第39話 正体 (2)
「いや、俺は君のお父さんから雇われた探偵だよ」
「…そう」
彼が駐屯所で一条玄司と言ったときから、ある程度予想はしていた。
清水はここからどう逃げるか、それだけを考えていた。
策はある。
袖に仕込んだカッターを成瀬の身体に突き刺し、怯ませた間に逃げる算段だ。
「あんまり驚かないんだな」
「そんな事だろうと思っていたから」
「じゃあ、ここから平和的な話し合いをしようか。
身体がピクリと動いた。いや、まだここじゃない。成瀬との距離が近い。手を抑えられたら作戦が台無しだ。
清水は半身を右に向ける。
「やっぱり知ってたんだ」
「ああ」
左足を下げ、成瀬の正面に身体を向ける。これで成瀬との距離を自然な流れで一歩分離せた。
この方法はやりすぎるとバレる。
運動はあまり得意じゃないし、足もそれほど速くない。
だが、ここで捕まってしまえば、またあの地獄のような日々に戻ってしまう。
それだけは絶対に嫌だった。
少しでも成瀬との距離を稼いでから逃げようと決めた。
ここは道が開けているが、裏通りにでも入れば逃げ切れるはずだ。
「いつから私の正体知ってたの?」
「君と会う前から、かな」
「え?」
「順を追って話すと、君は死亡扱いになっているが、詳細は不明。遺体も無し。という報告に君のお父上が納得いかなかったらしい。だから、娘の生死を確認し、もし生きているなら連れ帰れ、という依頼が俺のところに舞い込んできた。まあ、そのおかげでとんだ目に遭ったけどな」
シーズウィルス蔓延によるゾンビ化の事だろう。彼は罪も犯してないのに、危うくこんなところで死にかけたのだ。
「ここに来てからは、大学の職員として潜入した。すると、すぐに清水美幸の名前が挙がってきた。君と交流があったのは彼女くらいだったからね」
獄中都市では刑務官の目がある為、簡単な刑務作業は行っていたが、基本的にスリで生計を立てていたから、彼女以外に話す機会もあまりなかった。
大学に通っているのは年の離れた人ばかりだったのもあるが、基本的に一人でいる事が多かった。それを苦に思う事も特になかったが。
「話を聞こうと思っていたら、君がスリをしていた現場に出くわした。驚いたよ。髪の長さは違えど、一条希美によく似ていた。それに君の罪状は、運転中に道路に飛び出してきたお年寄りに怪我をさせてしまった過失運転致傷のはず。でも君の見事な手際のスリだった。それから俺はずっと君を尾行させてもらっていた」
成瀬はこちらをじっと見つめる。まるで獲物を今か今かと狙いを定めるように。
半身を向けるのは危険かもしれない。逃げる素振りがバレれば、問答無用で捕まえられる。
成瀬は細身で力もなさそうだが男性である。振り切るのも骨が折れるだろう。
「なるほどね、ゾンビから私を助けてくれたのも偶然じゃなかったのね」
音を立てないように足を僅かに後ろへ下げる。
足元に目が向けられないように受け答えをしながら、逃げるタイミングを計る。
あと半歩、いや一歩分稼ぎたい。
「ああ、シーズウィルスの事もあって君と行動を共にしてから、君が温室育ちというのもよく分かった。カッターの使い方を知らなかったり、缶詰の開け方が分からなかったりね。箱入り娘のお嬢さんなら、怪我するような物を与えられなかったのも頷ける」
成瀬の様子を窺うが、自分の推理に夢中のようで、まだこちらの意図は気取られてないようだ。
「今にして思えば久保田さんが君を見て驚いた理由も分かる。彼は黒岩先生の実験が成功して、清水美幸さんが生き返ったのかと思って驚いたんだろうね」
そう言われてみればそんな事もあった。
確かに、黒岩の実験を知っていたのであれば、清水美幸と見間違えてもおかしくはない。
「でも一つ疑問だった。この島は刑務官との面談が週に一度義務付けられているし、首輪もある。いくら顔が似てるからって、入れ替わりに気付かないものなのかってね」
成瀬は全てを分かった上で話していのだろう。距離を取る隙を窺いながら、彼の話に耳を傾けた。
「島に来てから入れ替わるのは難しい。なら、残す可能性は一つ。島に来る前に入れ替わっていたんだろ?ここに搬入する際は刑務官も変わる。入れ替わる事自体はそう難しくない。どこか違うか?」
「いいえ、合ってる」
「だが、なんで入れ替わりなんて考えたんだ?家庭環境的には一条家はかなり裕福だ。対して清水家は身寄りもなく、獄中都市を出ても帰る場所もない」
この男もそうだ。外見だけ見て、幸せだとか羨ましいとか、そんな言葉しか返ってこない。
「あなたに分かるの?女として生まれたばっかりに、跡継ぎになれないと周りから疎まれて、政略結婚の道具としてしか扱ってもらえなかった私の気持ちが!常に監視がつけられ、やる事全て父に決められた私に自由なんて無かった!」
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