ソシャゲで推し全員に課金指輪を贈っただけなのに、異世界で修羅場が始まった件

緋色の雨

プロローグ

「なるほど、寝るところだったのよ」


 ヴェルターラインのマイルーム。俺が眠るベッドを前に、ドレス風の戦闘服を纏ったレーネが冷ややかに笑った。彼女の右手には、脱ぎ捨てられたタイトスカートが握られている。

 そのタイトスカートの主、セフィナは俺が眠るベッドの左側に隠れていた。夜這いの途中、後からやってきたレーネに見つかりそうになって、慌ててベッドに潜り込んだのだ。


 俺は両方と関係を持っているため、バレれば修羅場は必至である。

 それに加えて――と、反対側の床に視線を向けると、そちらには女性の下着が脱ぎ散らかされている。レーネでも、セフィナでもなく、ベッドの右側に隠れるリーシアのものである。

 彼女もまた夜這い中で、二番目に来たセフィナから隠れるために身を潜めている最中だ。


 リーシアとレーネは戦友で、リーシアとセフィナは姉妹のように仲がいい。そしてレーネとセフィナも決して知らぬ仲ではない。

 そんな彼女らを前に、純愛×3(三股ともいう)がバレそうになって大ピンチ――いや、さきほどのレーネの言動から考えても、ベッドの中に誰かいることはバレている。

 どうしてこんなことになってしまったのか? 俺はただ、ソシャゲを純粋に楽しんでいただけなのに――と天井を見上げた俺は、いまの自分――レンになる直前のことを思い返した。



-『Chord MAHS』新章PV-


 旧文明が誇った巨大な円環都市アーク=ノード。いまは滅んだその都市の片隅、朽ちたビルの屋上に小柄な少女が伏せ、静かにスナイパーライフルを構えている。ジャケットとチェックのスカート姿の彼女は、強い風に前髪やスカートの裾をはためかせながらも微動だにしない。


