第38幕・嘘つき

玄関を上がり、廊下の先の扉を開いた先にあったのは、一般的な住宅のリビングルームそのものだった。


大き過ぎないテレビに、程良く柔らかそうなソファ、低いテーブルが並び、窓には灰色のカーテン…

何処か懐かしさを感じる空間だった。


「…私はここで、妻とシロちゃんの3人で暮らしていました。さほど裕福ではありませんが…それでも私達は幸せでした。」

所長さんは沈んだ表情のまま呟いた。


「奥様は今、どちらに居られる?」

マワリさんが尋ねる。


「……死にました。先の襲撃で…逃げ遅れた人達を助けに行って…モンスターに…」

「…済まない。」

涙声で語る所長さんに、マワリさんは気まずそうに謝罪した。



「…妻の話は…まだ気持ちの整理が付きません。だからまず…本題に入らせて下さい。

…出会った時のシロちゃんは…"人を探している"と言っていました。私はあの娘の頼みで、この職業相談所で働かせてあげたんです。」


「じゃあ、9万職員さんが魔法でこの施設を広げたのは…。」

「…あの娘なりの恩返しだったのだと思います。ですが…魔導空間は消えてしまいました。」

所長さんはそう言うと、顔を上げて僕を見た。


「…魔法に詳しい訳ではありませんが、空間魔法は使用者が意図的に解除しない限り、存在し続けられる筈です。でもあの娘は…この場所を大切に思っていた筈です…!それにいざという時、この施設は避難所として運用すると決めていました…!あの娘の…使用者の身に何か起きない限り…魔法が解ける理由が無いんですよ…!」


…所長さんは涙ながらに語ると、僕の両肩に掴みかかってきた。


「教えて下さい…!貴方は普段、あの娘と一緒に活動していたと聞きました…!なのに何故…今日は連れてないんですか!?あの娘に…何があったんですか…?」

所長さんは僕の肩を揺すりながら問いただす。…僕には、返す言葉が無かった。


「…お願いです…!あの娘は私の娘も同然…妻を亡くした今、あの娘は私が生きる上での最後の希望なんです…!」


「……ごめんなさ――」

謝罪が喉元まで出かかったその時…


「――92,374番…いえ、お宅のシロちゃんは、怪我の為に入院している。一時期は意識を失っていた為、魔法もその時解けたのだろうが…命に別状は無い。」

僕の言葉は、マワリさんによって遮られた。


…マワリさんの口から出た言葉は、真実ではない…それは僕が一番理解していた。


「本当ですか!?良かった…シロちゃんに何かあったら、私は…!」

所長さんの表情がパッと明るくなる。目尻には涙が浮かんでいるが、それが悲しみによるものではない事は明らかだった。


「所長さん…9万職員さんは――」

僕が真実を述べようとした時――


「…黙ってろ」

マワリさんは、僕の口に手を当てて静止した。


「情報提供への協力…感謝するぞ、所長。行くぞ、ヨシヒコ少年。」

マワリさんは、僕の手を掴んで玄関へと歩んでいく。


「…ヨシダさん。シロちゃんへのお見舞い、行ってあげて下さいね。」

所長さんは、立ち去ろうとする僕達に向けて手を振っている。


…僕の胸は、例えようの無い罪悪感に埋め尽くされた。



・ ・ ・



僕達は、施設の受付へと戻ってきた。

騒ぎはすっかり治まっており、明日に失望した民間人達が廊下にたむろしている。


「…ヨシヒコ少年。」

僕がさっきの事を聞く前に、マワリさんは僕に話しかけてきた。


「もう一度同じ質問をするぞ。例え元人間であるモンスターと対峙しても、君は魔王討伐のために力を尽くす気はあるか?」

…所長と会う前にされた質問と同じだ。


「俺自身の考えとしては、さっきアレフに話した通りだ…。"目の前の脅威から目を背けていては、守る者も守れない"と考えている…。

だが、君の考えはどうだ?」

「僕の考え…ですか?それは…」


僕はマワリさんに賛同するつもりで口を開いた。しかし――


「…待った。」

マワリさんは、何故か答えようとする僕を静止した。


「君は、そうあっさりと決断できる立場では無いはずだ。

…9万職員は、魔王軍に拉致された。その場で殺害するでもなく、だ。…俺の横で話を聞いていた君になら、分かるだろ?」

「…やっぱり…マワリさんも考えてるんですか…?

…9万職員さんが…モンスターにされた可能性を…。」


マワリさんは、眉一つ動かさずに続ける。


「…ヨシヒコ少年。君は、全てを知った上で戦う立場にある。君はいつか、"仲間だった者"と戦う事になるかも知れない。それも生き死にを、人類の存亡を賭けてだ。

…もしそうなった時、君はどのような選択をする?」


もし、モンスターになった9万職員さんと…対峙する事になったら…?


…彼女は、僕の仲間だ。

危険な旅路も、寝食も…そしてモンスターとの戦いも共にした、大切な仲間だ。


(「私…この景色が好きです。」)

(「他人に尽くせる勇者様は…格好良いと思います。」)


…考えるのを、やめてしまいたくなった。


マワリさんは何も言わない僕に、だろうな、と呟いた後、再び話し始めた。

「…正しい選択が存在しない時、俺は俺が思う、"1番マシな選択"をする。

所長に真実を告げようものなら、彼は生きる意思を失いかねない。…だから、俺は敢えて嘘をついた。」


…僕には、何も言う事が出来ない。

マワリさんが正しい行いをしたとは言えない。だが、マワリさんが間違いを犯したとも到底言えないのだ。


「…我々に与えられた正解は"魔王を倒す事"、それだけだ。そこに辿り着くまでは――」




「――君も、君が思う"1番マシな選択"をしろ。」



そう言い切ると、マワリさんは施設の出入口へ歩き出した。


「マワリさん…何処に行くんですか?」

「…定期連絡だ。明日もまた、ここで会おう。」


開いた自動ドアを、マワリさんは通り抜けていく。

自動ドアは何かを人と誤認したのか、暫く閉じないままでいた。

マワリさんの後ろ姿が、何故か物悲しく写った。



To Be Continued

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る