第2話
『聖なるかな』
『聖なるかな』
『聖なるかな』
輝く鐘の音と共に神官達が歌い上げる。
少しの絶え間も無く。
数奇な運命の先にここに辿り着いた魔術師達は、地上では創り様もない、広大で、荘厳で、完璧な天宮の美しさに圧倒されていた。
反響する高い天井を、遠くに見上げる。
「おい、出番だぞ。また魔物が国境近くを襲撃してる」
「やれやれ……こんなに美しき【天界セフィラ】でも戦は絶えず、か。
悲しいねぇ」
「まぁ、そう言うな。戦で活躍出来れば【四大天使】の目に留まり、重宝されることもあるだろうさ」
魔術師達が慌ただしく各部屋から飛び出して行く。
「さ、俺達も急ごう」
二人の魔術師も走り出し、長い階段を下がって行く。
下がり切った所で、一人の魔術師がある一室の扉を叩いていた。
「おい! 早くしろ! 【四大天使】のご命令だぞ!」
「なにしてるんだ?」
「いや、この部屋の魔術師が出て来なくて……」
二人の魔術師は扉を見上げてから、顔を見合わせる。
「……なんだ?」
扉には四枚羽の天使が描かれてる。
「部屋を間違えてるだろう。この東塔の真理の階、四羽の天使の間は誰も使っていない」
「あれっ? ここは慈愛の階じゃないのか?」
「慈愛の階はもう二階下だ」
「あ~~~~~っ駄目だ! 広すぎて覚えられねぇよ!」
髪をぐしゃぐしゃと掻き回している。
「そんなことよりさっさとここから退散した方がいいぜ……」
「なんでだ?」
「お前、最近入った魔術師だろ。
天宮内にも、【次元の歪み】があるってのは聞いてないのか?」
「それは聞いてる。なんでもただ塞げばいいってわけじゃないから、弄れないんだってな」
「俺もよく分からないんだが、【次元の歪み】はここの魔術師たちにとっては魔力の吹き出す泉みたいな感覚なんだと。
結界を張ってそれを維持することで、そこに入るだけで死傷が癒えたり、どこかへ転送出来たり、強い魔力の宿る武具が出来たり、いいことにも使えるんだとさ。
なんでも強すぎる魔力だから、俺達みたいな新参なんかじゃ領域に入っただけで消滅するようなのもあるらしいけどな。これがデカくなると【次元の狭間】みたいな取り返しのつかない天災になる」
「まさか……」
「そう。この部屋も【次元の歪み】の部屋って言われて、新参魔術師は近づかないんだぜ」
「しかし時々この部屋の扉が開いている時があってだな……何も知らな新人がふらっと入っては二度と出て来ないなんてことが何回も何回もあったとかいう曰くつきの部屋で……」
「なななななんだよ! ここは【天界セフィラ】だろ! なんでそんな怪談話みたいなことが起こるんだよ!」
聞いている魔術師が青ざめている。
「ここの魔術師にも色んなのがいるからなぁ……。バラキエル様なんか退屈しのぎに新参魔術師の皮を剥いで遊んでいらっしゃるとかいう怖い噂が……」
「魔術師の皮ってなんだよっ!
怖いこと言うなよ!」
「天宮を歩き回ってる奴らは所詮エリートで、さほど大したことない魔術師は、魔物ばっかりいる国境勤務か地下階に追いやられて何百年も魔術研究だけやらされて上がって来ることも出来ないって聞いたぞ」
「そうそう……そういう奴らが時々満月の晩に上の階に上がって来て、夜な夜なエリート魔術師達を食らって歩くとかいうのも……」
「やめろよ! 夜中にトイレに行けなくなるだろ!
