第2話 新学年の始まり、不愉快な家族、愉快な友だち
理想の家族像。それは、家族のそれぞれがそれぞれのことを、愛し、敬い、尊重する対等の存在であることだ。しかし、それははかない理想にすぎない。普通は、家族内に厳然とした階層制度ヒエラルキーが存在する。
例えば、一位父、二位母、三位兄、四位弟。
例えば、一位母、二位娘、三位イヌ、四位父、など。
オレの家では、一位母、二位父、三位妹、四位オレ、という順番だった。近頃、二位と三位が入れ替わりそうな気配があるが。何にしろ、オレ自身とは関係ない。これからも、この最下層の位置に甘んじることになるだろう。
一発逆転の秘策はある。反抗期を利用することだ。部屋に入られたり、成績のことを言われたり、着るものの指図を受けたり、漫画を捨てられたりしたときに、近所中に聞こえるほどの大声で母と父をののしり、家の壁を蹴りつける。そんなことをすれば、階層秩序も動揺するはずである。一気に一位に浮上できるかもしれない。
しかし、オレは家庭内ランキングを引き上げるために事を荒立てる気などさらさらなかった。四位でも一向に構わない。この位置のおかげでたまにイラっとする時もあるが、なに、そんないらいらくらい耐えられないでは男がすたるというものである。
「
「やめてよ、お母さん。この年でお兄ちゃんなんかと登校してたら、クラスのみんなに笑われちゃう」
それはこちらのセリフだ、とオレは思ったが黙っておいた。何しろ彼女は三位である。
「いいじゃない、妹想いの兄と兄を慕う妹が仲良く登校する。理想の兄妹でしょう?」
妹はゲェっと吐く真似をすると、
「お母さん、その話は今日でおしまいにしてね。行ってきます」
そう言って、玄関のドアを開け、朝の光の中に妹の都は出て行った。一つ違いの妹は今日から中学二年生になる。妹が可愛かったのはいつ頃までだろうか。お兄ちゃん、お兄ちゃんと後をついて回ってきた記憶がかすかに残っている。あれは、小学校低学年、幼稚園……。
そのくらいの時までは可愛かったが、今は可愛さのカケラもない。兄をからかいの対象くらいにしか考えていないのである。それでも特に不都合はなかった。別に妹と仲良くしたいわけではないのである。オレは、可愛くないものまで可愛がるような博愛主義者ではない。
オレは朝食を食べ終わると、ダイニングテーブルを立った。「行って来ます」とテーブルについていた父に声をかける。四十代後半――確か、四十六だった――の父は新聞を読みながら、ぞんざいに「気をつけてな」と声をかけてきた。父とは近頃、ほとんど言葉を交わさない。この年になれば、父と語り合うことなどないのだ。
それはあちらも同じことだろう。オレが目に入るところにいるとどこか様子がぎこちない。家族のために外で気を張り、しかも家で息子に気を遣わせていて申し訳ないくらいであるが、どうにもできることでもない。時が解決してくれるだろうことを期待するだけである。
玄関で靴を履いているときに母に呼び止められた。今日は昨日と違い晴天である。傘の必要はないはずだ。
「ハンカチ持ったの?」
オレは、「持ったよ」と我慢強く答えた。一体、いつまで出がけにハンカチの確認をされるのだろうか。
「ティッシュは?」
そんなに心配なら学校にティッシュを十箱分くらい今日持ってくよ、と言ってやろうかとも思ったが、やめておいた。何しろ階層秩序の一位である。オレが、うんとうなずくと、
「
と神妙な面持ちで母が言った。
「学校から帰って来てから?」
「そうです。寄り道しないで帰って来るんですよ」
「その話。今じゃダメなの?」
問題を先伸ばしにしたくない。今、聞ける話なら今聞いておきたい。対処はできなくても、気を鎮めたり、それに関して考えたりならできる。
「帰ってからと言ったはずです」
どうも嫌な予感がする。母の口調が丁寧になるときは、ロクな話ではないことは経験上分かっていた。とはいえ、今はどうしようもない。
母の見送りの挨拶を背に受け、オレは外に出た。昨日とは打って変わった青天だった。新学期にふさわしい朝だ。
オレの家から、通っている中学校までに行き着くにはいくつかのルートがあって、その一つのルート上に
もちろん、たまたま一緒になることはあったし、約束なしで環が待っていて一緒になるときもあった。しかし、基本は、一人一人で登校していた。今日、環の家を経由したルートを取ったのは、彼女に会えるかもしれないという期待ではなく、半ば義務感である。付き合っているのならそのくらいのことはすべきだろう。
