悪役令嬢に転生したコミュ障少女、ビクビクしているだけで成り上がってしまう

コータ

第1話 主人公とヒロイン、それから悪役令嬢

「オーホッホッホッ……ふぉ?」


 悪役令嬢エル・シー・リヴィアスは、高らかな笑い声を上げた後、唐突に固まっていた。


(え? ここ、どこ?)


 彼女の瞳に映った全てが、まるで別世界に思える。


 白く清潔感あふれる白亜の宮殿。赤い絨毯が敷かれた通路の上。


 そして自分はといえば、絶対に覚えがない黒いドレスを身に纏っていた。


「ひ、酷いですわ。エル様、どうしてそのようにわたくしを罵倒なさるの?」

「……え」


 目の前で床に伏していた女が、涙を溜めて膝立ちになり、こちらを見上げている。


 エルは周囲を見渡すが、野次馬だらけの中にあって、自分だけが浮いて見えた。


「もしかして、私のことですか?」

「貴方以外に誰がいるのです! おとぼけにならないで!」

(なにこれ? すっごい勘違いされてる!?)


 その女は長い黒髪が美しく、瞳は赤色をしている。ベージュのドレスは鮮やかで、いいところのお嬢様であることは間違いなさそう。


 しかし、自分のことをエル様……などと呼ばれたことに、彼女は困惑を隠せなかった。


「アシュティアに何をしている!」


 すると、遠くからかけてきた茶髪長身の男が、黒髪の女性に寄り添いつつ叫んだ。


 どうやら、泣き崩れている女性はアシュティアという名であるらしい。


 周囲には人集りができている。誰もが西洋の貴族よろしくの格好をしており、エルの混乱は深まっていくばかり。


「え、え? あの、誤解です。私、エルって人じゃありません。実はさっき学校が終わって、それで」


 なにを言っているのだ、と言わんばかりの顔で見上げるアシュティアと茶髪の男。


 周りにいる野次馬たちも戸惑いざわついている。


 そんな状況におちいり、エルはオロオロと狼狽ていた。


 つい数分前に見せていた、高慢を絵に描いたような態度とはまるで別人である。


 だがそれもそのはず。魂は全くの別人に代わっている。


 しかし、それが理解されるはずがない。


 周囲から怒りの声が上がりはじめ、エルの劣勢は火を見るより明らかである。


 だが、影のように目立たぬ何かが側にやってきたことで事態が動いた。


 黒髪で長身痩躯の青年は、他の連中とは違う飾り気のない燕尾服を身に纏っている。


「お嬢様、ここはお下がりくださいませ。皆様! 大変申し訳ございません。お騒がせしましたこと、お詫び申し上げます。実はお嬢様は体調が優れず……この場は失礼させていただきます」

「え? ぇあー!?」


 そして強い力で引っ張られて、通路から出ていくことになった。もはや何が何だか分からず、抵抗することもできない。


(どうなってるの? なにこれ、怖い!)


 そして人気のない庭に出てきた時、ようやく彼はエルを離し、小さく嘆息した。


「お嬢様……あれほどお願い申し上げたはずです。アシュティア様と争うのは、おやめいただきたいと」

「ちょ、ちょっと待ってください。誤解です! 私はその、ただの学生で……」

「全くお嬢様はいつも……はい?」

「私、エルって人じゃありません。そ、その! どうしてここにいるのか分かんないんですけど、しかも何でドレスまで着ちゃってるのって感じで。あの、ここって何処ですか」

「……お、お嬢様……」


 執事の眼鏡の奥にある瞳が、激しい動揺でゆらめく。


「まさかあの儀式のせいで……すぐに帰りましょう。ご主人様へは私より申し伝えておきます。一刻も早く神父様の元へ!」

「え!? ちょ、ちょっとま——」


 それからはまたも大騒ぎになった。


 使用人が群がり、強引に馬車に乗せられた彼女は、邸を出て知らない世界へと飛び出してしまう。


(ええええ!? なにこれ? 本当に私、何処にいるの?)


