第5話 姫騎士と、自然公園デート!

 そう思った時、廊下に拍手の音が響いた。


「いやぁ、見事だったわねぇ。オーギュストのお嬢さん」


 振り返ると、今の騒ぎを見ていたらしい女子が、テレサに向かって拍手をしていた。

 この人、見た事あるぞ? 周囲の生徒たちが口々に呟く。


「生徒会長……」

「御剣生徒会長だ」


 その一言で、学校行事には熱心ではない俺も思い出した。

 美剣彩夏。一学年上の三年生にして、この滝野川学園の生徒会長。


 ツリ目で気が強そうな、日本人形の様に整った顔を、腰まで伸びた漆黒の長髪で覆っている。

 美しき生徒会長は、前髪を右の人さし指にクルクル巻き付けて弄びながら、どこか楽しそうに言った。


「この子たちの揉め事は、生徒会も把握していたのよ。あまりイジメが悪質になる様なら、介入しなくちゃと思っていたけど。オーギュストのお嬢さんが上手く解決してくれた様ね」


 オーギュストって、テレサの姓か。何気なく横目でテレサを見やった俺は、彼女が殺気を全身に漲らせていたのでギョッとした。


「貴様……」


 じりり、と体勢を低くし、身構えながらテレサは彩夏に尋ねる。


「人間か?」

「私が人間か、ですって? オーギュストのお嬢さんは、面白い事を言うのね」

「我が家名を、何故、知っている」

「生徒会長ですもの。転校してくる生徒の事は、一通り調べるわ」


 相変わらず、前髪を右の人さし指にクルクル巻き付けながら、彩夏は言った。


「敵を見誤るものではないわよ。オーギュストの娘さん」


 彩夏に今にも飛び掛かろうとするテレサに、俺は慌てて言った。


「テレサさん、どうしたんだよ」

「私の精霊が、ざわめいている。あの生徒会長は、只者ではないと……」


 それを聞き、俺は生徒会長の方を振り向いた。

 そんなに警戒しなきゃならない様な人だろうか? むしろ育ちのよさそうな、おっとりした空気を纏っているのだが。


「とにかくテレサは転校してきて、この学校でやって行くんだろ。生徒会長さんに、変な事を言うもんじゃないぜ」


 そう言うと、テレサは渋々、彩夏に頭を下げた。


「申し訳ない。慣れぬ土地で少し動揺した様だ」

「いいのよ。全然、気にしていないわ。オーギュストのお嬢さん。彼女を助けてあげてね。新藤直人くん」


 彩夏にフルネームを呼ばれて、俺はギョッ、とした。

 この人、ろくに会った事もない俺の名前を知っているのか。


 戸惑う俺に向かい、彩夏は涼し気な微笑みを浮かべたまま、言葉を続ける。


「そう言えばあなた、中学の時はサッカーで関東大会まで行ったんですってね。どうして高校では止めてしまったの?」


 触れて欲しくない過去を語られ、俺は身を固くした。テレサがこの人を警戒するのも、何かわかる様な気がした。

 返答に窮している俺には構わず、彩夏はテレサに言う。


「誤解しないでね。私は貴女の味方よ。なにか困ったことがあったら、いつでも生徒会室を訪ねて来てね」


 それだけ言い残すと、日光をも吸収してしまいそうな漆黒の長髪をなびかせて、彩夏は廊下の奥へと歩み去って行った。

「なんか、いろいろある一日だな……」


 テレサに斬りつけられた上に、女子の揉め事の仲裁。

 今までろくに話した事もない生徒会長との遭遇。

 テレサといると、色々な事が起きるなぁ、と俺は思った。


「近くに、森と水がある所?」


 その日の放課後。

 帰り支度をしていた俺は、テレサに尋ねられて戸惑った。


「そんなの女子連中に聞けよ……あれ?」


 テレサを囲んでいた女子生徒たちは、潮が引く様に、いなくなっていた。


「みんな、部活というのに行ってしまった」


 なんだよ、また俺に押し付けられたのかよ。そう思っていると、テレサが尋ねてきた。


「ナオト、お主は部活というものに行かないのか?」


 その言葉を聞き、胸に苦い思いがこみ上げる。

 先ほどの、御剣生徒会長の言葉も脳裏に蘇った。


