一読してお分かりのとおり、真面目な書き手さんだな、とおもう。
真面目な方が真面目に生きている方々を真面目に書いている。
名もなき真面目な人々の、その真面目さ。
商売をやっている人を題材にして、その丁寧な仕事の裏にある、彼らの人生を描き出す。
彼らは声高に「苦労してます!」「頑張ってます!」など云わない。過剰な広告を打つこともない。
厨房や工房から出てくる食事や物には、彼らの人生は書かれていない。
しかし「いい仕事をしているな」とおもう時には、おのずとその裏に提供者の辿った人生や精神性が見えてくる気がする。
隅々まで掃き清められた店内。
またはざっくりと壁が汚れたまま、それ自体が味わいとなっているラーメン屋や中華店もよい。
全国どこに行っても同じものが出てくる巨大商業施設の売り場とは違い、個人店舗には、店構え、応対する店員、レジまわり、その店が刻んできたものが仄かに香る。
流れ着くようにしてその商いに行き着いた人。
親の稼業を継ぐことを決めた人。
それを支える周囲の人。
「美味しい」
そのひとことをききたい。
精魂をこめるとは、言葉にすると一言で終わるが、その裏には誰にもしられない習練と真剣勝負がある。
食べ物は食べたら終わる。
物も店頭から買い上げられた最後、二度と創り手はそれを手にすることはない。
毎日毎日、かたちの残らぬものに、真面目な人々は打ち込んでいる。入魂する先のものは、出来た端から消化され、過去の未熟となり果てる。
ちょうど森羅万象を相手にするようにして、時々は、無力さや虚無に落ち込むこともあるだろう。
その空っぽな心のありようこそが、漠然とした森羅万象の霧中にもっとも近づいたような気がして、また彼らは日々の仕事を続けていく。
やらない人間ほど他人に文句が多く、上から目線で偉そうである。
やる人間はその難しさと向き合っているので、他人にケチをつけている閑がない。
やらない人間の横槍や横暴によって客足が遠のき、閉店に追い込まれたとしても、真面目な創り手がこの世から消えることはないのだろう。
創っている人がわたしは好きだ。