第3幕・帰るべき場所
生徒玄関に差し込む陽光が弱まると共に、
彼らの対話の場の空気は冷え込んでいく一方だった。
大して涼しくもない夏風が、ガラス戸を覗いた先の葉の生い茂る木々をざわめかせた。
「…悪くない提案だと思うよ?」
少女はヨシヒコの顔を覗き込んで言った。
ヨシヒコは顎に手を当てたまま俯いている。
白いコンクリートの柱の陰で戦慄する2名を他所に…。
「アイツ…どういうつもり…!?」
「班長、誰っすか?アイツ…」
「そこに居るんでしょう?…出てきなよ。」
「……!」
突如少女が静かに言った。
その言葉の向く先がヨシヒコでは無い事を認識した瞬間、秋葉は少女と目が合っている事に気が付いた。
「ええ…良いわよ…!」
床板を踏み鳴らし、秋葉は柱の陰から飛び出した。
「ウチの班員を奪おうってんなら…こっちだって黙ってないわ…!」
そう言うと、秋葉は少女を睨みつけた。
「は…班長!?居たんですか!?」
ヨシヒコは驚きを露わにする。
「俺も居るぞ〜…で、コイツ誰っすか?班ちょ」
「"奪う"だなんて、人聞きが悪いなぁ…。
私は、ヨシヒコ君を助けたいだけなのに…」
通谷の言葉を遮り、少女は秋葉の言葉に応えた。
「他所の班から引き抜こうとしといて…何が"助ける"なのよ!?ねぇ?ヨシヒコ君!」
「………。」
秋葉の言葉を前に、ヨシヒコは俯いたまま黙っている。
すると少女は、両手を広げながら静かに溜息をついた後、話し始めた。
「…そういう事はさぁ?…自分達の班の行いを客観的に見つめ直してから言って欲しいんだけどなぁ…。」
「どういう意味よ…?」
秋葉は少女を再び少女を睨みつけた。
「…あなた達はそんなに賢くない…なのに、新発見をしようだの何だの、身の丈に合わないコトばっかしちゃってさ…。
大人しく教科書や参考書に載ってる内容をなぞってれば、旧理科室送りにならずに済んだかも知れないのに…。
あなた達には、現実が見えてないんだよ。」
「…はぁ!?」
怒声を上げると共に、秋葉は少女の襟元に掴みかかった。
「班長!?」
通谷が驚いた様子を見せるも、怒りを剥き出しにした秋葉に止まる様子は見られない。
少女を掴み上げる秋葉の身は、沈んだはずの夕焼けに照らされているかの如く熱を帯びている。
「取り消しなさい…!私達の2年とちょっとを何だと思って…!」
「…はは…っ…ヨシヒコ君も…短気な先輩を持って…苦労してるだろうねっ…!」
「コイツ…!」
奥歯が擦れる音と共に、秋葉は左手を握り振りかぶる。
「やめて下さい、班長!」
秋葉の拳が風を起こす前に、俯いたままヨシヒコが叫んだ。
少女は秋葉の右手から解放され、ドサリと音を立てて床に落ちる。
「…ヨシヒコ君…?」
「"氷継"、今日はもう帰るよ。」
我に返り戸惑う秋葉を他所に、ヨシヒコは少女にそう言った。
「苗字で呼ぶなんて…何時になく他人行儀だね?ヨシヒコ君。」
そんな少女の言葉に振り向きもせず、ヨシヒコは下駄箱に手を伸ばす。
スニーカーが地面に落ち、パタリと音を立てた。
仲裁によって生まれた静寂の中で、一層目立ったその音は、不思議と長く響いているかのようで__
__その余韻が消える頃には、既にヨシヒコはガラス戸を通り抜けていた。
「じゃあね〜!ヨシヒコ君!また明日、答え聞かせてね〜!」
少女は去り行くヨシヒコにそう呼び掛けた。
「性懲りも無く…アンタ…!」
秋葉は袖を捲り、少女に歩み寄る。
「班長…!」
そんな秋葉の目の前に、通谷が割り入る。
「通谷…!アンタは悔しくない訳!?
アイツはヨシヒコ君を引き抜こうとした上に…私達のこれまでの活動を馬鹿にして…」
「班長!!!俺はアンタにこき使われる覚悟なら出来てるっすけど…暴力沙汰は庇いようが無いんすよ!
それに…リーダーのアンタが冷静さを欠いたら、困るのは俺らの方っす…!
