弐狩りの住僕

八雲いとう

序章

 回廊の縁側に腰掛け、両足を投げ出すと、美樹本弥生は眼前に自然の雄大な景色を望みつつ、大きくのびを一つした。

 ひと心地つき、視線を下に転じると、足下に広がるのは虚空だ。今居る建物は、一部がそこに張り出す様にして建っている。今、弥生の足下には何もない。地面は数十メートル下にある。

 三徳山三佛寺の施設のひとつ、地蔵堂。美樹本弥生は今そこにいた。

 堂は岩の上に鎮座してはいるのだが、一部がややそこから張り出し、その下の何もない空間に背の高い木の柱を組んで支えられている。不可解な作りだが、ここがかつて修験道の行場だったことに思いを巡らすと、この構造も何か修行の為の一環なのかもしれない。実際、管理しているお寺は山への入山を観光ではなく修行と位置づけている。

 弥生は今それを身をもって実感していた。

 腰を下ろしている地蔵堂の周囲には幅一メートル程の回廊がグルリと一周取り巻いているのだが、そこには柵などない。これまでの道程も険しく、両手を使わないと上れない急峻な斜面の連続だった。不注意で落ちれば大事故、運が悪ければ一巻の終わりかもしれない。この危険な施設が昔のまま解放されているのだ。これだけでも十分驚きなのだが、最終目的地である投入堂はそれを上回る驚異らしい。

 持参したマップをザックから取り出し確認すると、そこまではもうしばらく掛かりそうだ。弥生は165センチと長身で細身なこともあり、一見すると華奢な印象を受けるが、実は体力には自信がある。まだまだ余力は残っていた。それでも休息は必要である。雄大な景色を眺めつつ弥生はバックパックのポケットからペットボトルを引っ張りだすとスポーツドリンクに口を付けた。

 弥生はしばし心地よい風に身を委ねる。

 と、ネックストラップで首から吊ったスマートフォンが振動を始めた。バイブレーションの間隔と長さから判断すると電話ではなくメールの着信のようだ。液晶の表示を確認するまでもなく、弥生には相手が誰なのか分かっていた。地蔵堂についてすぐにある人物へメールを送っておいたのだ。これはその返事に違いない。

 スマートフォンを取り出し通知を確認すると、案の定送り主は親友の坂井若菜からだ。旅好きの父親に連れられて日本各地の観光名所を巡った経験のある若菜に、旅の無事の報告と、投入堂まであとどれくらいの距離があるのかのアドバイスを求めておいたのだ。早速その返事が届いたらしい。

『無事で何より。投入堂まではあと一息、あと十分も掛からないよ。ここまでの道が険しかったから疲れてるんじゃない?もう少しだから頑張れ〜!って、体力のある弥生には無駄な心配か。で、これが一番重要なんだけど・・・』

 メールはここで改行が入り、それは勿体ぶって液晶画面一枚ほど続き、最後は強調して次のように締め括られていた。

『彼によろしく!!』

 若菜らしいメール内容に微笑みつつ弥生は返事を書く。

『了解。なんてったってお隣様で幼なじみ。心配ご無用!でも久しぶりにあうからちょっと不安、かな?また、落ち着いたらメールするね。乞うご期待!』

 送信すると弥生はペットボトルをバックパックのポケットに戻し、その場を後にする。目的地までの具体的な時間が分かれば自然と足も速くなる。なによりも一年ぶりの再会である。じっとしていろ、という方が無理な話である。

 果たして若菜のアドバイスどおり目指す投入堂までは本当にあと一息の距離だった。鐘突堂の脇を抜け、崖のくぼみにあつらえたようにはまり込んだ観音堂の裏手を抜ける。それから右に大きく回り込むと視界が開けた。緩やかに右上から左下へと傾く斜面の向こう、その先の切り立った断崖の中腹にそれはあった。

 三徳山三佛寺投入堂。

  伝説によると。役行者なる修行者が麓で組み立てたお堂をその法力を持ってこの場所に投げ入れたとか。投入堂の名称はこの伝説に由来するらしい。では実際にどうやって建立したのかというと、これは今もって分かっていないらしい。重機やヘリコプターといったテクノロジーのなかった時代に、山の中腹にある断崖にこのような施設を造りあげたのだ。これは紛れもない驚異である。

「アイツ、こういうの好きだもんなぁ」

 感慨深げにひとりごちると弥生は目的の人物の姿を探し始めた。約束だとここが待ち合わせ場所のはずである。

 果たして、その姿はすぐに見つかった。崖の手前、粗末な柵のギリギリの場所に目的の人物は佇んでいた。半年ぶりの再会だというのに相変わらず白のワイシャツに黒のスラックスといつもの出で立ちである。とても山登りをする姿には見えない。かろうじてウエストポーチと尻ポケットにねじ込まれた軍手、それと、いつもは革靴のはずの足下が運動靴であることが、それを微かに物語っていた。

 弥生はちょっと大きめに足音を立てて近付いてみたが、相手がこちらに気が付く気配はなかった。デジタルカメラを手に撮影に没頭している。旅と写真が趣味。相変わらずと言ってしまえばそれまでなのだが、呼びつけておいて随分な話ではある。

 弥生は真後ろにまで近づくと、小さく息を吐いて呼吸を整えてから声をかけた。

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