「距離三百四十。気温二三度、湿度四十八。南西から秒速三メートルの風……修正完了」


 彼女が覗き込むスコープの向こうでは、荒廃した街が燃えている。そう錯覚するほど、紅い魔力が陽炎のように立ち込めていた。

 MAHS患者による魔力の暴走現象だ。


 紅く染まった十字路で瓦礫が宙を舞っている。その中心には、血のように紅い瞳の女性。一見すると一般人にしか見えない女性が理性を失い、周囲に破壊を撒き散らしている。


「――早く、終わらせてあげないと」


 少女は祈るように呟いて、コネクトレインと呼ばれる通信機能をオンにする。


『マスター、対象を補足しました。いつでも――撃てます』


 少女は苦しみながらも迷わない。

 どんなに願っても、救えない命がある。引き金を引くことだけが、彼らを苦しみから解き放つ唯一の術になり得ることを、彼女は身を以て知っている。

 だが、マスターからの返事はない。


『マスター、射撃の許可を』


 時が経つほど引き金は重くなる。焦燥感を募らせるリーシアの耳元で青年の声が響いた。


『――リーシア、待機だ。俺が調律術式で彼女の理性を呼び覚ます』

『なっ!? 無茶です、マスター! 彼女にもう理性は残っていません!』

『いや、彼女のそばにある瓦礫の影を見ろ』


 少女――リーシアと呼ばれた彼女はスコープで周囲を確認する。

 無残な姿となった男を見つけるが、近くに瓦礫はない。その瓦礫を探して周囲を見回すと、点々と続く赤いシミを見つけた。

 そのシミが続く先、瓦礫に寄りかかる人影があった。


「……女の子?」


 まだ十代になったばかりくらいの女の子。

 脇から血を流しているが、胸はまだわずかに上下している。


『――マスター! あの子は生きています!』

『分かってる。だが、あれは刺し傷だ。暴走したMAHS患者に付けられた傷じゃない』

『それは……まさかっ』


 スコープでたどった道を遡れば、男の遺体の近くに血塗られたナイフが落ちていた。


『そのまさかだ。女性はあの子供を守るために暴走した。誰かのために命を燃やすMAHS感染者をむざむざと死なせるわけにはいかない』

『それはわかりますが一人行くのは無茶ですっ! せめて救援を待ってください!』

『……ダメだ。救援を待っている時間はない』


 反論の声は寸前で飲み込んだ。わずか一瞬にありったけの葛藤を抱いて、それでもリーシアは決断を下した。


『私は、マスターを信じます。――指示を』


 覚悟を秘めたリーシアの瞳が紅く染まり、彼女の周囲に淡く紅い光りが舞い始めた。


     ◆◆◆


『――さて、リーシアの信頼には応えないとな』


 廃墟となった道路の片隅。

 マスターと呼ばれた青年――レンは灰と黒のジャケットを翻して歩き出した。目指すのは、深紅に染まった広場の近く、破壊をもたらす女性の元だ。


 女性はいまも暴走を続け、周囲の瓦礫などを素手で破壊している。

 彼女の紅く染まる瞳はMAHS患者の特徴だ。

 症状が強まると目が紅く染まり、紅い魔力があふれ出る。最後は理性を失うなどの症状が現れ、そのまま死ぬまで暴れ続けることになる。

 けれど、レンにはそれを止める術があった。


「エーテルギア起動」


 レンがそう口にした直後、リストバンド型の端末の液晶パネルに5:00.00と表示され、それが過ぎた時間に合わせて減り始める。

 身体能力が何倍にもなり、レンは戦場に香る血の匂いを感じ取った。


『リーシア、あの女性の注意を引いてくれ』

『了解しました。――撃ちます』


 頭上で轟音が鳴り響き、ビルの瓦礫が崩れ落ちた。それに驚いた女性が空を見上げる――瞬間、レンは一気に距離を詰めた。

 レンの接近に気付いた女性が振り返り様に裏拳を放つが、レンはとっさに屈んで回避。そのまま懐に飛び込んで、彼女が反応するより速く腕を掴んだ。


 ――ユニークスキル、調律術式を発動。


 彼女の意識の中にレンの意識が浸食する。それと同時に彼女の深い絶望と悲しみが逆流し、レンの心を蝕もうとするが、レンはかまわず女性の意識を呼び覚まそうと呼びかけた。

 女性が声にならない悲鳴を上げ、レンを振りほどこうと暴れ始める。


 稼働限界まで2:35.23。

 エーテルギアを使うレンの身体能力は常人の数倍にも及ぶが、暴走状態にあるMAHS患者はそれの比ではない。レンはすぐに振りほどかれそうになるが――


「自分を見失うな! おまえはあの子を護りたいんだろう!?」


 その声に、女性の抵抗がわずかに弱まった。レンは調律術式に全力を注ぎ、必死に女性の心に訴えかける。ほどなく、周囲に漂う紅い魔力がわずかにその濃度を下げた。


「あぐっ、わた……しは……っ」

「戻ってこい! 魔力を抑え込むんだ!」

「私より、あの子を……アマリリスを……っ、このままじゃっ、あの子も……っ」


 レンはとっさに女の子――アマリリスへと視線を向ける。女性の言葉から導き出した可能性は受け入れがたい現実を示していた。だが、現実を受け入れられずにいるあいだにも、エーテルギアの使用限界は2分を切り、刻一刻とその数字を減らしていた。

 レンは意を決して導き出した予測を口にする。


「……あの子も、発症しているのか?」

「そう、よ。でも、目が少し、ほんのちょっと赤くなっただけ。なのにあいつら、急にアマリリスを刺したのよ!」

「――っ」


 紅い瞳はMAHS患者の象徴。

 ――いつだってそうだ。一般人はMAHS患者を恐れ、過剰に排除しようとする。それこそが、悲劇の引き金になっているとは考えもせずに。


「……あぁ、あの子は! アマリリスはどうなったの!」


 女性が叫んだ瞬間、紅い魔力が弾けた。周囲に衝撃波が走り、辺りの瓦礫が吹き飛んでいく。レンはその衝撃に晒されながらも必死に叫ぶ。


「あの子なら生きている! だから自分を取り戻せ!」

「生きて、いるの?」

「ああ、生きてる! だが、幼いMAHS患者が一人で生きていくのは不可能だ! あんたが生き延びて、そばで支えてやるんだ! それがあの子のためだ!」

「アマリリスの、ため……?」

「そうだ。アマリリスために。落ち着いて、魔術の流れを俺に委ねるんだ」


 レンが必死に訴えかけると、再び周囲を覆う紅い魔力が薄くなり始めた。深紅に染まり、爛々と光っていたその瞳も赤みが薄れ、理性の光が滲み始めた。

 だが次の瞬間、レンは女性に突き飛ばされた。


「なにを――」


 するのかと手を伸ばした向こう側、銃を構える男の姿が目に入った。


「この感染者がっ!」


 銃声は二つ。

 一つは、男の持つ銃を腕ごと吹き飛ばした。

 反射的に、リーシアが撃ったのだと理解する。

 だがそれより一瞬早く、男の銃から放たれた弾丸が女性に吸い込まれた。女性は仰け反り――直後、女性の纏う魔力が膨れ上がった。

 それはさきほどまでの比ではなく、魔力が暴風のように吹き荒れる。レンはとっさに近くに倒れていたアマリリスを庇うが――直後に飛んできた瓦礫の一撃を受けて意識を飛ばした。


