第10話 鶴とコウモリ



 空は黒いのに、建物や周囲だけが妙にはっきりと見える境内。


 翼で鍵盤をなぞりながら、こちらへ視線を向けるコウモリ。


 境内は学校の校庭ほど広く、あちこちには複数の蜘蛛の巣が、張り巡らされていた。

 無言のまま見つめ合っていると、コウモリが口を開けた。その瞬間、不意にいなりが苦しげに顔を歪めた。

「この音は……超音波っ」

「え??俺らにはなんも聞こえねぇけど」


 四季螺の言う通りだった。僕たちには、何ひとつ聞こえていない。

 いなりの苦しげな表情が緩んだその時。


『動物が一匹。人間が二人か……面倒だな』 


 コウモリは視線を外し、再び鍵盤へ向き直ると、翼で静かに撫でた。そして

「っ……!!」


 コウモリが一音鳴らした次の瞬間、空間に浮かんだ音符と五線譜が、こちらへ飛来した。瞬時に身をかわしたが、背後の地面には大きな穴が穿たれていた。

『この中に、鶴雪 三明は居ますか??』

「……」


 コウモリの問いに、誰も答えない。俺も、答える気はなかった。

 沈黙を先に破ったのは、コウモリのため息だった。

『なら、皆殺しです。私は演奏を邪魔されたくないのです』


 コウモリが演奏を始めた途端、複数の音符と五線譜が、奔流のように飛来した。音符が地面を抉り、石畳が砕け散る。五線譜が鞭のようにしなり、柱を真横から断ち切った。

 まともに受ければ終わりだ。

 横へ跳ぶ――その瞬間、視界の端が閃いた。電気。次の瞬間、身体が横へ強引に引き寄せられた。

 気づけば、四季螺が僕の腕を掴んでいた。電気が弾けるような速さで、石畳の上を滑る。

「ちょっと、前!!」

「す、すまねぇ!!まだ慣れてないんだー!!」


 まだ能力に慣れていないせいか、四季螺と僕はそのまま壁にぶつかった。だが、止まっている暇はない。即座に飛んでくる音符と五線譜を避けた。

「避け続けててもきりがない!!ピアノを壊すのだ!!」

『そうはさせません』


 鍵盤が、重く叩かれた。

 空気が震え、音符が今度は散開する。一直線じゃない。逃げ道を塞ぐように、四方から迫ってくる。横へ跳ぶ。床を蹴る。砕けた石が足元で滑る。その時、視界の端に揺れが走った。

 ――蜘蛛の巣。

 境内一面に張り巡らされた、細い糸。音符が掠めるたび、巣がわずかに震える。

「……違う」


 思わず呟いた。

「ピアノだけじゃない」

「な、何が!?」


 四季螺が叫ぶ。

「あの巣だ……」


 次の瞬間、コウモリの翼が止まった。顔は上を向いたまま。

 焦点の合わない目が、まっすぐこちらへ向く。

『気付きましたか』


 低い声。

『私は目が見えていません。ですが――』


 鍵盤を、静かに一音。その瞬間。境内中の蜘蛛の巣が細かく震えた。

『空気の揺れ。足の振動。呼吸。この場所にいる限り、あなた達の位置は全て分かる』


 背筋が冷えた。つまり

『どこへ逃げても無駄です』


 次の一音。今度の音符は、迷いなく一直線に僕らへ向かってきた。

「っ……!!四季螺!!」


 いなりが叫び、四季螺へ鋭く目を向けた。

四季螺は地面を蹴る。電気が弾ける。だが、その踏み込みで巣が震えた瞬間、コウモリの口元がわずかに微笑んだ。

『お見通しですよ』


 音符の軌道が、途中で変わる。

「っ……!!」

 避けた先へ、もう一発。

 さらに横へ跳ぶ。だがまた、先回りされる。まずい。このままじゃ、完全に追い詰められる。その時。

 四季螺が、低く息を吐いた。

「……だったらさ」


 足の電気が、じわりと強くなる。

「巣、全部焼き切ればいいんだろ」


 石畳が、弾けた。

 電光の踏み込みで、四季螺が一直線に駆け出す。足元から奔った雷が、蜘蛛の巣を舐めるように走った。白い糸が一瞬きらめき、次の瞬間、黒く焦げる。ジジッ、と焼ける音。張り巡らされていた巣が、連鎖するように燃え広がった。

『な……!』


 コウモリの羽がわずかに揺れる。空間を満たしていた微細な振動が、一瞬だけ乱れた。その隙。

「今だ!!」


 四季螺がさらに踏み込む。音符が飛ぶ。

だが先ほどまでのような精密な軌道じゃない。音符がわずかに逸れた。

「外れた」


 僕は横へ滑り込み、そのまま地面を蹴る。

視界の先、焦げ落ちた巣の向こう。

――ピアノ。

「四季螺、一直線」

「分かってる!!」


 雷光が爆ぜる。焼け残った糸を強引に引きちぎり、四季螺が最後の距離を詰める。

コウモリが叫んだ。

『させません――!!』


 鍵盤が叩かれる。無数の音符が、今までで最大の密度で放たれた。だが。

「遅いぜ」


 四季螺は止まらない。雷を纏った拳が振り上がる。

「終わりだ!!」


 だが、足元からが飛び出し、糸を噴き上げた。その糸が四季螺の拳を絡め取り、突撃を阻止した。

「焼け、ない!?」


 蜘蛛の吐いた糸は、周囲の巣とは性質が違った。電撃を浴びても焦げるだけで、焼き切れなかった。

「硬っ……!?」


 細い影が、わらわらと這い出してくる。柱の裏から。屋根の梁から。地面の巣の隙間から。黒い蜘蛛が、次々と姿を現した。

「……嘘だろ」


 四季螺は僕らのもとへ後ずさる。だが蜘蛛たちは彼ではなく、一直線にコウモリのもとへ走っていった。

『子供たちよ。力を貸してほしい』



【続く】

 

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