第1話 如月梓

 私と部下が手掛けた回復薬はこれまで取り扱ってきた商品の中でも、指折りの自信作でした。


 ダンジョンの出現と共に医療技術が発達した現代では病や怪我は200年前に比べれば、比較的早く治ります。それでも、ゲームのように一瞬で傷を癒す薬や不治の病を治すアイテムは存在しませんでした。


 ───そう、私たちが生み出すまでは。


 それだけで画期的な商品である事がお分かり頂けるでしょう。どんな傷であろうとこの回復薬を飲めば忽ち元の状態へと戻る。腕が千切れようと、全身に大火傷を負ってこの薬さえあれば元通り!


 なんて素晴らしい商品でしょう。冒険者が聞けば喉から手が出るほど欲しがるに違いない。その読み通り、試供品を渡して説明するだけで目の色を変える冒険者は多くいました。


 特殊な製法で作りますので数の量産体制がまだ整っていない為、数が少ないのと少しばかり料金が高い事を除けばこの回復薬にデメリットはありません!


 あえて他に上げるとするならば飲むと……まぁ、多少依存性はありますが私たちからすれば商品が売れるので関係ない話ですね。


 ダンジョンの探索及び魔石目的のモンスター討伐は命懸けです。一瞬の油断で命を落とし、そうでなくとも二度と冒険出来ない体になるなんて事も有り得ます。


 ですが、この回復薬さえあればそんなリスクが大幅に減るのですよ。依存性くらい別にいいではありませんか!売る時にちゃんと一言注意もしますしね。


 それに依存性と言っても麻薬ドラッグほど酷くはありません。せいぜい趣向品の煙草程度です。喫煙者の部下に説明すると顔が強張っていましたが、大した事ないですよ。本当です。


 さて、長々と説明しましたが私たちにとってこの回復薬は主な商売相手である冒険者に最も売れるだろうと考えていました。それがまさか写真などに負けるなど……。


「なるほど、写真の方が売れましたか」

「はい!バカ売れでしたね!回復薬の3倍は売れました!」

「そうですか」


 組織として儲けが出たのなら喜ぶべきです。写真に関して言えば回復薬と違い原価はほとんどかかっていません。利益率だけで言えば写真の方が良い。


 だからと言って素直に喜べないのが開発者ではないでしょうか?


 自信作の対抗馬が私の写真というのも、素直に喜べない理由でしょう。梓さんに売った写真を見せて貰いましたがこれと言って特徴のないものです。


 かつての世界に普及していたグラビア雑誌のように男性を興奮させる一枚でもなければ、アイドルの写真集のようにファンを喜ばせる写真でもない、ただ私が仕事している光景を映したなんの変哲もない写真。


 こんなのに私が作った回復薬が負けた……。


 いえ、逆に考えましょう。私の価値は想定よりも大きいのだと……そう自覚出来る機会を得れた。そう納得いたしましょう。


「流石は梓さん。貴女に任せて良かったと心から思います」

「身に余るお言葉です!」


 ビシッと敬礼する梓さん。


 大袈裟にも思える動作だった為、彼女の特徴的な膨らみが大きく揺れました。見ないように意識しても視界に映るソレはかつての梓さんにはなかったものです。


 何をどう間違えたら梓さんの逞しい大胸筋が、メロンと例えたくなるほど大きな胸に変わるのでしょうか? 世界が変わってから改めて感じる疑問です。


「どうしましたか、ボス?」

「いえ……ただ、いつもと違うように思えて」

「分かりますか!」


 私の記憶の中に残る梓さんは筋肉隆々の逞しい肉体を持つ大男でした。梓さんなら私を必ず護ってくれると、その肉体を見れば思ってしまうほどの。事実、梓さんはこれまで何度も私の身に迫る危機を救ってくれました。


