刺されるということ
琥珀石
ずっと
中学校の昼休み。なぜか昼食はクラス全員で、教室内で摂ることとなっている。入学当初、私はこれが少し嫌だった。今は慣れているが。
周りはお弁当を出して、ご飯とおかずを食べている、友人と雑談をしながら。一方私は鞄から袋パンを出す。スーパーで買った、100円もしないものを。
そして私は誰とも喋らない。というか喋りたくなかった。
「そういえば秋風っていっつもあのパン食べてるよな」
「そういえばそうだな。あの細長いパンがいくつも入ったやつ…なんだっけ、片親パンって言うんだっけ?」
「そうそう」
私が食べているものについて、知らない男子生徒が話し出す。そして私の家庭環境を知ってか知らずか、私が食べているものを片親パンだと言ってきた。
…私は反応しない。腹が立つけれど、反応しない。するだけ無駄だし、多分彼らは私に会話が聞こえないように話しているつもりだから。
「…って、そういえば本当に片親なんだっけ?」
「…そうだな。俺、秋風同じ小学校だから知ってるぞ。お父さんがお母さんを刺してたの覚えてる。で、片親になったっぽい」
「こわっ。てか…なんで同じ小学校だからって知ってるんだ?」
「卒業式中に刺してたから覚えてる。めっちゃ印象的だったよ」
「うわぁ…マジで?卒業式で刺す?どんな状況だった?」
「えっと…『アイツなんかできなきゃよかった!』『なんてことを言うの!』みたいな言い争いを———」
彼は、卒業式で起こった出来事を再現しようとしていた。しかも身ぶり手ぶりと声色で誇張表現をしながら、ふざけるように。
ふざけているし、もうその卒業式は2年前になるけれど、その演技が当時の状況を完璧に再現していることは一瞬で理解できた。
気づけば、私の拳が痛くなっていた。他にも、周りの椅子や机、他の人のお弁当箱が散乱していた。
そして、先程まで卒業式の再現をしていた男子は、床に背中から倒れていた。
………私は、気づけば机の海をなぎ倒し、人を殴っていた。
***
忘れられない記憶がある。もう2年前だけれど、今でも時折思い出す。必死に消そうとしても消えない記憶。それは小学校の卒業式の記憶だった。卒業式には、お母さんだけが来ていた。
『それでは、別れの歌を歌います』
アナウンスが流れ、私含めみんなは歌い出す。体育館のステージ前に置かれたステップ台に乗り、親に向かって歌うのだ。私は、歌ってる時に席に座るお母さんを見つけた。お母さんも私に気づいているようだった。
…これだけなら、よくあることだった。でも、なぜか運命の歯車というのはマイナスへ回っていった。
じきに、お父さんが体育館に入ってきた。式の雰囲気を損なわないように配慮しながらコソコソと。そして、お母さんの隣に座った。
これも、よくあることだ。でも、何かお母さんはそれが気に障ったのか、隣のお父さんに何かを話した。
会話の内容は知らないけれど、なんとなく予想はついていた。お父さんは朝、『急な仕事ができたから卒業式に行けない』と言っていたのだ。
それなのに来たということは仕事がなくなったのだろう。喜ばしいことだ。
でも、お母さんはそれが気に入らなかったのだろう。朝、仕事で卒業式に行けなくなることについて少し揉めていたから。揉めた手前か、お母さんはなあなあにすることができなかったらしい。そのせいか、お母さんはお父さんと口論に発展した。声は聞こえないけれど、表情はなんとなく見える。かなりヒートアップしていた。
お母さんは、一度弓を引いたら収めることをしないタイプだった。お父さんはお父さんで人の気持ちを読み取るのが少し苦手なタイプ。普段は両方さして気にならないけれど、ちょっとしたいざこざが、この2つの性格が混ざって大変なことになることは今まで何度かあった。
けれど、それはたまにの話で、頻繁に起こることではない。ましてや、卒業式で起こるはずがないと思っていた。しかし、現実は非情だった。ヒートアップは止まらなかった。ついには、私にまで聞こえそうなぐらいのぐらいで話し出す。
「卒業式でしょ!」
「———から、———しろ」
お母さんはもう酷いぐらい声を出す。お父さんは控えめだったので、あまり聞こえなかった。じきに、周りの大人たちや、手が空いている先生たちが私の親に収めようと近づいていく。
「———っつもそうだ。———で、———なんか———よかった」
「なんてこと言うのよ!」
周りが収めようとしたその瞬間だった。お父さんは、手持ちの鞄から包丁を取り出し、お母さんに向けた。
なぜ包丁を持ってきているのか、というのはわからなかった。しかし、わざわざ卒業式に持ってくるぐらいなのだから、よほど何か思うところがあって持ってきたのだろう。
