今日は、ラーメン。

虹雷

「今日は、タンタンメン。」

 寂れた町中華に似つかわしくない大きな声で、向かいのカウンター席からオーダーが入りました。

 私は思わず丼から顔を上げ、声の主を確認します。


 大量の手書きのメニューの短冊を背に座っていたのは、ヨレヨレのシャツを着た眼のくりっとした可愛らしいお爺さんでした。

 オーダーをした後は、天井からつり下がっている小さなテレビをじっと見ています。


 それ以上彼を見ていてもしょうがないので、私は再びラーメンと向き合い始めました。

 店主が淡々とタンタンメンを作る調理の音をバックに、ひたすら麺を啜ります。音量がかなり下げられたテレビは、内容が殆ど聞き取れません。

 いくつかの音に囲まれていても、静寂はあります。


 その日は、それだけ。




「今日は、タンタンメン。」


 後日。

 また、同じ声、同じトーンでオーダーが入りました。


 後日といっても、二日後くらいでしょうか。私はその店の常連でしたので、週に三、四回は通っていた覚えがあります。

 二回連続で同じオーダーをする事くらいなら、あるか。その時はそう思ったくらいの感想でした。


 店主はどうだったのでしょうか。接客業(を含んでいる仕事)なので敏感に何かを感じ取っていたのでしょうか。それとも、全く意に介していなかったのでしょうか。

 タンタンメンを構成する何かを炒める音と、客が麺を啜る音だけが店内に響いています。




「今日は、タンタンメン。」


 察しの良い読者は概ね予想がついたかと思われますが、この店であのお爺さんと遭遇するたびに、彼は全く同じ宣言をするのです。


 同じ声。同じトーンで。タンタンメンを頼む。


 一つ疑問が湧いてきます。


 「今日は」とは、何なのでしょうか。

 毎回同じメニューを頼むのであれば、「今日も」の方が自然かと思われますが…?

 もしかして、来るたびに前回頼んだメニューを忘れているのでしょうか。それとも、私が奇跡的にタンタンメンの日だけマッチングしてる?


 彼に会うたびにそんな妄想を膨らませている日々でしたが、ある日、お爺さんは小さな…いや彼にとっては大きな事件を起こしてしまいました。




「今日は、タンタンメン。」


 その日、お客さんは先着していた私と、お爺さんだけ。店内には、店主を含めて三人が居る状況でした。


 店主は、タンタンメンを作り、オーダーを消化してしまったら、まあまあ暇です。

 私も食事を済ませて、水を飲み、お腹を落ち着けていました。

 たまたま、なんとなくその場の視線が天井の小さなテレビに集まっている瞬間がありました。

 お昼のバラエティ番組で、芸人がボウリングの企画にチャレンジしている内容だとボンヤリ記憶しています。

 丁度、ある芸人がその企画に失敗したシーンを映していたところでした。

 なにせ、本当になんとなく見ていただけなので具体的な描写が曖昧なのは承知いただきたい。

 ただ、その後の出来事は鮮明に覚えています。


「球の勢いが足りなかったから、曲がっちゃったんだなぁ」


 同じ声から、違うトーンで、違う台詞が聞こえてきました。

 静寂な店内に、電撃が走ります。


 テレビを見ていた私と店主は、思わず声の主の方を見てしまいます。

 そこには顔をトマトのように真っ赤にした、タンタンメン爺さんが顔をしきりに撫でていました。

 私達は反応することが出来ず、私はいたたまれなくなってお会計を済ませて店を出ました。




 帰りの道で、『今日は』の意味を、私は全て察しました。

 ああ、あの人は「常連」になりたかったんだな、と。

 そして、失敗してしまったんだな、と。


 話が飛んでしまいました。

 順を追って説明しましょう。


 まずは、「テレビの感想事件」を分析しなければなりません。


「球の勢いが足りなかったから、曲がっちゃったんだなぁ」


 細かくは覚えていませんが、きっとテレビの内容に言及したものでしょう。

 芸人が何らかの企画で失敗した原因を分析し、言語化したのですかね。

 恐らくは、全員がテレビを見ているため、共通の話題として乗っかって来てくれるだろうという期待を込めての発言でしょう。


 ただ、その場でテレビの内容で盛り上がるには、北極でドリアンを栽培しようとするくらいに土壌が悪かった。

 店主は寡黙で、お客さんと話しているところを見たことがありません。必要なやりとりを、必要な分だけ済ませていました。

 そして、これは自虐なのですが、当時の私は名前も知らない爺さんに意識の外からボールを投げられて対応できるようなコミュ力を持ち合わせておりません(あくまで当時、と虚勢を張らせていただきます)。


 そんな中に投げかけられた一石は、ずぼりと一瞬音を立てたのみで、全く波を立てることはできませんでした。


 さて、この事件から、お爺さんのオーダー…『今日は』について考えます。


 テレビについてコミュニケーションを取りたがっていたという事は、必然的に彼はこの寂れた町中華に対してそういった交流を求めていたことになると思います。

 この視点が加わることで、『今日は』に一つの意味が生まれてきます。


 それは『常連感』を出して、コミュニケーションを取りやすくしたかったのではないかです。


 皆さんにとって、「常連」とはどういったものでしょうか。

 いつもの!でオーダーが通る事でしょうか。店主と身内トークに花を咲かせることでしょうか。それとも、自分で棚からメニューを持って来たり、片付けを手伝ったりする事でしょうか。

 どれも、正解でしょう。

 でも、「『今日は』、〇〇を食べようかな。」という注文の仕方をしている人がいたら、この人はいつも来ている…常連なんだな、と思いませんか。


 お爺さんの狙いは、そこだったのかなと思います。

 常連になりたいという、ささやかで尊い願いを籠めて「今日は」と言うことで、まるで「昨日も一昨日もここに来てたよ」みたいな雰囲気を出したかったのではないでしょうか。

 「いつもの!」と言える関係性を、ゼロから構築したくて…。

 毎回タンタンメンなのは、ツッコミ待ちだったのか、何も考えていなかったかまでは分かりませんが、なんにせよそこから店主との…あるいは客同士の会話が生まれるのではないかとの期待が籠められていたのではないでしょうか。

 

 しかし、残念ながらそれが実を結ぶことはなかったので、本当の常連になるためにさらなる策を講じなければならなかった。

 そのための精一杯の攻め、切り札が、先ほどの「テレビの感想」だったのです。


 この分析、如何でしょうか。

 チンプンカンプンな誇大妄想でしょうか。


 …ええ、仰りたい事は分かります。

 ドリアンを育てられない土壌を形成した一人が、何を高尚に!と。


 その通りです。

 許してください、タンタンメン爺さん。気の利いた事が言えなくて。


 そして、あなたの一歩踏み出した勇気に、敬意を表します。

 今の時代、一から常連になってコミュニティを形成するのは難しいでしょう。

 それも、一言で顔を真っ赤にしてしまうようなメンタルで。

 精一杯、『今日は』で常連感を演出して。毎日同じメニューを頼むから台無しで。

 それでも現状を変えようとしたチャレンジは、途方もなく尊いものだと思いました。




 あの事件から一、二週間後。

 私はその町でのもう一つの行きつけの定食屋に居ました。

 マンションの1階を間借りしている、アットホームで、穏やかな時間の流れるところです。

 いつものように、はずれの無い店の名物、日替わり定食を食べていると。

 あの声、あのトーンで、違う台詞が聞こえてきました。


「今日は、ラーメン。」

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今日は、ラーメン。 虹雷 @Kohrai

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