第9話 遭遇 (2)

「職員カード…!」


このカードさえあればパソコンを動かす事ができる。

湯村を男に任せ、清水は成瀬と共に再びパソコンの前に座った。

成瀬は電源を入れると、職員カードを差し込む。

読み込み中画面が表示された後、デスクトップ画面が現れた。

はやる気持ちで心が高揚する。食い入るように画面を見つめた。

これでワクチンの情報が手に入るかもしれない。



どう調べてもシーズウィルスのワクチンの情報が出てこない。

成瀬が色んな単語で調べてくれているが、それらしい内容は何もヒットしなかった。

少し前の期待に満ちた自分は跡形もなく消え去っていた。

やはり人間に直接的に害を及ぼさないウィルスだから、ワクチンが開発されなかったのか。

何故開発してくれなかったのか。動物に害があるなら、開発するには十分な理由ではないか。

どこにもぶつけられない苛立ちが次第に積み上がっていく。


「もうっ、なんでないのよっ!」


口を尖らせ不満を募らせる清水は机の脚を蹴飛ばした。痛みと引き換えに怒りは多少収まった。

そんな清水に構わず、成瀬は平然とキーボードを叩き続けた。

清水は全く感情を見せない成瀬を横目でじっと見た。

成瀬は食い入るように画面を見たまま動かない。全く相手にされないので、清水も仕方なくパソコンへと視線を移した。

成瀬はどうやらシーズウィルスではなく、虹色研究会について調べているようだった。


「そんなの調べて何になるっていうの」

「ワクチンは無くても、彼らなら予防策を知っているかもしれない」

「おじさん、よくそんなに冷静でいられるね」


成瀬は手を止め清水を一瞥いちべつし、また画面に向き直る。


「まあ、君とは経験している場数が違うからね」

「意外。よっぽど凄い事したんだ」

「まあね」


成瀬はそれ以上話を広げなかった。

それよりもネットの情報を拾うのに没頭しているようにみえる。


「ねえ、私気付いたんだけど、あのノッポさんに外の人と連絡を取ってもらえばいいんじゃない?あの人、ここの人じゃなさそうだし」


成瀬は間髪入れず答える。


「外の人達はここに入る時、連絡手段が取れるような電子端末は全て持ち込みできないようになっているんだよ」

「え、そうなの?」

「連絡用の橋の向こう側にも駐屯所があって、そこで回収される」

「なんでそこまで…」

「そんなの持っていたら、ここの奴らに目をつけられて、あっという間に奪われるからな」

「ああ、そういう事か」


ただでさえ首輪を付けていない人間は目立つ。

模範囚が集まる場所とはいえ、そんな人間がスマホやらタブレットやらを持ったまま犯罪者集団の中に飛び込めば、一瞬で餌食えじきになる。

それを防ぐための措置という事か。

成瀬はずっと論文のような長ったらしい文を読んでいる。とても読む気が起きなかったので、椅子の背もたれを上下に揺り動かし時間を持て余した。

彼はどんな罪を犯してここに来たのだろうか。

多少頭は切れるし、行動力はあるようだが、威圧感のようなものは感じない。

大学の職員をしているという事は、根は真面目なのだろう。

詐欺グループのしたか窃盗犯とかがいいところか。

捕まりかけてはどうにか逃げる、を繰り返したのではないか。さぞ多くの場数を経験したのだろう。

だが、そんな経験したところで結局この場にいるのだから何の意味もない。

それは自分も同じかと思い直して、考えるのを止めた。

成瀬は画面と用紙を交互に見ては何かをメモしているようだ。何度か繰り返した後、書き記していた手を止めた。


「よし、一旦戻ろう」


成瀬についてホールに戻ると、そこには只野の姿もあった。三人は会話をするでもなく、ただ椅子に座っていた。

湯村は少し落ち着いたのか涙は止まっていたが、心ここにあらずの様子だ。

彼女の腕には包帯が巻かれていた。

それに机には救急箱が置かれ、人数分の缶詰とペットボトルの水まであった。缶詰には乾パンのラベルが貼られていた。

傍にある段ボールにも同じ缶詰とペットボトルが入っていた。


「これ、どうしたんですか?」


成瀬が段ボールに視線を飛ばしてから尋ねた。


「こういう施設なら救急箱や非常食があるんじゃないかと思いまして。さっきの部屋に探しに行ったら棚の中にありました」


何事もないように言ってのける只野に驚いた。まさかあの血の海に足を踏み入れたのか。

思わず彼の神経を疑ってしまう。いや、彼はゾンビと化してはいるが、何人もの息の根を止めてきたはずだ。もう既に感覚が麻痺しているのかもしれない。

清水は目の前の缶詰を見つめる。賞味期限にはまだ二年余裕があった。

だが、空腹は感じるものの食欲は全くなかった。皆、同じ気持ちなのか、誰も缶詰には手をつけようとはしなかった。

水を口に含むと、空っぽの身体に染み渡っていくのが分かった。

隣に座る成瀬はごくごくと水を流し込んでいた。半分ほど飲み切ると大きく息を吐いた。


「湯村さんの怪我は大丈夫ですか?」

「大丈夫なわけないじゃない!こんな血が出てるのに!なんでこんな目に遭わないといけないのよ…」


湯村の目には再び涙が浮かぶ。

彼女も成瀬に言ったところで意味がない事は分かっていても、叫ばずには言われなかったのだろう。

彼女の泣き声が再び館内に響いた。


「お辛いでしょうが、今はもう少し頑張りましょう」


上辺うわべの言葉でしかないが、どうにか励まそうと成瀬が声を掛ける。


「いいの、ごめんなさい、取り乱して。ありがとう」


まだ鼻をすすっているが、少し落ち着いたようだ。

重々しい空気を押し退けるように痩せた男が控えめに手を挙げる。


「あの、今更ですが、自己紹介をさせてください。私は薬師寺やくしじさとると言います」

「そういえば挨拶がまだでしたね。失礼しました。私は成瀬です。こちらは清水さん。湯村さん。只野さんです」


成瀬は各メンバーを指し示す。同時に、紹介された各人は軽く頭を下げた。


「薬師寺さんは外の方ですよね?」


成瀬は薬師寺に問いかけた。

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