ミーツエンジェル

@yoiki

第1話  空島アルマで生きる少年

  風が鳴いていた。

 高く、遠く、果てしない空の上を渡ってゆくその音は、島に生きる者たちにとって“自由”の象徴であると同時に、“絶望”の合図でもあった。


 ここは浮遊島〈アルマ〉。

 かつて天族が暮らした空の大地であり、四百年前の大戦において反抗した地族が連れ去られ、閉じ込められた島でもある。


 辺り一帯には無数の雲が海のように広がり、その上にぽつんと浮かぶ島は、太陽の位置によって表情を変える。朝の光が差すと黄金に輝き、夕暮れには赤銅色に染まり、夜には星々を背に静かに浮かび続ける。美しい。

 だが、どれほど美しい光景であっても、この島で生まれ育った者にとって空は自由ではなく、逃げ場のない壁でしかなかった。


 その島の外れ、小高い草地でひとりの少年が風を受けていた。

 少年の名は――ユーロ。十七歳。


 明るくも暗くもない色の髪を風に揺らしながら、目を細めて空を見上げている。島の地族は、代々ここから出ることを許されず、天族が忘れ去った法によって縛られ続けていた。その息苦しい環境で生きていても、ユーロだけは「外」を見ようとする癖があった。


(空の向こうには……どんな景色があるんだろうな)


 その問いに答えられる者は誰もいない。

 地族には翼がないからだ。天族のように天力の加護を受けた種族ではないため、空を飛ぶ術を持たない。だからこの島は地族にとって牢獄だが、同時に外界を想像するには十分すぎるほどの余白を与えてくれる場所でもあった。


 ユーロは草地に腰を下ろし、遠くの雲海を眺めた。雲は常に流れ、形を変え、同じ瞬間は二度と訪れない。それなのに、島での生活はまるで止まった時間の中にいるように変化がない。


「……今日も風は強いな」


 ぼそりと呟く声を、誰も聞いてはいない。


 島では空の風向きや強さが重要だ。天族の巡回が来るときは、必ず独特の逆風が起こる。天力を羽にまとわせて空を飛ぶ彼らの姿は、地族にとって恐怖の象徴であり続けていた。


 だが、今日はその気配はなかった。

 強い風はただ、季節の変わり目を告げているだけだ。


 ユーロは立ち上がり、村の方向へ歩き始めた。

 村は簡素な木造の家々が並ぶだけの小さな集落で、空気には常に木の匂いと土埃が混じっている。四百年という時間が流れても文明はほとんど発展せず、古い歴史のまま停滞していた。


 しかし、そんな場所でも温かさはあった。


「ユーロ、今日の水汲みはもう終わったのかい?」


 声をかけてきたのは隣家の老婦人だ。

 彼女の背は曲がっているが、瞳だけは若い頃の輝きを保っている。


「ああ、もう済ませたよ。これから畑の手伝いに行くところ」


「ほんとに働き者だねぇ。若い子はみんな空に怯えて外に出ないのに……あんたは本当に勇気があるよ」


 ユーロは苦笑し、肩をすくめた。


「勇気なんかじゃないよ。ただ、空を見てると……なんて言うか、まだ知らないものがたくさんある気がして」


「ふふ、変わった子だねぇ。本当に地族なのかい?」


 冗談めかしたその言葉に、ユーロは少しだけ胸がざわついた。

 この島で自分が“少し違う”と感じたことは一度や二度ではない。


 天族の身体能力は地族よりはるかに高い。だがユーロは、島で生まれ育った誰よりも動きが軽く、反射が鋭く、子どもの頃から「お前は天族の血でも混じってるんじゃないか」と笑われたことがあった。


(天族の血なんて、ありえるわけないのにな……)


 ユーロは空を見上げる。

 雲が晴れ、薄い光が差し込んだ。


 このときだった。

 視界の端で、風とは違う“なにか”が揺れたように感じた。


(……ん?)


 空に、一筋の光が走った。

 白金色の軌跡が、雲の上で弧を描いている。


(まさか……天族……? いや、でも……)


 以前見た巡回の動きとは明らかに違う。もっと自由で、もっと速く、美しい軌跡だった。


 胸がざわつき、足が勝手に動いていた。


「……なんだ、あれ……」


 光はまっすぐ島の方へ向かっている。

 ユーロは村を抜け、島の広場へ駆けた。

 周囲の人々も異変に気づき、怯えたように家の中へ逃げ込む。


「天族が……来るのか?」


「逃げろ!天族はあの戦争の時のままだ!」


「また誰か連れていかれるのか!」


 恐怖の声が広がるなか、ユーロだけが立ち止まらず進んだ。


 やがて、光が島の中心へ降り立った。


 風が渦を巻き、砂埃が舞う。


 その中から姿を現したのは――

 白金の髪を揺らし、同じ色の羽を背に持つ少女だった。


 天族。

 それも、ただの天族ではない。


 その佇まいと羽のきらめき……

 王族だ。


 ユーロは息を呑んだ。

 一方、少女は周囲を見渡し、そしてユーロを見つけた。


 互いの視線が交差する。


 風が止まり、音が消え、ただ二人だけの世界になったかのようだった。


 少女は一歩近づき、柔らかな声で言った。


「――あなた、この島の人ですね?」


 その瞬間、ユーロの人生が大きく動き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る