第26話 回顧
私は母子家庭で育った。父は私が三歳の頃、交通事故で死んだらしい。母は私と妹を育てるために昼も夜も働いていた。それでも日々の生活は貧しかった。
過労がたたり、母は倒れた。その後は、私が生活を支えるしかなかった。高校を中退してからは、昼は飲食店でバイトし、夜は年齢を誤魔化してキャバクラで働いた。
キャバクラである程度指名を取れるようになると、生活は多少楽になった。
そんな矢先、母はあっけなく死んでいった。でも、不思議と涙は出なかった。むしろ母の治療費を払わなくていいんだとほっとした自分がいた。
私はなんて最低な娘なんだと自分自身に幻滅した。
母が死んでからは夜の仕事だけを淡々とこなす日々が続いた。
妹も高校を卒業し、ようやく肩の荷が下りた頃、一人の客に恋に落ちた。
第一印象は、どこにでもいる客の一人だった。
男は会社の付き合いで来ただけのようで、彼は自分からあまり話すタイプではなかった。
同い年くらいの男で、見た目も別に特別格好良いというわけでもなかった。
男と会話の間を持たせるために、私は身の上話をした。それを彼は親身に聞いてくれた。
「頑張ったんだね、すごいね」と言ってくれた。
そんなありきたりの言葉でも、今までの私が救われた。
そんな言葉を掛けてくれる人は今までいなかった。私は必死に涙が溢れないように我慢した。
そんな何気ない一言。たったそれだけでその男に惚れたのだ。
別の日に彼がまた店を訪れてくれた時は、とても嬉しかったのを覚えている。
三度目の来店後、アフターで彼とホテルに入った。求めるようにお互いの身体を交わらせた。
その後、子どもができたと分かった。もちろん彼の子だ。彼以外の客とアフターに行く事はなかった。いや、正しくは彼以外の男と寝るのが嫌だった。
彼も喜んでくれると思い、子どもの事を伝えると、ただ一言。
「堕ろしてくれ」と言われた。自分には家庭があるからと。
まるで崖から突き落とされたような衝撃が私を襲った。
彼も私と同じ気持ちなんだと思っていた。お互い惹かれ合っているのだと。
それから彼とは連絡が取れなくなり、店にも来なくなった。
ショックで立ち直れない日々が続いた。ようやく心の整理がついた頃、子どもを堕ろそうと病院に行った。
しかし、もう堕ろせないと言われた。二十二週目を過ぎると、子どもを堕ろせなくなるらしい。
私は体調不良と店に告げ、仕事をしばらく休職した。そして、ネットでやり方を調べて自宅で子どもを産んだ。
産声をあげた子どもは、ほんの十数秒で静かになった。
私はそれを布で包み押し入れに入れると、そのまま復職した。
子どもの事も忘れた頃、家に警察がやってきた。近所から異臭がすると通報されたらしい。彼らは押し入れの中のものを発見すると、私を警察に連れて行った。
そして、気が付いた時には刑務所の中にいた。
もし、あの時、あの子をちゃんと産んでいたら、こんな事にならなかったのかな―――。
◆
湯村の瞳が真紅に染まり、顔や腕に血管が浮き出ていた。
「湯村さん!」
「ああぁあああぁ」
只野の呼び掛けに答えることなく、湯村はこちらに向かって突進してきた。もうそこに彼女の意識は存在していないのは明らかだった。
その声に成瀬と薬師寺も廊下に飛び出た。清水は部屋の入口に立って、戦況を見守った。
成瀬は鉄パイプを振りかぶると、勢いよく彼女の腹部にぶつけた。湯村は壁に打ち付けられると床に倒れ込んだ。
只野は、その隙を逃さず彼女の両手首を抑えつけると、
あまりに一瞬の出来事。
只野の足下には動かなくなった湯村が倒れている。
大して彼女について知っているわけではない。つい昨日、知り合ったばかりなのだ。
それでも言葉を交わした関係だ。彼女の手首には、昨日あげた虫よけ用のブレスレットが目に入った。
この虫除けは万能のアイテムではなかった。気休めでしかなかったのだ。
胸がざわめく。これは彼女に対しての憐れみだろうか。悲しみだろうか。いや違う。
これは自分が、ああなるかもしれないという恐怖だ。
只野は血に染まった手で湯村の見開かれた瞳をそっと閉じた。
「隠し扉を探しましょうか」
静かに告げる成瀬。
廊下にある湯村の遺体をちらりと見た。時間がないとはいえ彼女の死を
湯村に同情しつつも清水は扉を閉めた。
成瀬は引き続き壁に耳をあてながらノックし始める。隠し扉がある場所のアタリを探しているようだ。
清水達も同じように壁に不審な点がないか叩いて回る。
「ベッド脇に暖炉っていうのは普通なんでしょうか?」
薬師寺が暖炉の中を覗きながら呟いた。
この家の内装はヨーロッパ寄りだ。海外では暖炉で部屋を暖めるのは一般的だ。
「日本ではあまりないですけど、海外だとよくありますよ」
清水が答える。
大理石でできた高級感漂う造りだった。だが、よく見ると本物の暖炉ではなく、電気式のファンヒーターのようだ。
暖炉の中の薪は作り物だった。
「でも、ベッド脇に置くのはあまり無いような…」
成瀬は暖炉をペタペタと触り始める。すると、彫刻されたダイヤ型の模様の一つがボタンのようにカチッと
その瞬間、暖炉が横にずれ始め、ちょうど一人分が通れる入口が現れた。
本当に隠し通路があった事に驚いた。
だが、それよりも黒岩と久保田は隠し部屋にいると確信できた。
入口の横にあるスイッチを押すと、壁に無造作に取り付けられた豆電球が点灯し、道をほのかに照らした。
下に向かって階段が伸びているようだが、先に広がるのは暗闇だけだった。
成瀬は胸ポケットからライターを取り出す。
まさか彼のラッキーアイテムが本当に役立つとは思わなかった。
ライターを手に持つ成瀬を先頭にして、一列になって進んだ。
何度も階段を折り返すが、まだ階段は下へと続いている。
もしかしたら地下まで降りているかもしれない。
ようやく階段の終わりが見えてきた。行き止まりの壁には扉があった。
ドアノブを回すと簡単に開ける事ができた。
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