っていうか【天界セフィラ】毎日満月じゃねーか!」
「俺は夜に化物の唸り声みたいなの聞いたことあるぜ。
中には人型じゃない、化け物みたいな連中も【天使】の中にはいるみたいだからな……【天界セフィラ】の強すぎる魔力を長年浴びすぎると、そんな風に異形の者になるみたいな奴もいるとか……いないとか……」」
「お、おまえらいい加減にしろよ……そんなの、ホントにいるとしたら、神位にいる方々が放置するはずないじゃないか……」
「だから分かってねぇな、おまえ……神位にいる奴をそいつらは狙ったりしねえんだよ。
地上の魔術師の分際で明るい光の中を歩き回れる俺達のような新参魔術師たちを、憎んで……」
「そのうち突然、扉がバーンと開いて、中から化物の腕が……!」
――――バンッ!
「うお!」
「なっ⁉」
「ギャアアアアアア!」
あまりのタイミングで三人の後方にあった開かずの扉が開いた。
いや。開いたのではない。
正しくは、吹き飛んだのだ。
そこから吹き出した凄まじい風が、魔術師三人をまとめて通路の端まで弾き飛ばした。
「い……ってぇ……っ」
「なんだ、今の……」
美しい鐘の音と、聖歌だけが響き渡る天宮に震動と爆発音が走った。
パラパラと頭に何かが降って来る。
魔術師達はその時初めて、この天宮にも「埃」というものが存在していることを知った。
部屋から吹き出した煙。
中から足音がして、直前まで色々話していた魔術師達はぎゃあああ怪物がでたああああ! と叫び、逃げ出して行く。
「ゴホッ! ゴホッ!」
煙の中から、苦しげな咳が聞こえて来た。
「ゲホッ! ガハッ!」
足音がパタパタと駆けて来る。
上階の聖堂で歌っていた巫女たちが、騒ぎを聞きつけてやって来たのだ。
「なぁに? どうしたの?」
「わからない。突然ドッカ―ンって音がしたから……」
天宮の美しき巫女たちは不思議そうに階段の上から覗き込んでいる。
やがて、煙の中から一人の男が飛び出して来た。
両腕に大量の紙を抱え持っている。
「ゴホゴホッ!」
咳をしながら走り出て来た男は、抱え込んでいた本の一つが燃えていることに気づいた。
「うわっ! 待て! 燃えるな! あちちちち!」
床に本を放り投げて、長いローブの裾でバンバン叩いて火を消し止めた。
「ふぅ……。あぶないあぶないこれが燃えたらこの十五年間の研究過程をまた一から書き出さなきゃならんかった……あれ? 十六年だっけ? ははは! まぁどっちでもいっか!」
巫女たちは飛び出して来た男の、少し焦げたローブ姿と、ぼさぼさ頭に唖然としたようだった。
「しかしこれほどの威力とはな! 俺の超! 強力な結界を壊すとはさすが俺の魔術だ! これなら反射魔法も貫けるシロモノに……」
「あのー」
一人興奮した様子で壁に向かって話しかけている男に、巫女の一人が話し掛ける。
「ん?」
男は振り返った。
「あなた何ですか?」
「そういうお前達はなんだ?」
巫女たちは顔を見合わせる。
「わたし達は……天宮の巫女たちですが……」
「ああ、なんだ君たちが上の階でいっつも聖なるかな聖なるかな五月蝿い連中か。いつも同じ曲で飽きて来ないか? たまには違う曲も歌ってくれよ。君たちの歌う曲には三十年前くらいにとっくに俺は飽きた」
「あのー 何してるんですか?」
「見て分かるだろう。魔術の研究をしている」
男は胸を張った。
天宮に集められる魔術師は、天使たちに従属しているという共通点はあるものの、宮殿内での役割はそれぞれだ。
神官になる者もいるし、魔術研究に精を出す者もいる。
彼らは神界における、いわゆる労働階級なのだ。
「あのー 怒られますよ……そんなに部屋を吹き飛ばしたりしたら……」
「吹き飛ばしたんじゃない。
吹き飛んだんだ。
