クサいサンタはお好きですか
萬多渓雷
この日を失敗に終えた。つまり今年はダメな年。
今年のクリスマスは大失敗だ。
断ることもできる飲み会に急遽誘われた。それを断らなければならないような用事がない私は、やけくそに暴れてやろうという気概でその会社の飲み会に参加した。
イヴとクリスマス。両日ともに男との予定が入っていないということは、今年一年、私の恋は全く進展なかったということである。だってそうでしょ?一年の集大成。この特別な日を一人で過ごさないために一月からコスメの福袋をいくつも買うんだから。付き合っている人もいない。焦って昨日はクラブに行ったけど、結局誰もそこからホテルに連れて行ってくれるやつはいなかった。
あんなに人がいたのに、誰一人。去年は友達と三人で行って、みんなそれなりの結果。今年はその結果を積み重ねていた友達は一緒にこれず、私一人でただただ甘いだけのカクテルを飲んだだけ。しかも全部自分が支払って。最悪。
正直言って昨日のあれはショックがデカい。暗がりの中でもアラサーだということがわかるほど、分厚いファンデーションの下から年齢が滲み出てきているんだろう。昔だったら今日もリベンジ!と燃えていたが、今年はどうもそんな気になれなかった。そんな時に普段と変わらない仕事おわりの飲み会に誘われた。この日に誘い、来れるってことは、あんたたちも今年一年棒に振ったってことなのよね。仕方がないから僻みを酒の肴にしながら慰め合うか。
二年前に長いこと付き合っていた彼氏に振られた。理由は略奪。余裕で結婚すると思っていた。人より遅い初恋の初彼氏。私の"初めて"の多くにチェックマークを付けていった奴。付いていない項目は『浮気をする』『同棲』『結婚』ぐらい。
その反動が今の私。クラブやマッチングアプリを多用し都合のいい関係を増やしていっている。こいつは『一夜』だけ。この人は『定期的』に——と好みに合わせて振り分けている。その振り分けある『生涯一生』の項目にはこの二年間で未だエントリーがない。そこに一人でも該当者が現れてくれたらもっと生きやすくなるっていうのに、簡単にはそのゲートを通すわけにはいかないわけで。
好みに合わせて、というのは大なり小なり色々あるのだが、とりわけ大事なのは匂い。あいつは無臭だった。あんな奴を忘れたいと思っていた私は体臭、香水、汗臭さ。どれでもいいからその人を感じられる匂いを求めていった。
もちろん今では元彼のことなんて忘れている。けどその匂いへの執着だけは残っている。『匂いでビビッと来るのは本能的な相性の良さだ』とか言うでしょ?だからそのフェチに私は正直に従っている。
異国のあの人はすごくスパイシーで刺激的だった。けど、生涯となると食の趣味までも変わってしまいそうだった。あの大学生はシンプルに香水の趣味が合わない。体の相性はそこそこ良かったけど。
うちの社員はこんなにも独り身が多いのか。十五人も来るとは思わなかった。普遍的な、一年通してコンセプトが然程変わらないいつもの大衆居酒屋は酷く閑散としていて、予約無しのこの人数でも喜んですぐに席に通してくれた。
よく話す同性の後輩もいれば、話したことのない後輩もいるその飲み会は、クリぼっちという共通の傷口に、お互いで塩を振ったり慰めたりしながら各々酒を煽った。例に漏れず私もかなりの酒を飲んでいるけど、みんなが感じている寂しいとは異なり、今年一年を不作で終えたという悔しさの方が強く、芋焼酎のお湯わりを課長と一緒にしこたま飲んだ。味が好きというより、湯気と一緒に鼻を突くアルコールの匂いを感じたかった。
「先輩、臭い人が好きって言いますけど、実際どんな匂いがいいんですか?」
「無臭じゃないやつ。」
「そんな人います?」
「いんのよ。まじ最悪だよ。」
後輩と話しているこの話題はここのテーブルに座っている人たちだけで交わされていて、他のテーブルでは同じように各々の恋愛観で盛り上がっている。中にはその会話の中にも入れていない奥手の社員も団体の隅でいたけど。そんなんだから今日も一人なんだよ彼は。