「こういう場所じゃなきゃお前は一生理解しない!」
ついには、お父さんも大声を出し、勢いのまま包丁を振り回す。が、それがお母さんに当たることはなかった。お母さんがお父さんから離れようとする動きと、お父さんの包丁を持つ手の動きが上手い形でかみ合ってぶつかり、その衝撃で包丁が床に落ちたのだ。
お父さんは何が起こったか一瞬わからなくなったのか、動きが止まった。しかし、お母さんは動きを止めなかった。何が起こったか一瞬で理解し、包丁を拾って取り上げた。
…これで終わってほしかったが、そうはならなかった。包丁を取り上げるお母さんにお父さんは飛び込み、包丁を取り合う形となった。
当然、取り合いというのは力の強い男が勝つもので、お父さんはお母さんから包丁を取り上げ、すぐさまお母さんのお腹を刺した。
………当時の私は、続け様に起こる出来事に耐えられず、膝から崩れ落ちて、意識があるのかないのかよくわからない状態になった。
次にはっきりとした意識があったのは、学校の保健室のベッドの上だった。保健室の先生は、ショックのせいで私は倒れたのだと教えてくれた。
…そして、ベッドの隣にはお父さんがいた。
「…お父さん?」
「………」
「………あれ…卒業式は?」
「………色々あって」
起きてから数日間は、ショックのせいなのか卒業式中の記憶が曖昧だったのを覚えている。不思議な感覚だった。
「…色々?」
「………色々。…ごめん、ちょっと色々ありすぎて…用事ができちゃった。卒業式にちゃんと来れなくてごめん。また今度、ゆっくり話そう」
そう言って、お父さんは保健室から出ていった。
それが最後の会話だった。
ショックのせいか、あの時の私は状況が上手く理解できていなかった。そして、どうせすぐまた会えると思ったのだが、日々と共にショックがなくなるにつれ、状況を理解していき、事件の詳細を思い出していった。
お父さんには、あれ以来会っていない。なんとか生きていたお母さんも、お父さんと会っていないらしいし、お父さんのことを話そうともしない。私も、空気を読み取って話題にしない。
…前々から、こうなるんじゃないかという予想はできていた。この家庭は、こんな風にいつか崩れるのではないかと、子供ながら予想できていた。
それに、今思えば予兆はあった。それは、家の中から包丁が1つ消えた事件が卒業式の1ヶ月ほど前にあったことだ。お母さんはカンカンで、誰かが隠したとばかり決めつけ責め立てていた。どう考えても隠す意味がないし、イタズラだとしてもそんなタチの悪いことをする年齢の人もいない。犯人なんてどうせいない、何かの手違いか事故なのだから、なあなあにすればいいのに、と私はあの時思った。
ただ、前々から似たような状況…つまり物がなくなってしまう度に、お父さんの表情は、なんとも表現し難いものになっていたのは覚えている。怒りのような、そうでないもののような表情をよくしていた。包丁の時は…そうでなかった気がする。
…つまり、お父さんは少なくとも1ヶ月以上、怒りを収めることなく、計画を持っていたということだ。それほどの内なる怒りを持つ理由は…なんとなくわかる。お母さんと一緒に過ごしていた私なら。
…そして、お父さんはともかく、なぜお母さんは落ちた包丁を取り上げたのか。あのタイミングで逃げればよかったはずだ。取り上げるのは勇気がいるし、リスクのある行為だ。それなのにしたということは…お母さんも、お父さんに前々から何かしら思うところがあって、あの機会を『良いチャンス』と思ったのではないだろうか。その思考のせいで…刺されるまでに至ったのだろうけど。
………私は、なぜああなったのか、というのをいまだによくわかっていない。それに、なぜ刺そうと思ったのか、なぜそうさせるまでに至ったのか、他にもっと怒りを発散する方法はなかったのか、なぜお母さんはあの時逃げずに反撃しようとしたのか………その理由は、そうやすやすとわかるものでもない。
ただ、あの事件は迂闊に馬鹿にしていいことではないのは、誰にでもわかるはずだ。それこそ、馬鹿にしたら当事者に殴られてもおかしくないことだということはわかるはずだ。
「秋風、なんで櫛田を殴った?」
気づけば、私は進路指導室に先生と居た。そして、神妙な顔で先生は質問してきていた。
「………」
「………秋風」
「………親のことを、馬鹿にして、触れられたくない昔のことに触れてきて。その昔のことは、とっても苦しくて…」
「………」
片言で、俯きながら私は答えた。
その後も色々聞かれたけれど、内容はよく覚えていない。どうでもいいことだったから。
そして、先生は親に電話をしようとしたらしいけれど、繋がらなかったらしい。繋がらない理由はわかる。だってお母さんは仕事中でスマホの電源を切っているから。