 この世界にいる人々は、彼女の目からはコスプレをしているとしか思えない。


 広大な草原に造られた一本道を馬車が進んでいる。幌馬車の周囲には、厳つい鎧を着た男たちが囲んでいた。


(まるで私、お姫様になったみたい。早く誤解を解かないと大変なことになっちゃう。でも……この体……あ、あれえ?)


 自分の手が、体のあらゆるところが違和感に満ちている。


 こんなに白い腕や手だった覚えはないし、膨らんでいる胸も、しなやかで長い脚も、何もかもが違っていた。


 ふと、自分の髪を触ってみる。感触が違うし、色がまったく違っていた。


(カツラじゃない? ……っていうかこれ。もしかして……転生しちゃった、とか?)


 その推測が頭に浮かんだ瞬間、彼女は固まった。


 自分の身に起こったあらゆることに、納得がいく答えはそれしかなかった。


 元々彼女は日本で暮らす女子高生で、道永陽奈という名だった。高校一年生になり、新たな日常を踏み出したばかりだった。


 しかしどういうわけか今は、エル・シー・リヴィアスという銀髪の令嬢になっている。


 もしかしたら夢か、と頬をつねったりしてみるが、ちゃんと痛い。


 真っ白だった頭の中に、再び困惑と驚きが押し寄せてくる。


「え、えぁっと。つまり私は異世界にいて、転生して、それでそれで、結局私はエルっていう人になって。それで」


 混乱した頭をどうにか整理しようとするが、意味が分からなすぎた。しかし、なぜかエル・シー・リヴィアスという名前は、何処かで聞いたような気がした。


「エル……エル……エル……ああ! も、もしかして!」


 そうしてようやく一つの漫画が思い浮かび、彼女は愕然とした。さらに。とても恐ろしい未来まで浮かんでしまう。


「わ、私もしかして。あのメサイアの月に出てきた……エル?」


 メサイアの月、という漫画が日本で連載された時、陽奈はまだ小学生だった。


 あまり有名ではない雑誌に掲載された漫画の単行本は、大方の予想を裏切り飛ぶように売れた。


 彼女自身も小学生の頃、夢中で読んだことを覚えている。


 同時に、先ほど自分を助けてくれた執事のことも思い出していた。


 たしかクロードという名前で、ある時まではエルに仕えていたはず。


 そうしているうちに、徐々に原作の情報が蘇ってくる。


「じゃあ、アシュティアさんは、ヒロイン……」


 あの邸で出会った女は、漫画のヒロインであり主人公の恋人になる運命だ。


「あの茶髪のカッコイイ人は、主人公で」


 茶髪の凛々しい男はゼフィールといい、確かにメサイアの主人公そっくりである。


「私はというと、物語の悪役」


 考えるほどに顔色が青くなってくる。


 エルは漫画内における悪役令嬢ポジションであり、ことあるごとに主人公とヒロインに嫌がらせの数々を行い、それらは過激になっていった。


「で、最後は……処刑台に立たされて」


 作中でありとあらゆる悪事が暴かれた彼女は、最後に法の裁きを受けることになる。


 ギロチン代の刃がギラつく光景が、エルの脳裏に浮かんだ。


「わ、私! このままじゃ死んじゃうーー!」


 そして思わず叫んでしまった。周囲にいた護衛の騎士達が、慌てて馬車の中に押し寄せるほどに。


「エル様!」

「どうなされましたか!?」

「エル様、ご無事で!?」

「賊が潜り込んだか!?」

「す、すみません! 大丈夫ですー!」


 人騒がせをしてしまった罪悪感に包まれながら、エルは何度も謝っていた。


「お、お嬢様が……謝罪を……」


 騎士たちは傲慢なはずの令嬢の変化に、静かな衝撃を受けていた。


 それは小さな変化であった。


 だが、彼らにとっては考えられない変化でもあった。

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悪役令嬢に転生したコミュ障少女、ビクビクしているだけで成り上がってしまう コータ @asadakota

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