俺が本気で吹き飛ばそうと思ったらこんなものじゃ済まないぞ君たち」
男は焦げたらしい腕の辺りのローブの裾を摩った。
「今頃上の階の君たちまで吹っ飛んでるさ。
ところで今はいつだ?」
「今は……水竜の月の七十七日ですけれど」
男は髪をぐしゃぐしゃと掻き回して首を傾げた。
「さっぱりわからん。」
「黒竜の月の次の月ですわ」
「ふーん。まぁいいや。ここじゃあそんなこと、大した意味も成さないしな。
そんなことより! 君たち俺の研究の成果を見てみたくないか!」
巫女たちは顔を見合わせる。
「……いえ別に見てみたくありません」
「なんだ。十二人もそこに雁首揃えて一人も見たい奴がいないのか?」
「誰か見たい?」
「べつに……私魔術とか全然興味ないし」
「ねぇそろそろ戻らないとわたしたちも怒られるわよ」
「探究心の無い奴らだなぁ。
馬鹿なんじゃないか?」
「だってわたしたち、勉強なんてしたことないもの……」
美しい女達は暢気に欠伸をしている。
「勉強したことないなんて恥ずべきことだぞ人として」
「人じゃないもの。位で言うと【天使】ですものわたしたち」
「ねぇ?」
「話が全く通じないな。まぁいいよ。君たちは永遠に上の階で聖なるかなでも唱えていればいいさ。ああ! こんな時間はないんだった! 早く今の研究を、もっと精密に編み直さなくては!」
男はそう意気込むとまだ煙がモクモクと出て来ている部屋の中に飛び込んで行った。
数秒後、あちちちちち!! と悲鳴を上げてまた飛び出して来る。
今度は後ろのローブの裾が燃えている。
「まだ燃えていた!」
巫女たちは目を丸くして男を見ていたが、不意に笑い出してしまった。
「変な魔術師」
「道化師みたい」
「道化師とはなんだ。これでも俺は生前、空前絶後の天才魔術師……」
「後ろ、まだ燃えてるよ」
「あちちちち!」
巫女たちはさすがに美しい声で優雅に笑っている。
「犬みたい」
「くっそ~~~~っ! これじゃあしばらくここには入れんな!
まぁ、いいや。しばらく別の部屋を借りて研究をしよう!」
「部屋ならこの階の二つ上の階にいっぱい開いてるところあるわよ」
「そうか! ありがとう」
男は表情を輝かせると階段を一足飛びで上がって来る。
「新しい魔法が出来そうなんだ! すぐに研究を再開しなくては!」
「ちょっと待って」
むんず、と焦げたローブを掴まれる。
「その前にお風呂入れば?」
「お風呂?」
男は振り返ってきょとんとした顔をした。
「貴方最近いつお風呂入ったの?」
「風呂ってなんだ?」
終始優雅だった巫女たちが、突然きゃああああっ! と叫んで慌てて男から距離を取った。
「なんだ突然……。ようやく俺の偉大さが分かったのか?」
「くさい!」
「くさい? 俺が?」
十二人の巫女が慌てて一斉に首を縦に振る。
「ちょっと焦げた匂いがするだけだろ」
十二人が今度は一斉に首を横に振る。
男は自分のローブを匂ってみた。
「黴の匂いがする」
ぶんぶん、と大きく巫女たちがもう一度首を横に振った。
「……そんなに臭いか?」
「鼻がもげそう」
「……。」
男は一瞬目を瞬かせてから、そのまま歩き出した。
「まぁいい。君たちの鼻がもげたって俺には別に何の問題もないからな」
あっさり、そんな風に言って歩き出した魔術師に、巫女たちは仰天する。
「お願い! お風呂に入って来て!」
「そんな腐った本みたいな異臭纏ったまま歩き回らないで!」
男を十二人がかりで必死に制止した。
「なんだよいきなり……」
「お願いだからお風呂に入ってよ~~~~~~っ!」
巫女たちは嫌がる男を無理矢理全員で必死に引きずりながら、その場を離れたのだった。
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