放課後になる時間にはいつも通りの状態となって、帰ることとなった。
***
帰り道、私は彼を見た。ふざけながら卒業式の再現をした彼を。彼は、男女複数人と会話しながら帰っていた。
周りを相変わらず気にしていないのか、大声で会話しているので、遠くから見る私にも会話の内容が聞こえた。
「秋風ヤバかったな!痛かったか?櫛田」
「………まあ、痛かった。血は出てないけど」
「元気ないね。まだ痛い?」
「…痛い」
「やっぱ人を刺すようなヤツの子はヤバいやつなんだろうな、秋風のやつマジになりすぎだろ」
「………」
私が殴ったときの痛みがまだ続いているのか、彼、つまり櫛田は自身の頬をさすりながら軽く相槌だけを打っている。同調はせず、心ここにあらずといった様子で。
「あ、俺ちょっと今日はこっちに用があるから…」
「そう?じゃあさよならー」
じきに櫛田は、集団から離れて別の道へと帰っていく。私は、その場に立ち尽くした。
…彼らには、何も響いていないようだった。私が殴った理由が。わざわざ殴ってくる、という意味を理解していないようだった。卒業式で起こった事件を、当事者の目の前に話されることがどんなことかを理解していないみたいだった。身近な人がいきなり消えることを、包丁で人を刺す人の気持ちを。
私はなんとも言えない憎悪を彼らに抱いた。
…私は考えた。どうすれば彼らに私の気持ちを教えられるのかを。
答えはすぐ出てきた。人の気持ちを理解できるのは、同じ体験をした人だけ。つまり、答えは単純だ。
………
………もしも彼を刺したなら。もしも包丁で刺し殺したなら。
彼に、彼の友人に、刺されるということを教えられるだろうか。人を刺す人の気持ちを教えられるだろうか。身近な人が消えることについて、みんなに教えられるだろうか。いつも会っていた人と急に別れることについて、教えられるだろうか。
………
何を考えていたのだろう。今私は、とてもおかしな思考回路を持っていた。
忘れよう、こんなことは。今日あったことは全部忘れよう。1週間もすれば今日のことは全部なかったかのように忘れる。
***
もしも…もしも本当に、この安っぽい痛い妄想を行動に移したら。もしも、この妄想を実行することに意味があるのなら。
下準備は必要なのではないだろうか。櫛田はどの門から出て、どの時間に帰宅するのか。自宅はどこにあるのか…というのは知っておいて損はないはずだ。それに、調べるだけならなんらおかしなことじゃない。調べるだけ調べてみよう。
そう考えてから、日々は目まぐるしく過ぎていった。明確な目的のようなものができたからだろうか、それとも他人の身辺調査という非日常な行為が、時間の流れを早く感じさせたのだろうか。
ともかく、1ヶ月ほど櫛田のことを調べてみた。
まず、櫛田の帰り道と自宅を調べた。櫛田は部活が終わった後、同じ部活の友人と正門から出て、人気の多い道を通り、住宅街の自宅へと向かう。あっさりと道のりと家の場所はわかったのだが、だからといってこの情報は役に立ちそうがなかった。人気が多く、誰かといる状況では襲うのが難しいからだ。
次に何を調べようかと考えていたら、驚くべき瞬間を目にした。それは私が職員室に行こうとした時だった。櫛田が職員室の前で先生と話しているのを見かけたのだ。
「部活、辞めようかな…って思っています」
「…急にどうしたんだ?」
「いや、なんというか…辞めたくなりまして」
「ちょ、ちょっと待って。あっちで詳しく話そう」
先生と櫛田は、部活について少し話したのち、職員室の隣にある進路指導室へと入っていった。
…なぜかはわからないけれど、櫛田は部活を辞めるようだった。櫛田は真面目ともふざけているとも言えない顔つきで話しており、昼休みのあの一件の時とはかなり違う雰囲気を出していた。
櫛田が部活を辞めた理由はわからない。でも、大事なのはそこではなかった。櫛田は部活を辞めてから、人気のある正門ではなく、人気のない東門から帰るようになった。また、部活を辞めた影響で友人と帰ることはなくなり、1人で帰るようになった。
また、どういう心境の変化かわからないが、櫛田は学校でも1人でいることが多くなった。昼食中に誰かと会話することはなく、休み時間はいつもすぐどこかへ行ってしまう。そして、1人で物思いにふけているか、行った先で学校の課題をするのだった。
また、それ以外の行動も明確に変わっていた。誰かが物を運ばないといけないときには先んじて動き、誰かが面倒な手伝いをしなければ行けないときには率先して立候補していた。
人が変わったようだった。本当になんなのだろうか、この変化は。
