ある晴れた日に

maga

ある晴れた日に



⽇は燦々さんさんと降り注ぎ、草原の草をそよがせながら涼しい⾵が吹き抜ける――読書にはもってこいの⽇和だ。


直射⽇光の下での読書は⽬に良くないと聞いたことがあるが、幸いこのソファは⼤きな⽊の⽊陰にあつらえてある。

俺は夢中で本を――なんとかフスキーの書いた本だ――読んでいた。いや、読んでいたというより、数えていたのだが――


「娘に会わせて下さい」


そう声を掛けられて顔を上げると、眼鏡をかけた男がうつろな⽬で俺を⾒ていた。


また――あんたかよ。


読書を邪魔されたことに若⼲の苛⽴ちを覚えながら、俺は男にそう⾔った。


⾒慣れぬ顔――と⾔えるほど知らない顔ではない。

⾒飽きた顔――と⾔えるほど知ってる顔でもない。


俺は溜息をきながら本をサイドテーブルに置いて、代わりに砂鉄を詰めた小さな⿊い⾰筒かわづつ――ブラックジャックを⼿にとった。重い。なにより気が重い。

ええと、あのな、お前の娘はここには――


「娘に会わせてください」


そう⾔いながら男が急に近づいたものだから、俺は思わず男の脇腹を殴打した。

妙な⾳と声をあげながら、男はその場に膝を付く。


わ、悪い。いやだって、急に来るもんだから、びっくりして――

「む…娘に…会わせて…くださ」

俺の弁解は聞こえていないのか、男は⾺⿅みたいに繰り返した。

俺の溜息は⼀段と深くなる。ここに墜ちて来たから馬鹿になったのか、向こうにいた時から馬鹿だったのか。


だから、ここには居ないんだって。居ないのに会えるわけがねえだろ。


「や、約束が違う…ここに来れば…会わせてくれると…」


あのなあ――

聞き分けのない⼦供に⾔い聞かせるように俺は⾔う。

そんなの⾔葉のあやだよ、会えるかもな、くらいの意味でさ、まあ、ああ⾔われたけど会えないだろな、って察してくれよ、頼むから。ここまで来ちまったからにはおまえ――



あんたの娘が、また話さないといけないだろが。



這いつくばっていた男は、俺の⾔葉を聞いてがばりと⾝を起こした。

意外と動けるじゃないか。


「嫌です」


男は叫ぶようにそう⾔った。


「もう――もうあの話は聞きたくな」


聞きたくない、と⾔いたかったんだろうが、「な」のところで俺のブラックジャックが男の顔を横薙ぎにした。遠くに眼鏡と⽩いのが⾶んでったが――あれ、⻭かな。


なぁんで聞く聞かないの⾃由があるって思うのかねえ、⾃由なんかねえよ、学習しろ。


読書を邪魔されたのと、男の聞き分けのなさと、仕事が増えたことと――

俺の苛つきは層を成していた。⾃然と⾔葉が荒くなるが、俺のせいじゃない。


ざらついた気分のまま、俺はうう、だかぐう、だか呻いている男の前にしゃがみ込んだ。


風は、相変わらず爽やかなまま吹き抜けていく。



Multipedia


事件の⼀覧―⽇本で起きた殺⼈事件の⼀覧―床⼭沢無差別殺傷事件


○床山沢無差別殺傷事件(とこやまざわむさべつさっしょうじけん)


床山沢無差別殺傷事件とは、1996年5月23日、床山沢駅に停車中の東山道新幹線車内で発生した無差別刺傷事件である。

当時17歳の少年Aが、乗客であった当時16歳の少女を殺害、4名に重軽傷を負わせた。少年Aはその場で取り押さえられ、殺人・殺人未遂などの容疑で逮捕された。


少年Aは取り調べに対し

「刑務所に入りたかった。1人までなら死刑にはならないと思った」

と供述し、その動機の特異性から社会に大きな衝撃を与えた。



しゃがみ込んだまま、俺は男に話を聞かせてやる。


もう、何回も何回も話した内容だ。

下校途中だったこいつの娘が複数の男に拉致され――事件が発覚するまでの7日間に何をされたのかを詳細に、克明に話して聞かせる。


男が⼤声を上げて邪魔するので、喋れなくなるまでブラックジャックを振るう⽻⽬になった。⽿を塞ごうとするので肘を、逃げ出そうとするので膝を砕く⼿間もかかった。

そよそよと吹き抜ける風が、自由そうでうらやましい。


話のクライマックス――

⼩分けにされた娘が「餌」に混ぜられたあたりで、男は妙な⾳と共に嘔吐おうとしたようだった。


勘弁してくれ、清掃係に嫌みを⾔われるのは俺なんだぞ。


腹いせに男のこめかみ辺りに⼀発くれてやると、男はそれきり動かなくなった。

この一発は――業務外になるのかな。まあ、はたから⾒たら判らんだろ。


立ち上がって背伸びをすると、俺は青空を見上げて独りちた。


――どの辺から、見てんのかねえ。



――裁判中、少年Aは裁判官の制⽌にも拘わらず遺族を挑発する⾔動を繰り返し、「刑務所に⼊るために必要だった」「⾃分の人生を良くする役⽬を与えてやったのだから、遺族には感謝して欲しい」などと述べたという。


