【エッセイ】育ちは足元に出るってほんと?

るる

第1話

突然だが「美意識は足元すなわち靴に表れる。」そう聞いたことはないだろうか。

消耗の激しい靴にまで気を配れるか、衣類に比べて高価な靴を頻繁に購入できる稼ぎがあるのか。理由は様々だろうが、おおよそそういうことなのかもしれない。


「靴はキレイに履きなさい!」「汚れた靴は自分で洗いなさい!」

私は幼少期から祖母と母に何度も言われた覚えがある。中学生の頃、上靴の踵を踏んづけて歩いている上級生を見て、大きな衝撃を受けたことを数十年経った今でも覚えている。それほど、私にとっては靴を大切に扱うことが自然な生活の一部だったのだろう。実際のところは、靴を故意に汚すと祖母と母から酷く怒られる、そういう家庭だった。


当時の私は靴一つでニンゲンの心情や経済力を測れると思っていなかった。そりゃスパイクを履いていれば、(スポーツマンなのかな?)とは想像がつく。大きくブランドのロゴが入っていれば、(百貨店で靴を買うなんてすげえ!)とその程度のものだった。靴からの情報としては、ただそれだけ。そう思っていた。でも30数年(年齢は非公開です笑)生きてきて、気づいてしまったのだ。


「足元を見れば、その人となりが分かる。」ということに。


私のことをバカだと思ってくれて構わない。私自身そう笑っている。先人たちが口を揃えて言うことを何も知らない若造が否定し続けた結果、私が間違っていたのだから。


街に出て、他人の靴を見てみよう。踵が異常にすり減った靴、歩きにくそうなピカピカのピンヒール、ぺたんこのパンプス、新作のスニーカー。一人一人顔や体格が違うように靴にもオンリーワン要素が追加されていき、唯一無二の靴になっていくわけだ。


そしてオンリーワン要素を付け足していくのは、靴の持ち主ただ1人である。


踵がすり減っている人は、踵を擦って歩く。パッと見て気づくほどくたびれた靴を買い替えていないそういうニンゲンなのだ。もちろん買い替えない理由は色々あるのだろう。仕事があまりにも忙しくて買いにいけないのかもしれないし、長距離歩行を見越して履き慣れた靴を選んだのかもしれない。はたまたただ、ファッションに興味が薄い人なのかも…。考え得る理由を挙げたらキリがないが、ボロボロの靴一つにも物語がある。


かく言う私も今、ボロボロの靴を履いている。なぜ履き続けているかの言うと、履き心地が良いということもあるが、シンプルに金欠である。情けない理由で申し訳ない。


私はここ数年、同じブランドの同じ靴を1年に一回購入し、ほぼ毎日はいえちる。読者が話私の靴に興味があるか甚だ疑問であるが、気に入っているので公開してしまおう。オニツカタイガーのメキシコというスニーカー(黒)だ。歩きやすい、軽い、どんな服装にも合うのでおすすめである。


さて先ほど金欠だと話したが、最近何かとお金がかかる。物価高騰が憎らしい。週一回、家族にこっそり食べている板チョコレートはなんと280円もする。ましては私は専業主婦なのだ。月2万円、夫からお小遣いをいただいている。1ヶ月2万円の予算からスポーツクラブ代、美容代(コスメや美容医療)、家族へのプレゼント、交際費などであっという間に手元にお金がなくなる。

ちなみに専業主婦でいる理由は、主に子どもと夫の強い希望だ。正直私は働きたい。が、一人娘が小学校高学年になるまでは、このまま過ごすつもりだ。(もちろん変更は大アリ)


まあそんな理由で金欠(お小遣い不足)なので、一足1万7,000円ほどの靴を気軽に買えないのだ。いや、生活必需品なのだから夫の口座と紐づいている『家族カード』を使うべきなのではないか?とも思うが、なかなか遠慮してしまい購入できていない。


実はまだ2つ理由がある。理由1つ目、私は同じ靴が欲しいのだが、できれば実店舗で試着したいのだ。でもそれが叶っていない。インバウンド需要というのだろうか。店舗内が外国人だらけでスタッフさんが私の対応をする暇がないのだ。確かに平日の昼間、特にオシャレをしておらず、くたびれた靴に高級ブランドバッグを下げていない私では購入を見込めない。これは私の責任である。ブランドもスタッフさんも全く悪くない。


靴の購入を渋っている理由2つ目、私は引きこもりニートなのである。多少くたびれた靴でも外に出る機会が少ないので、まあいいか。となるのだ。


靴にも物語があるというのが少しでも伝わっただろうか。x(旧Twitter)での定型分を使うと「伝われ!!!!!」といったところか。


最近の私は電車に乗ると、目の前の靴を履いているニンゲンについて妄想する。ピカピカのピンヒールを見れば、仕事をこなす才能と豊かな経済力に嫉妬する。また真新しいスニーカーを見たら、今後この靴は持ち主とどんな冒険を歩むんだろうと考える。私のようにボロボロの靴を見るとどことなく親近感が湧き「お疲れ様。毎日頑張っていて素晴らしいです。」とテレパシーを送っている。(実際に送れているのかは不明)


さて、私の祖母と母が「靴を大切にしろ。」「型を崩さず履きなさい。」と頭が痛くなるほど注意してきたのはこういうことだったのか。なるほどな、と最近思った。


祖母と母は、私に『上品で苦労を知らない、毎日送迎がついているような、育ちがよい娘』でいてほしかったという本音があったのかもしれない。


最後に、ニンゲンの美意識や生活習慣、心情は足元に顕著に表れる。というこどだ。


ああ、犬が羨ましい。

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