環には会わなかった。オレは、他の制服姿の同じくらいの年の子たちに紛れて学校に着いた。足を向けたのは、下足を上履きに変えて校舎に入る玄関の、すぐ近くに立っている掲示板である。ここで新しいクラスを確認しなければならない。自分の名前を探したオレの目が、三年六組で留まった。続いて、六組の女子に川名環の名前があるか探してみたが、どうやら中学最後の一年は別々のクラスになってしまったようだ。
「カノジョと離れ離れになって落ち込んでいる少年を発見!」
オレは、自分の名前を確認したあとに、すぐにその場を去らなかったことを後悔した。なに、今からでも間に合うはずだ。オレは聞かなかった振りをすると、玄関に向かおうとした。そこを後ろからガシっと首に腕が回される。時、既に遅し。
「おいおい、新学期早々、無視かよ、レイ」
でも冷たくされるとますます惹かれるワ、と気色の悪い声を出したのは、中一からの友人である瀬良
いつの間にか太一の整った顔がオレの顔の前にある。彼のほうがオレよりも頭半分くらい背が高く、少し見下ろされる格好となる。
「レイ、オレとお前も別のクラスになっちまった」
真面目な顔つきで悲しげに言う。
「オレは一年間、お前と満足に会えないかと思うと……」
良いことである。しかし、太一の想いは違っていた。自分の想いを伝えようと、太一はオレの目をじっと見つめると、いきなり唇を突き出してきた。
「何をしてんだ。お前は!」
オレは太一の顔を押さえる。
「良いではないか、良いではないか」
どこぞの悪代官のような勢いで迫る太一と五分程度揉み合っていると、突然太一の体が何かに引っ張られるようにオレから離れた。
「朝っぱらから何を見苦しいことしてんのよ」
と、代官を懲らしめてくれる正義の味方よろしくオレを助けてくれたのは、ショートカットのボーイッシュな女の子であった。顔見知りである。彼女は、持っていた太一の制服の襟首を離すと、その意志の強そうな鋭い目を太一とオレに向け、
「ボーイズラブは綺麗な男の子同士だからこそ萌えるのよ。あんたたちが愛し合うのは勝手だけど、どこか人の目につかないとこでやってくんないかな。気持ち悪いだけだから」
はきはきとした口調で言った。
「何だよ、
さっと彼女の肩に手を回そうとした太一は一瞬後、ぐほっという苦しげな息を吐き、胸を押さえる格好になった。少女は、肘打ちの体勢から自然体に戻ると、
「新学期からあんたにはうんざりさせられるわ。はっきりさせておくけど、加藤くんにはともかくとして、わたしにさっきみたいな真似したら……」
危険な光を瞳に溜めた。
「オレだったらいいのかよ」
オレはぼやく。加藤くんとはオレのことだ。それを無視して七海は続けた。
「肘打ちなんかじゃすまさないわよ。もちろん、
その言葉に応じるように、七海が名前を上げた少女の一人が、三人のいた舞台に登場した。眉毛の高さで切り揃えられた前髪、顎の高さで水平に切り揃えられた
「ウソでしょ」
さっと顔を青ざめさせた七海が掲示板に向かう。掲示板から悲鳴が上がった。
「どうしたんだよ、あれ?」
オレが訊くと、綾はくすっと笑い、
「太一くんと一緒のクラスになってしまった女の子の断末魔じゃないかな」
と静かに答えた。
「断末魔じゃなくて歓声だろ。喜んでんだよ」
太一が自信たっぷりに言うと、
「瀬良くん、多分だけど、ナナミはあなたのこと本当に嫌いよ。恥ずかしがってるわけじゃないと思うわ」
と綾はさらりとキツいことを言った。しかし、そんなことにめげる太一ではない。
「相変わらず毒舌だな、アヤは。でもそこがいいんだけどな」
と返す。ありがとう、と微笑を送る少女。
「これで学年の主要な美人はオレの五組に集まることになったわけだ。楽しい一年間になりそうだな」
太一が満足そうに言った。
オレは、なおも呆然としている七海とそれを慰める綾、他の女子に声をかけ始めた太一を置き、一足先に校舎に入った。六組の教室に向かう。掲示板をざっと見た限りでは、親しく知った名前はないようであった。まあ良い。あと一年である。いまさら友だち作りもない。みな高校受験で忙しくなることもあって、そうそう人間関係で悩むこともないだろう。
そう気楽に考えていたオレの期待は淡くも裏切られることになった。六組の教室に足を踏み入れ、自分の新しい机を探していたとき、くすくすという抑えた笑い声が耳についた。周囲の目が自分に向いているような気がする。感じの良いものではない。
その原因はすぐに分かった。
黒板の隅に相合傘の絵が描かれている。
その傘の下にオレと環の名前が書かれていた。
プラトニクス・レイ 春日東風 @kasuga_kochi
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