………考えても仕方のないことだった。それに、これはチャンスだった。孤立が増えている櫛田を刺すのにはまたとない機会だった。
ただの下準備のはずだった。いつでも手を引ける下準備。
下準備は、気づけば明確な感情を持って計画へと変わっていった。
………ある日、私は台所から包丁を取り出して学校へ行った。その包丁は小さな鞄に入れ、更にその鞄を普段使いの、教科書を入れる鞄に入れる。
学校では緊張が止まらなかった。鞄の中を見られることは普通ないけれども、もし見られたらどうしよう、という気持ちでいっぱいだった。
そして、放課後を私はひたすら待っていた。来てほしくない、という気持ちと共に、放課後が来るのを待った。なんとも言えない緊張と弛緩の状態を行ったりきたりしながら。
…全ての授業が終わり、帰りの会が終わると、私はすぐに東門から外に出た。そして、櫛田がいつも通る人気がすくない道へ行く。私はそこで、櫛田が通りかかる道の角を少し遠くから眺めつつ、包丁が入った小さな鞄を取り出してぶら下げ、大きな鞄を地面に起き、身軽な状態にした。
………心の準備、というのは自然にできるものだと思っていたけれど、全然そんなことないようだった。今すぐにでも、組み立てた計画を投げ出したくなる。でも、同時に投げ出したくもなかった。
正直、あの角から櫛田が来ないことを願っている。私は判断をしたくなかった。櫛田が来ないというオチを願っていた。
…そんな願いは、天には届かなかった。角から櫛田がやってきた。私には気づいていないようで、いつも通りの様子で道を歩いている。
私は、ゆっくりと櫛田に近づき始めた。走ってはいけない、焦ってはいけない。振り向かれたらおしまいだ。刺す前に逃げられる可能性がある。普通の通行人のように動かないといけない。
そうやって、櫛田まであと10mといったところだった。櫛田は急にその場に止まった。そして、ゆっくりと振り返ってきた。
当然、目が合った。ピンチだ。
…ピンチだけれど、私は刃物はまだ出していない。最悪の状況ではない。またの機会を待とう。
というか、なんで振り返ってきた?あんな風に止まって振り返るとか、普通やらない。
私も止まって考えていると、櫛田が口を開いた。
「…秋風さん、ですよね?」
弱々しく、どこかおどおどしているような様子で話しかけてくる。あの時の昼休みとは大分違う様子で。
「…そうだけど」
私は突っぱねるように返事をする。
「…こんなタイミングになってしまってすみません。あの時のことについて謝罪させてください」
「…あの時?」
「…その、昼休みに、卒業式のことについて馬鹿にしながら話した…」
「………へ?」
予想外の発言とともに、櫛田は頭を深く下げてきた。ふざけている様子は一切見えない。
「…あなたの親を馬鹿にしてすみません。あなたの前でふざけたことをしてすみません。許されることではないのはわかっています。償いは何でもします」
顔は上げず、謝り出してきた。
…私は、こいつを、本当に刺し殺してやろうかと思った。私は直前まで刺す覚悟ができていなかった。しかし、今では覚悟が決まりつつある。
私が経験した苦しみは、すみませんの一言では済まされない。しかもなぜ今更謝ってくるのか。本当に謝りたいのであれば、すぐに謝るべきなのに。どうせ自己満足のために謝っているに違いない。
…違いないはずだ。…多分、そうに違いない。
「………なんで今更?」
「…もう関わらないほうがいいと最初は考えていました。でも、それは不誠実だと思って…」
「………」
黙った。
沈黙が…流れる。櫛田は頭をずっと下げている。
刺し殺したかった。教えてやりたかった、こいつに、こいつの周りに。
でも、よくよく考えたら、今私は、あの時のお母さんと同じ事をしている。相手は謝っているのに許す気はなく、逆ギレをして、見苦しくも抵抗する。そんなお母さんと同じ事を。謝ったら許されることではないし、すぐに謝らなかった櫛田に非はある。
でも、だからといってこれはない。これは違う。
…それに、あの日から、私はずっと櫛田を見ていた。だからこそわかる。こうやって謝られて私は気づく。
この人は、本当に心の底から謝っていることに。この人のあれ以降、ガラの悪い…言ってしまえば、私の親のことを馬鹿にするような人たちと交流していない。一緒に帰ることもなければ、話すこともないのを知っている。そして、どういう心境の変化か、他人を助けることが多くなっていた。
「…今更?」
「………すみません」
「すみませんじゃない!」
私は…私はどうするべきなのだろう、この櫛田を前に。包丁で刺すべきなのだろうか、許すべきなのだろうか。
櫛田は、少なくとも反省しているし、償いはなんであろうとするつもりに見える。そんな人を、私は刺すべきなのだろうか?