…俺もヨシヒコも…班長、アンタを一番頼りにしてるんすから…!」
秋葉の顔を真っ直ぐ見つめながら、通谷は諫言を述べた。
「………分かったわ…ごめん、通谷…。」
秋葉は通谷と目を合わさないまま、静かに呟く。
「先輩方。私はヨシヒコ君と話をしたかっただけなの。だからアナタ達2人はこの件とは関係無いし、この話もコレでお終い。」
そう言って玄関に腰掛けながら、靴紐を結ぶ少女を、通谷と秋葉は静かに睨んでいた。
「明日から2人になるだろうけど…埃被った部屋で、精々引退まで頑張ってね〜?"先輩"。」
少女は2人に向けて手を振りながら、生徒玄関から立ち去っていった。
その玄関の先に、今にも走り出そうとしている秋葉を、通谷が羽交い締めで抑えていた。
「…どうにか…ここは堪えて下さい班長…!
アンガーマネジメントっすよ!6秒数えましょう!せーのっ!」
「いーち!」「いち…!」
「にーい!」「にっ……!」
「さーん!」「さぁん…!」
「よーん!」「よんッ…!」
「ごーお!」「ご…!」
「ろーく!」「ろく…!」
「…捻り潰す…!あのアマ…!」
「次の研究テーマは"アンガーマネジメントの限界"に決まりっすね…。」
変わらず激怒する秋葉を、通谷は遠い目で見つめていた。
・ ・ ・
一夜明けて、また夜が迫る。
その日は小雨が降っていた。
傾いた日の光が、ほのかに雨雲を赤く照らし、また雲の隙間から漏れ出していた。
軋む音と共にドアが開く。
「あっ、班長、お疲れっす。」
旧第3理科室に足を踏み入れた秋葉に、通谷が声を掛けた。
「…通谷、ヨシヒコ君は来てる?」
暗い表情のまま、秋葉が答えた。
「いや…来てないっすけど…。」
「そう……。」
秋葉は俯きながら、静かに呟き、そのまま席へと着いた。
静寂の中、雨粒が窓に当たる音だけが、部屋に響き渡る。
秋葉は虚ろな目で、薄く光る手の爪を見つめる。
「…班長…誰なんすか?昨日の…ヨシヒコを引き抜こうとしたアイツ…。」
通谷は静寂を割るべく、秋葉へ問い掛けた。
秋葉は埃被った机を眺めたまま答え始めた。
「昨日のアイツは…"氷継 鋳火(ひつぐ いるか)"…。私達の1つ下の後輩よ。」
「へぇ…1つ下の後輩っすか…。」
通谷が納得した様子で呟く。
「1つ下の後輩…1つ下……後輩……?
………ぇえッ!?アイツ後輩だったんすか!?生意気過ぎるっしょ!?俺ら先輩に向かってぇ!」
通谷は冷や水を被せられたかのように飛び上がり、コメディ漫画なら目が飛び出すであろう勢いで驚きを露わにした。
「あぁ…気づいてなかったのね…。別れ際に私達を先輩呼びしてたと思うんだけど……」
(「精々引退まで頑張ってね〜?"先輩"。」)
言葉が途切れるとほぼ同時に、秋葉は右手で机を殴りつけた。
「班長!?」
「…いや、何と言うか…思い出したら腹立ってきて…。」
左手で肘を着いて、額を抱えながら秋葉は呟いた。
「班長!そういう時こそアンガーマネジメントっすよ!6秒…」
「…そのネタはもういいのよ…!」
「ネタ…って……えっと……ハイ…。」
調子良く提案を述べた通谷は、秋葉の怒気に気圧され、そのまま黙り込んだ。
「話を戻すわ…。
アイツ…氷継は、中2にして部内でかなりの功績を残してる…所謂"天才"よ…。先月には、町内の生態系をほぼ独学で調べ上げて、噂になってた新種のキツネの存在を証明したりもしてたわ…。」
秋葉は苛立ちを抑えきれない様子を見せつつ、語り出した。
「…あ〜…ぅうん…?
