軌跡

三角

 悲鳴のような、歓喜のような、どちらともつかない声が出た。

 ついに、学生時代書いていた小説を発見してしまったのだ。俗に言う黒歴史というやつ。

 表紙に”文学”と丁寧に書かれているそのノートを見て、すぐにでも破り捨てたいという衝動が押し寄せた。

 しかし、過去を振り返るにはこれ以上ない品物で、捨てるのはあまりにも勿体ない。

 ゆっくりとページをめくっていく。時折出てくる難しい熟語に、当時必死で辞書を繰っていたことを思い出した。

 当時は本気で文学者になりたくて、周りにどれだけ馬鹿にされても暇さえあれば未来を描いていたな。

 大人になった今その夢は朽ち果てて、期待という名の未来へのスポットライトは消えてしまったけれど。

 今を生きるので精一杯。夢なんてもの考えてる暇はない。そんなことできるわけがない。もうやめちまえ、と。自身に言った。言い聞かせるようになった。

 ああ、溜息が出る。いつからこんなにもつまらない人間になったんだっけか。

 自分はもっと、とんでもない絵空事を馬鹿真面目にやろうとするような奴で。だから、人の夢や頑張りを嘲る奴が許せなかったのに。

 今の自分は、そんな過去の自分を嘲っていることに気づいた。

 でも、確かにこれは成長かもしれない。現実的思考は社会を生きていくために必要不可欠で、それが大人ってやつなのもわかってる。

 昔嘲ってきた奴らは、そんな大人に憧れて大人の真似事をしてたんだろう。

 大人になる代償がこれならもう仕方ないじゃないか。

 人生に区切りをつけるようにノートを投げ捨てた。ついでに気力まで捨ててしまったようで、ソファに飛び込んで目を瞑る。

 かつての校舎が見えた。砂だらけの体操着も、床に落ちている誰かのシャープペンシルも、全てが懐かしかった。

 誰かが喋っている。名前は思い出せないが、快活でいつも明るい奴だったように思う。そのくせ、クラスの中心ではなかったのが不思議だったのを覚えている。

 そいつが何か言っていた。音声がぼやけてよく聞こえない。やっと聞き取れたと思った瞬間、視界が開けて天井が見えた。

 なんて言っていたかな。覚めたばかりなのにはっきりとしない記憶を辿る。

 記憶の中でその言葉に触れて、もう完全に失ったと思っていたあの熱が戻ってきたのを感じた。

 夢。ただの夢だ。

 叶うかどうかもわかりやしないのに、追い続けるためには時に人生すら賭けなきゃいけないとんでもない博打。

 だから、賢い大人は夢を追うのをやめるんだろう。

 それなら自分は馬鹿で、愚かでいいと思った。どれだけ嘲笑われたって関係ない。

 死んだら安定した生活も、資産も、何も残らないんだ。やりたいことを押し殺して生きるよりか、やりたいことやって派手に散りたい。

 自分が生きた軌跡を、輝かしい数多の失敗で描きたいと思った。その中に少しでも成功があれば万々歳だ。

 新たな人生の幕開けを告げるように、さっき投げ捨てたノートを拾った。

 まだページは余っている。今から何でも描いていける。

 人生長くて短いんだから、やりたいことやんなきゃ損だろ。

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軌跡 三角 @Khge-132

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