あの日からずっと、私の苦しみを、刺されるという意味を教えてやろうと必死に計画を立てていた。しかし、櫛田はもうその意味を知っているようだ。体験したことはなくても、必死に理解しようとしてくれたのだろう。そして、謝ってきた。
…今更、櫛田を許すことはできない。でも、刺すこともできない。
「自分にできることなら、なんだって償いはします…」
「………なんだよ!なんで…」
私はもうほとんど、勢いと微かに残った復讐心で責めている。なんとか彼を責めようとしている。
…私は今、正しいことをしているのだろうか?これは、本当に、卒業式の母と同じなのではないだろうか?
「………」
「………くそっ…くそ…」
気づけば、水滴で地面はポツポツと濡れ始めていた。多分、今鏡を見たら、情けない顔が写っているに違いない。
「…教えて」
「………」
「…誰が悪いの?」
惨めな顔を櫛田に見せながら問いかける。
私自身、何を言っているのかわからなかった。
「…自分が悪いんです」
「………私が悪いんだよ!」
私は、叫びながら櫛田の顔を力の限り殴りつけた。
***
私が事を起こしてから1週間が経つ。まだ警察は私のところに来ていない。
そして、櫛田はあれから学校に来ていない。私と会いたくないのか、気まずいのかはわからないけれど。
櫛田がいなくても、この昼休みの教室内は騒がしかった。彼の話をする人は誰もいない。かつて彼と交流があった人も、そうでない人も。櫛田なんて人は元からいなかったかのように。
私からお父さんがいなくなった時は、しばらく寂しかった記憶がある。身近な人が消えることについて、あの時知った。
しかし、櫛田は違う。どうせ戻って来る、と思っている人が大半なのか、誰一人寂しそうにしていない。私のお父さんは、どうせ戻って来ると思って戻ってこなかった。どうせ…と、思っていた時も寂しかった記憶があるのに。
…そもそも、彼にはもう、というより元から居なくなっても気にしてくれる人は学校に居ないのではないのだろうか。
「………あれ?」
教室内の騒音は、なぜかピタッとやんだ。何事かと思って周りを見ると、顔にギプスをつけて、肌が全然見えない人が教室に入ってきていた。
その人は、みんなの視線を一身に浴びながら、1つの席に向かって歩き、席についた。
そこは、櫛田の席だった。
誰も彼に近づかない。話しかけることもない。そして、触れがたい何かのようなものを彼から感じ取ったのか、みんなは見なかったことにして再び騒がしくしていった。
そして彼は、私のことを全く見ようとしない。
「…あの、櫛田さん」
気づけば私は、櫛田さんの席の前に行き、話しかけていた。
「…なんですか?」
「………すみませんでした」
「…すみませんでした」
お互いに頭を下げた。そして、一言謝った。
それ以上は何も言わなかったし、何もしなかった。
私は席に戻り、次の授業が始まるのを待つ。
私が初めて櫛田さんを殴ったあの昼休み以前から、ずっと抱えていた何かが、絡まった糸がほどけるように消えていった。
刺されるということ 琥珀石 @ooiooiooiooioo
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