…あぁ〜!新種のキツネっすね!そういえばニュースでやってたっすね〜!ウチの学校の奴だったんすか〜!」
飄々とした態度で通谷が言う。
「通谷、アンタ…知らなかったの…?」
「ええ。俺、他人の功績には興味無いんで。」
一転して、毅然とした態度で通谷が言う。
「良い性格してるわね…アンタ…。」
呆れた様子で秋葉が言う。
「あざっす!」
「褒めてないわよ…!」
一転せず、余計に呆れた様子で秋葉が言う。
「とにかく……アイツは功績もある分、顧問にも顔が効く…。アイツが顧問に掛け合えば、ヨシヒコ君を氷継の班に移動させる事だってできてしまうわ…!」
机の縁に爪を立てながら、秋葉は話し続ける。
「う〜ん…」
通谷が首を傾げて短く唸る。
「…でも、ヨシヒコがそんな易々とウチの班を捨てたりするんすかねぇ?」
少し間を空けて、通谷は疑問を投げ掛けた。
「…通谷、冷静に考えてみて。」
「…?」
秋葉の返答に、通谷は再び首を傾げた。
「…他の部員に後ろ指差されながら、古汚い部室で埃被った実験道具を漁る毎日か…それとも、優等生のスカウトの下、期待の眼差しと、円滑な活動のための施しを受けながら送る毎日か…選ぶとしたら、どっち?」
「えっ…」
秋葉の言葉を受けて、通谷は硬直する。
雨足はより強くなり、雲が沈みゆく日を完全に覆い隠す。
「"ヨシヒコ君には、選ぶ事ができる。"」
「"選べる立場にいる。"」
雨音とリンクするように、秋葉は語気を強めてそう言った。
「……それって…。」
通谷の反応を前に、秋葉は静かに頷いた。
「…ヨシヒコ君はもう、ここに来ないかもしれない。」
言葉とほぼ同時に、突風が吹いた。
窓枠は軋み、貼り付いていた雨粒は、次々とどこかへ流されていった。
――放課後を告げるチャイムが鳴った。
・ ・ ・
廊下の窓々が、雨降る景色を映し出す。
ドタドタと床を踏み鳴らす音が響く。
雷が落ちた。
廊下に光が飛び込み、辺りが真っ白に埋まる。
靴底が床板と擦れる音が立て続けに鳴る。
遅れて響いた雷鳴が、その音を上書きしたのを最後に、床も、靴も、その鳴りを潜めた。
「……道を開けてくれ…。」
「…"イルカ"。」
立ち止まったヨシヒコの目の前には、氷継鋳火が立っていた。
「…この先は旧理科室。ここを通ろうとしたって事は……。
…私の提案は…受けてくれないんだね。」
氷継は冷たい目をしたまま、微笑んで言った。
「…僕の活動場所は旧第3理科室なんだ。先輩達も待たせてる…通してくれよ。」
ヨシヒコは、真っ直ぐ氷継を…そしてその後ろにある旧理科室の扉を見つめて言った。
「…それで…いいの?ヨシヒコ君……」
「…?」
ヨシヒコは眉を顰めつつ、氷継の話に耳を傾け続ける。
「…旧理科室に与えられた環境では、碌な成果なんて上げられない…。元の理科室に戻るチャンスはほとんど無いんだよ…?」
「…それでも…僕は先輩達とやって行く…そう決めたんだ…!」
ヨシヒコは雨音を掻き消すが如く、声を上げた。
「先輩って…あの短気なヒステリー女?
…あんな人について行こうとしてるって事?」
「……。」
氷継の言葉に、ヨシヒコは何も返さない。ただその目元だけが僅かに震えている。
「…私はね…"あの人達"がどんなに蔑まれたって…埃被った部屋で苦しんだってどうだっていい…。ただヨシヒコ君…君があの人達に巻き込まれて、一緒に苦しんでるのが許せないの…!」
降り止まない雨のように、氷継は話し続ける。
「…あんな無鉄砲で向こう見ずな女の元じゃなくて、私と一緒に活動しようよ…!だってヨシヒコ君は――」
「…いい加減にしてくれ!!!」
ヨシヒコは声を荒らげて叫んだ。
氷継は目を丸くして立ち尽くしている。
「僕は…先輩達の常識を疑う姿勢に…その大胆さに惹かれたんだ!何も分かってない癖に…勝手な事を言うな!」
ヨシヒコの怒声が廊下中に響き渡る。
「…退いてくれ!」
ヨシヒコは氷継を押し退けて、そのまま廊下の先へと走り出した。
「…そっか……分かったよ。ヨシヒコ君…。」
氷継は、走り去るヨシヒコの背を眺めながら呟いた。
「…でもね…ヨシヒコ君…、私は…諦めないからね……。」
・ ・ ・
「通谷先輩!班長!遅くなりました!」
ガラガラと扉の開く音が響くと同時に、僕は先輩達に声を掛けた。
「よっ…ヨシヒコ君…?」
…何故か班長は困惑しているようだ。
「何目ぇ丸くしてるんすか、班長!」
通谷先輩はいつもと変わらない様子だ。
「班長の心配が杞憂で終わったって事じゃないっすか!ほら、さっさと実験始めましょうよ!」
「ふっ…そうね…。ヨシヒコ君が、この場所を選んでくれたのだから…。」
班長は一転して、微笑んでいる。
「えっと…2人共…一体何の話を…?」
「…何でもないわ。
早速だけどヨシヒコ君、昨日用意したボウル、準備室の奥から取ってきて!」
班長は、今日最初の指示を出した。
「はいっ!」
僕はそれに応じるべく、準備室に向かって歩き出した。
ふと窓の外を見ると、雨は完全に止んでいた。
山際は沈んだ夕日に照らされ、雲間には微かに星空が見えていた。
「そう言えばさっき…廊下から大きな声がしてたけど…。」
準備室の扉を開ける僕に班長が言った。
「たっ…ただの雷ですよ〜!多分…」
さっきの話をするのが照れくさくて、僕はぎこち無く誤魔化した。
To Be Continued
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