(中略)



しばらくの間登ってこられないように、念⼊りに潰しておいた。

相変わらず妙な声で呻くので気⾊が悪いが、こっちだって気持ち悪いんだからお互い様だ。

⼿が汚れるのがなんとなく嫌だったので、⾜でこう、なんというか、少しずつ押しながら移動させた。疲れる。次は自分で歩かせよう。


やっとそこまで辿り着くと、俺は男を深いふちに蹴り落とした。ブラックジャックをどうしようか迷ったが――結局淵に放り込んでおいた。次も使うかもしれないが――それまで⼤事に取っておくほどのものでもない。


ようやくソファに腰を下ろすと、俺は嫌々電話を掛ける。案の定、清掃係から散々嫌みを⾔われた。前もってビニールシートを敷けだのなんだの――そんな⾯倒な事するわけねえだろ。


すいません、ええ、次は気を付けます――


全パターンの謝罪の⾔葉を並べて、俺はようやく電話を切ることができた。

スマホを放り投げると同時に、着信⾳が鳴り響く――依頼⼈からだ。


ああもう――


今⽇⼀番の、特⼤の溜息を吐いて、俺は通話ボタンをタップした。


はい――ああ、やっといたよ、見てたろ。まあ、また登ってくるだろうが――しばらく先だろな。ああ、道中の様⼦は別の班が撮影してるから――

え?いやリアクションはそんな変わらんだろ、何百回もやってんだから――


いや、あのな、そもそもあいつの娘の話、ありゃあんたが設定した話だろ。実際にあいつの娘さんがあんな⽬に遭ったわけじゃ――うん、まあ、苦しんではいたけどな、たしかに後半は聞いてなかったみたいだ、壊れてたしなぁ――


じゃ、次はどうすりゃ――うん?うん――耐えたらかみさんと娘を助けるって?

うん――いや耐えさせる気ねえだろそれ、ああ、⽖先の⽅から?まあ、それなら少しは耐えるかな、どうせ途中で根を上げるだろうけど――わかったよ、じゃ、道具の⼿配は任せるよ。


ああ、調達班に依頼する時な、説明書忘れんなって⾔っといてくれ。こないだの電動のヤツなんか、多機能すぎてうまく使えなかったぞ。おかげでこっちは――



少年Aには懲役13年の実刑判決が言い渡され、刑務所に収容された。


(中略)


事件から2年後の1998年、被害者遺族のうち1名が事件を苦にして自死した。


(中略)


少年Aは2008年に刑期を満了し出所した。出所後は妻子と共に◯◯県内で暮らしていたが、詳細な生活状況は公表されていない。



スマホを投げ捨てると、俺はソファの上に勢いよく寝っ転がった。

疲れたなあ――誰に聞かせるでもなく、⾃然にそんな⾔葉が出る。


こんなのをあと五こうも続けなきゃならないと思うと気が滅⼊るが――しょうがねえわな、と呟いて俺は再び本を⼿に取った。


なんとかフスキー――作者の名前だけは覚えられないままだ――が書いたこの本は、何度も何度も読んだせいで内容を全部暗記してしまった。仕⽅ないので、本の中で使われている⽂字を並べ替えて別の話を作る遊びをしていたのだが――


もう少しで⽢酸っぱいラブストーリーができそうだったのによぉ、どこまで⽂字を数えたか判んなくなっちゃったよ――


抜けるような⻘空の下――


草原の空気を孕んだ薫⾵くんぷうが、優しく俺の頬を撫でていった。



読徳新聞

(全国版・2025.10.2付け社会⾯より抜粋)


昨⽇未明、○○県の県道○号線で「男性が道路に倒れている」との通報があり警察がかけつけたところ、会社員■■■■さん(四六)が倒れているのを発⾒、搬送先の病院で死亡が確認された。■■さんは帰宅途中であったとみられ、警察はひき逃げ事件として捜査を開始しており――


(了)

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ある晴れた日に maga @gajagaja

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