3 罰

「茶のおかわりだけ、いいだろうか」

「おおとも」


 浦島はゆらりと立ち上がった。かめ吉としても、その小休憩に異論はなかった。

 炊事場から戻ってきた浦島はしばらくだまったままだったが、観念したように一度目を閉じた。


「はあ。いいよな、亀は。もとから長生きだからそんなこと言われもしない」

「すまぬな。……人間の寿命はせいぜい百年だったな?」

「そうだな。俺の知っている中には、それ以上生きた人間も知っているが」

「そうはいっても、あれから何年経ったんだ」

「……二百は経ったな」


 指折り数えた浦島はそう言った。寿命はとうに超えている。浦島は、自身に起こっている異常を正しく認識している。


「地上に戻ってきて、自身の体がおかしいとは思わなかったのか?」

「すぐに理解したさ。それから生きるのは結構大変だったぜ? なんせ成長しない人間は定住すると目立つからな」

「そうか……」

「あんたを助けたばっかしに、というのはずるいかな。竜宮城という美しい世界が人間の俺をとっちまった、というべきか」


 かめ吉を試すように、浦島は意地の悪い笑みを浮かべた。

 かめ吉はそれには答えを返さず、頭をしゃくって、先ほど見つけた黒い箱を示した。


「……乙姫さまに渡されただろう? ほれ、そこに置いてある玉手箱だ」

「ああ、これか」

「あれは、まじないが込められていると聞いている。竜宮城で過ごした時間を、地上で過ごしたことにするまじないが」

「ほーん」


 浦島が、湯飲みから立つ湯気にかかりながら茶をすする。


「あの竜宮城で時を忘れ長居し、地上との時間のずれが大きくなってしまったものへの救済だと。それを浦島殿、お前さんは……」

「そうだ、開けなかった」

「どうしてだ?」

「……開けるなと言われたから、かな?」

「開けなければならないときが来ればわかる、と乙姫さまは言い添えていただろう」

「そうだったな」

「この状況では、必要性を感じられなかったか?」


 原因は竜宮城にあるのは明らかだ。答えの見えない状況で、用途がわからない玉手箱に思い当たっただろう。


「……いや」


 浦島は遠くを見た。それに釣られて、かめ吉も視線を同じ方向に向ける。

 ふたりが言葉を交わす居間からは、木々の合間から先ほどかめ吉が泳いできた海が見える。砂浜で動く小さな影は子どもたちだろうか。視界を行ったり来たりする幼い彼らの持つ体力はすさまじい。


 かめ吉といえば、浦島が口を開くまで、自分が干からびてしまうんじゃないかという錯覚に陥っていた。それほど重い時間が、浦島との間に流れている。

 かめ吉は目の前にある、浦島が汲んできた海水を自分の皮膚に触れさせた。


(ああ、生き返るようだ)


 そんなおり、浦島は答えを口にする決心をしたようだった。


「俺はな、かめ吉」


 淡々とした浦島の声が、かめ吉に降り注ぐ。

「ああ」

「これは罰なんだと、思っているんだ」

「罰、か」


 かめ吉は、浦島の言葉の真意をすぐに理解することはできなかった。

 浦島は苦笑した。


「ああ。俺が竜宮城で贅を尽くして楽しんでいるあいだに、家族には迷惑をかけただろう。それを償うために、終わりの見えない、長い命を与えられたのだと……」


 浦島の目は遠くの空を見ていた。そこに、家族がいるのだろうか。 


「そんな俺が、もし玉手箱を開けて簡単に死んでしまったら、そんなことになったらおっとうたちに合わせる顔がない」


 かめ吉は押し黙った。しょせん、かめ吉は竜宮城に仕える深海のもの。人間の浦島の境遇にどれだけ同情してみせようと、腹からの言葉ではない。

 だが、かめ吉は、竜宮城の乙姫をいっとう思う亀である。ここで退くわけにもいかない。かめ吉は浦島への説得を続けるしかなかった。


「家族に会いたくないのか」

「会いたいさ。今すぐにでも」


 浦島は、即答した。


「……そうか」

「会わせてくれるのか?」


 そう問う浦島は、かめ吉がどう答えるかを若干バカにしている様子だ。できもしないくせに、と内心かめ吉を責め立てているのを、かめ吉は肌で感じとった。


「――乙姫さまは、お前に恋をしてしまった」


 浦島はひとつ、瞬きをした。それでも急な話題転換だったろうに、なにも言わなかった。

 かめ吉は、返事がなくとも察していた。浦島は、乙姫の気持ちをすでに知っていてもおかしくない。初めての恋に浮かれた末姫の態度はわかりやすかっただろう。


「お前さんも、あの滞在中、姫さまに惹かれることはなかったか?」


 浦島は、答えを言い渋るように間を開けた。


「……なかった、と言えば嘘になるな。あれだけ美しい姫さんを見て、心奪われぬ人間はいないだろう」

「そうだろう」

「縁者のなかでも一番見劣りするものがもてなして申し訳ない、などと乙姫さんには言われたが……あんなまばゆい笑顔を見せる姫さんを、どうしてそう思えるだろうな?」

「そうだろう、そうだろう」


 かめ吉は深く頷いた。


 しかし、乙姫が浦島に出会うまでは、引っ込み思案で姉たちの後ろにすぐに隠れてしまうような末娘だったのも本当なのだ。さらにいえば、その頃の乙姫は、母を失い気がふせいでいる日々が続いていた。


 乙姫があれだけの笑顔を見せていたのは、浦島を前にしていたからだった。


(浦島殿が、陸へ戻らなければな……)


 浦島帰郷後の乙姫は、いうなれば哀れな娘だった。

 浦島が竜宮城に滞在していた間、華やかな衣装を選び身に着けていた乙姫は、いまや惰性のように、浦島と別れた日の衣装を着続けている。


 かめ吉は、乙姫が誕生したころからの世話係である。かめ吉がかつて陸に上がったのも、末姫への珍しい贈り物を探そうと思ったからだった。それほどにかめ吉は乙姫のことを大事にしている。

 結果的に贈り物は見つからず、浦島を竜宮城へ案内することになったが、かめ吉はこの巡り合わせをひそかに運命だと感じていた。自分が導いたともいえる縁はきっと乙姫を幸せにする、誇らしくもあったのに。


 かめ吉は少しだけ、浦島を恨みがましい目で見つめた。まさか生きて再会することになるとは思ってもいなかった男のことを。


「乙姫さまも、長い時を生きる。しばらくの間なら、お前を思って生きる日々があってもいいだろう。――だがな、姫さまもいい年ごろだ。近ごろは縁談の話も出ているくらいだ」

「……ほお」


 相槌をうつ浦島の態度はそっけなかった。

 かめ吉は、必死になりそうなおのれを冷静に抑え込もうと、低めた声を絞りだす。


「もちろん姫さまの心がない状態で、縁談が結ばれることはない。だが、お前さんへの叶わぬ気持ちを死ぬまで抱えることは、乙姫さまにとって幸せだろうか?」

「どうだろうな」


 浦島は肩をすくめた。


「わしが陸に来た目的は、それなんだ」

「……そういうことか。乙姫さんの気持ちに、お前さんが落とし前をつけてやろうとしたわけか」


 浦島の言葉に、かめ吉はしかと頷いた。

 小屋から見えていた太陽は、いつの間にか見えなくなっている。空の色がだんだんと落ちつきはじめ、陸の上も次第に深海で見る景色に近づいていることが見てとれた。

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