『――マスター! しっかりしてください、マスター!』


 コネクトレインを通して、リーシアの声が響く。レンが歯を食いしばって目を開くと、右手を失った男が壁際に追い詰められているところが見えた。


「くっ、来るなっ! この化け物が!」


 子供のように腕を振り回す――が、そんなモノはなんの障害にもならない。やがて男は接近した女性の一撃によってその一生を終えた。

 そして、女性が次に視線を向けたのはレンだ。

 レンはとっさにエーテルギアのカウントを確認するが、既に表示は消えていた。更に言うと一度離れたことで調律術式も途切れている。絶望的な状況。


「正気になれ!」


 必死に呼びかけるが、女性は反応を示さない。レンの近くには、アマリリスが倒れているが、その娘を気遣う様子すらみせない。

 あと少しだったのにと、レンは唇を強く噛む。

 直後、女性がレンに向かってきた。


『マスター、狙撃の許可を! このままでは殺されます』

『……ダメだっ』

『マスター! 母に娘を殺させるつもりですか!』

『――っ、腕を狙え!』


 レンが答えた数秒後、女性の腕が真っ赤に染まった。女性はよろけるが、それでも止まる様子はない。そのままジャンプし、レンに向かって拳を放った。

 レンは反射的にアマリリスを抱えて横に転がった。寸前までいた場所に拳が叩き込まれ――地面が大きくえぐられ、その衝撃で吹き飛ばされた。

 肺の空気が一気に押し出され、視界から色が消える。


『マスター! 次が来ます!』


 レンがとっさに顔を上げる――その視界に映ったのは、女性の振りかぶった拳。だが、彼女が拳を振るうより速く、ドンという音がして女性は横に吹っ飛んでいった。


『いまのは……リーシア、か?』

『いえ、いまのは――アスペリアの先兵です、すぐに退避を! ――援軍はまだですか! マスターが! 速く救援を、大至急です!』


 レンは朦朧とした意識の中で、リーシアの焦った声を聞いていた。

 直後、地面に影が映り、荒々しい姿の女が虚空から降り立った。

 粉塵が輪を描き、アスファルトに細かな亀裂が咲く。


 深紅の髪に赤い服を纏う彼女は、深紅の瞳で壁により掛かる女性を見下ろしていた。女性の手足はあり得ない方向に曲がっており、既に瀕死であることが見てうかがえる。


「……いま楽にしてやる。言い残すことは、あるか?」

「あの、子を……アマリリスを、おね、がい……」


 女性が透明感の微笑みを浮かべて願う。

 理性が戻っている。いまなら彼女を救えるかもしれない。レンは起き上がろうと地面に手を突くが、その身体は言うことを聞いてくれない。


「やめ、ろ……っ」


 地面に這いつくばったレンは、それでも必死に腕を伸ばす。

 だが――


「――ああ、分かった」


 赤髪の女が拳を振り抜き――壁には深紅の花が咲いた。

 MAHS患者の女性はそれっきりピクリとも動かない。それを見届けた赤髪の女は踵を返し、アマリリスを抱きかかえたレンに視線を向ける。


「そこのおまえ、その嬢ちゃんがアマリリスだな?」

「だと、したら?」


 ピリピリとした緊張感を抱きながら、レンは油断なく女の隙をうかがっていた。全身が動かずともまだ意識はある。リーシアに命令を下すべくコネクトレインを起動するが――それより一瞬早く、女は「無事か?」と気遣いの言葉を口にした。

 それがアマリリスへの気遣いであることに、レンは一拍遅れで気付く。


「……あ、ああ。刺されて、いるが、治療すれば……間に合うはずだ」

「……そうか。なら、こちらに渡してもらおう」

「こと、わる。アスペリアに、MAHS患者は……渡せない」


 レンが絞り出すように答えると、女の眉がピクリと跳ねた。


「……その嬢ちゃんも、感染者か」

「ああ、そうらしい」

「……そうか。だったら……てめぇなら、その嬢ちゃんを救えるのか?」

「救う。必ず」

「はっ、無様に這いつくばりながら、よく大言が吐けるモノだな。口ではなんとでも――」


 女が一歩を踏み出した瞬間、彼女の足下が大きくえぐれた。女は一瞬だけ、遠くのビルの屋上に視線を向け、再びレンに視線を戻した。


「ちっ、あのちっこいエースが来てやがるのか」


 女は悪態を吐き、それから髪を掻きむしった。


「あぁめんどくせぇ。――おいてめぇ。アタイはヴァネッサだ」

「……俺は、レン、だ」

「あぁそうか、てめぇがあのレンか。……いいだろう。その嬢ちゃんはてめぇに預けてやる」

「いい、のか……?」

「ああ。その代わり――必ずその子を救って見せろ、必ずだ!」

「……ああ、約束、する」


 ヴァネッサはレンの返事を聞いて踵を返した。

 その後ろ姿を見送るレンの意識が徐々に遠くなる。


「――マスター、救援が来ました。マスター? 返事をしてください、マスター!」


 慌てるリーシアの声を聞きながら、レンはゆっくりと意識を手放した。

 

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