 彼───いえ、彼女に全幅の信頼を寄せるのも仕方ない事です。だからこそ、彼女の性別が変わった時に感じた違和感は大きいのです。


 目の前にいる梓さんの姿は、私の記憶の中に残る彼とはあまりにかけ離れていました。あの巨体はどこへ消え去ったのか、今の梓さんにはかつてのような筋肉はありません。代わりにあるのは女性らしい曲線美。モデルのような体型ですね。


 個人的にはクマさんのような巨体の方が好きだったのですが、今の梓さんは梓さんで目の保養にはなるので良しとしましょう。


「流石はボスですね!僕がネクタイを変えた事に気付くなんて!」

「そうですか」

「はい!」


 私が梓さんを見て思った『いつもと違う』という違和感はネクタイに対してではありません。世界が変わってまだ5日しか経っていない事もあり、まだ梓さんの姿に慣れないからこその違和感です。間違ってもネクタイの事ではありませんよ。


 とはいえ、嬉しそうにネクタイを見せびらかす梓さんを見ると余計な一言は言えず、閉口しました。


 正装である黒いスーツは体のラインを主張するので、スタイルの良さが際立ちますね。ボンキュッボンのモデル体型。加えて整った顔立ち。正しく絶世の美女。


 そんな彼女がコレを見てくださいと言わんばかりにジャケットに隠れていたネクタイを取り出す。あれはアネモネの花?


「ボスが好きだって言ってた花の柄です!」


 アネモネの花言葉は『はかない恋』『君を愛す』『恋の苦しみ』など、愛や別れにまつわるものが多い。また、色によって意味が異なるのも面白い。


 私が好きなアネモネの色は青です。その色が持つ意味は『固い誓い』。


「赤いアネモネですか」

「はい!」


 対して梓さんのネクタイに刺繍されたアネモネの色は赤。その色が持つ意味は『君を愛する』『根気』『辛抱』。


 その花言葉は、梓さんが私に向けるギラギラとした肉食獣のような視線と何か関係があるのでしょうか?ね?










 ◇


 ───今日もボスはお美しい。


 少し開いた窓から吹き抜ける風で、ボスの髪が靡く。ただ、それだけの光景だと言うのにどうしてこうも絵になるのだろうか?


 有名な画家が描いた神話のワンシーンだと行ったとしても誰もが納得するに違いない。


 それほどまでにボスはお美しい!


 ───風に靡く穢れを知らない純白の髪。


 もし、ボスが許してくれるのであればその髪に触れたい。手に取って頬擦りがしたい。


 上質なシルクよりも手触りの良いその髪に触れて、埋もれて眠りたい。


 そして可能であれば、髪の匂いが嗅ぎたい。


 今すぐにでも押し倒して存分に堪能したい!その欲を抑えるのに精一杯だ。


「梓さん」

「はい、ボス!」


 ───耳を通る美しい声。


 その声で名前を呼びれるだけで、どことは言わないけど濡れる。


 もっと僕の名前を呼んで欲しいと、欲が込み上げてくる。


 魔性の声だ。声だけで僕を魅了する。


 その声に僕の心は掴まれたんだ。


 今でも覚えている。ボスに出会ったあの日の事を。僕の人生が変わったあの日の出来事を。


 ボスが僕を見つけその手を伸ばして、声をかけてくれなければ、僕はダンジョンの中で人知れず野垂れ死んでいた。


 ボスがいるからこそ僕がいる。


 ボスこそが僕の全てだ。


 僕はボスの為なら何だってする。ボスに拾われたこの命を全てボスに捧げる。


 だから、その声で僕の名前を呼んで欲しい。命令して欲しい。愛を囁いて欲しい。


「今日も頼みますね」


 ───真紅の瞳は僕の心まで射抜いていた。













「僕に任せてください!ボス!」


 それはそれとして、押し倒していいですかボス?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎日 06:00 予定は変更される可能性があります

貞操逆転世界で秘密結社のボスをしている話 かませ犬S @kamaseinux

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画