなに複雑な風味、市販のものだと思うじゃないですか」


「あそう? 美味しいならよかった」


 夫の料理好きは今に始まったことではないし、凝り性なのも知ってはいたが、まさか出汁から作っているなんて。


 鰹節のそのままのやつ――本枯節を買ってきて、家で削ってるのは、たまに見てるから知ってたけど。にぼしとかも、コーヒーフィルターなんかで丁寧に濾していたのかもしれない。


「……それを私に作れと?」


「言ってない言ってない。でも、そうだね。うちには水に溶かすだけで出汁になるなんて便利なものはないしなあ」


「買いましょうよ。今どき出汁から取れなんて、私でも言いませんよ」


「うーん。でも、僕が作った方が美味しいからさ」


 まあ、私の舌なら違いは分かるけれど、夫に関しては、本当に分かって作っているんだろうか。


「そう言うあなたこそ気づかないのでは?」


「いーや、分かるね。絶対に分かる」


「分かるんですかぁー? 本当にぃー?」


「当然、作ってるんだから分かるさ。そんなに言うなら、今日の晩ごはん、愛ちゃんが作ってみなよ。何の出汁か当ててみせるからさ」


「言いましたね? 分かりました。本気で作ってみせます」


 お昼は夫が作ったオムライスを食べて、晩ごはんの時間になってからは愛音が帰ってきて三人で仲良く鍋を囲んだ。夫は一発で市販の出汁だと見抜いていた。絶対に分からないと思ったのに。まあでも、美味しいって言ってくれたけど。


 ――また、してやられた。


 ……でもまあ、そんなに悪い気分でもないかな。


 まったく。つくづく、私をやる気にさせるのが上手いものだ。

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