飲んだ。結構。視界がぼやける。明日の仕事のために皆いい子に帰宅する流れになり、一軒目で解散となった飲み会。飲み足りないことはないが、この酔いをある程度冷まさなければ、帰って化粧を落とすことはおろか部屋着に着替えることもままならないだろう。だから私は駅に向かう皆とは逆の方向に歩き、目を瞑りたくなるほどキラつくイルミネーション街をダラダラと徘徊することにした。
千鳥足で歩く私をナンパしてくる奴が来たらどうしようかな。明日も仕事だから…いっそうちに連れていっちゃうか。ほら、こんな酔っ払っている女が一人で街を歩いてるんだ。声をかけるにはもってこいだろ。でも勘違いしないで。あんたの匂いが良くなかったらついてなんかいかないんだから——。
「斉藤さん。大丈夫ですか?」
ほら来た——と、私は声のする方を見た。こんな時はくっきりとした視界になるんだ。そこに立ち、私の腕を優しく掴んでいるのは、あの隅に座っていた奥手の彼だった。
「えーっと」
「山田です。中途で今年入ってきた。ちゃんと挨拶できていなくて、すいません。」
そっか。そうだそうだ。地味な山田。私は山田の力を少し借りながら、先輩としての風格を取り戻すように姿勢を直した。何事もなかったかのように『帰りの方向がこっちなのか』と聞いたら、彼は私が心配でついてきたと言った。
酔いを冷ますのにはまだいくらか時間が必要だと思ったこともあり、彼と高層ビルの近くにあったベンチに腰掛けた。立ち話もなんだし、彼の終電はまだ余裕があるってことだったから。山田はお互いの分の水を買ってきてくれた。助かる。
「…先輩の瞳に、乾杯」
「は?…あ、うん」
おお〜。これは酔いを冷ますにはなかなかいいかもしれないな。急にこの子は何を言ってるんだ。
「山田くんは、彼女とかいないの?」
「僕そういうのは全然で。経験も少ないです。」
奥手だ。目も合わない。まあ今の私には目があったとしてもおぼろな光景にしかならないけど。私の瞳に乾杯って。へんなの——。私はもらった水をありがたくいただきながら、少し遠くなったイルミネーションの方をぼーっとみていた。
「いいなあ、あのイルミネーション。」
「なんで?」
「だって先輩の視線を奪ってるじゃないですか。嫉妬しちゃいます。」
なんで、そんな自動音声のように抑揚無くそんなことを言えるんだ。私は不審に思って山田の顔を見た。彼は目線を下ろし自分の手元を見ていた。その手の甲にはさっき口に出したセリフがそっくりそのままボールペンで書かれていた。カンペだ!忘れないようにメモしてる!なんだこいつ!
「…普段からそんなこと言ってるの?成功したことある?」
「いや、……先輩。クサい人が好きって聞いて」
「……」
『そうじゃない!』とか『どこでそんな噂を?』とか。色々思うことはあったけど、私は彼のことを面白いと思い、声を上げて笑ってしまった。私たちを緩く囲うように等間隔で存在していたカップル達は、私の声に驚きイチャイチャの空気を壊されてしまったと思う。そのぐらい、私はゲラゲラと笑った。
「面白いね山田くん。そうだね、クサい人好きだよ。…もうちょっと話そうか。お店探そう。」
私はそう言ってベンチから立ち上がった。山田も続くように立ち上がり二軒目に同行する意思を見せてくれた。石畳調の足元は踵が少しだけ高くなっているパンプスには歩きづらくて、おまけに千鳥足もなおっていない。私は低い階段を踏み外しそうになり態勢を崩した。すると山田は咄嗟に私の腕をとり、転ばないように自分の胸に私を寄せた。
「すいません!…大丈夫ですか?やっぱり今日は…」
「大丈夫。ありがとう…」
密着したことでわかった彼の匂いは、面白味のないものだった。特徴的な香水や柔軟剤の匂いもしない。厚手のコートを羽織ってることで汗臭さも届いてこない。あるのはほんのり遠くの方に感じるムスクの匂い。
はあ。今年の匂いはこんな感じか——。私は理由もなく彼と手を繋ぎ、眩しい街を二人で歩き二軒目に向かった。
クサいサンタはお好きですか 萬多渓雷 @banta_keirai
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