私の悩みを吸い込む箱

@chanchan32

第1話

月明かり書店のしおり


 最終バスに乗り遅れた夜、私は人気のない商店街を歩いていた。

 ふと、閉店したはずの古い書店にだけ明かりが灯っているのに気づく。


「……こんなお店、あったっけ?」


 引き寄せられるように扉を開けると、カラン、と優しい鈴の音が鳴った。

 奥から現れたのは白髪まじりの店主。穏やかな顔で言った。


「いらっしゃい。探しものは、もう見つかってますよ」


「え? 何も言ってないのに……」


 店主は微笑み、古びた棚へ静かに手を伸ばす。

 一冊の本を取り出し、私に差し出した。


 タイトルは『明日のあなたへ』。


「これは……?」


「“明日の自分に必要な言葉だけが書かれる本”です。ページは、あなたが開くまで真っ白ですよ」


 半信半疑でページをめくると、そこに一行だけ文字が浮かび上がった。


『今日を生きたあなたは、思ったよりずっと強い』


 胸がきゅっと締めつけられる。

 今日、仕事で失敗して落ち込んでいたことを、誰にも話していなかったのに。


「心が弱ったときほど、自分の声が聞こえなくなるものです」

 店主がそっと続ける。


「この本は、あなたの“明日の一歩”を映す鏡なんですよ」


 気づけば目が熱くなっていた。

 私は深く息を吸い、ゆっくり閉じた。


「……ありがとうございます。これ、いくらですか?」


 すると店主は首を横に振った。


「料金はいりません。それの代わりに——」


 棚の上に置かれた小さな箱を指差す。


「いらなくなった“悩みのかけら”をひとつ、この中に置いていってください」


 私は迷った末、小さくつぶやいた。


「今日の失敗……もう、引きずらない」


 そう言って、箱にそっと手を触れると、ふわりと柔らかい光が広がった。


 店を出ると、いつの間にか明かりは消えていた。

 月明かりだけが静かに道路を照らしている。


 手に残った本のしおりには、新しい文字が浮かんでいた。


『また迷ったら、おいで』


 私はページを閉じ、胸の奥で小さく頷いた。


明日は、きっと大丈夫だ。


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