『そう言えばあなた、中学の時はサッカーで関東大会まで行ったんですってね。どうして高校では止めてしまったの?』


 今日はいやに昔の古傷を抉られるな……。そう思ったが、テレサには関係のない事だ。

 何気ない風を装って、俺は答えた。


「俺は帰宅部だからね。テレサさんこそ、部活とか見学しなくていいの?」

「部活の案内は、後日あるそうだ。今日は緑と水が豊富で、静かに精神集中が出来る所に行きたい」


 なんだか修行僧みたいな事を言うなと思い、少し考えてから俺は答えた。


「名主の滝公園かな。学校から近いし」


 その言葉に、テレサは目を丸くした。


「滝があるのか? こんな町の中に?」

「町の名前が、滝野川というくらいだからね。かつては王子七滝と言われる滝があったんだ。名主の滝は、その中で残っている唯一の滝さ」     

「ほう、よくわからぬが、ここは凄い町なのだな」

「で、森と水がある場所で、何をしたいんだい?」

「精霊と対話をしたい」


 精霊って、さっき日美香と由莉の揉め事を収めた時に、テレサが出した、青く光るこびとか? 

 なんだか一気に異世界っぽい話になって来たぞ。好奇心が刺激される。


「森と水のある所に、精霊がいるの?」

「見た方が早い。案内してくれれば、君にも見せる」

「わかった。早くしないと暗くなるな。急ごう」


 俺たちは学校を出て、名主の滝公園へと向かう事にした。

 その前にテレサは職員室に寄って、先生から魔剣ランホイザーを返却してもらった。


「もう明日から、学校には持ってこないでね。それと町なかでは絶対、剣を鞘から抜いちゃダメですからね」


 先生に「新藤くんも、しっかりテレサさんを見張っていてね」と言われる。

 いつから俺は、彼女のお目付け役になったんだ。


 職員室を出た俺たちは、昇降口で上履きから靴に履き替え、校門を出る。

 石神井川の方へと歩き、滝野川から王子駅への坂を下って行く。

 その横の車道を、乗用車がビュンビュンと走り抜けて行った。


「テレサさん。自動車は珍しくないの? 君の世界には無いんだろう?」

「学校に転入する前に、一週間、こちらの世界にある施設で研修を受け、様々な事を学んだのだ。今さら自動車くらいでは驚かんぞ」


 その時、低く重い巨獣の咆哮の様な駆動音を響かせて、路面電車が自動車の間をすり抜けて走って行った。それを見て、テレサは驚いた。


「ナオト! この国の鉄道は、決められた軌道の上を走るのではないか? あれでは自動車に激突してしまうぞ!」

「あぁ、都電さくらトラムね。路面電車自体が、もう、この国でも珍しいからね」


 かつては東京の交通を支えた路面電車だが、今は自動車の普及や地下鉄の発達により姿を消しており、ここ王子を含めた三ノ輪橋~早稲田間が、最後の運行区間だった。つまりここは、都電が車道を走るのを見られる、珍しい町なのだ。


「そうか、私は貴重な町に留学したのだなぁ……」


 自動車と並走して坂を下っていく都電を見ながら、テレサは呟いた。

 やがてJR王子駅の前に出ると、都会の喧騒の中に、突然、緑に包まれた渓流が出現した。

 音無親水公園。

 この手前で地下の暗渠に潜る石神井川の、かつての姿を再現した人工の渓流だ。


「人の力で、ここまで自然を再現したのか。精霊の気配すら、かすかに感じる」


 テレサの驚きを受けて、俺は得意げに言った。


「これから行く所は、もっと凄いぜ」


 その後、桜並木の間を抜けると、突然、テレサが目を輝かせた。


「ほう、こちらの世界にも城があるのか?」


 彼女が指さしたのは、お城っぽいデザインをした、駅前のラブホテルだった。周囲の視線が集まるのを感じながら、俺はテレサの手を取って、その場から駆け出した。


「ナオト、なぜ急ぐ。あの城は、この辺りの領主のものか?」


 お願いだから、黙ってくれ! と俺は思った。俺たち、滝野川高校の制服を着てるんだから!

 そのまま京浜東北線の線路沿いを、十分ほど北へ歩くと、目の前に鬱蒼とした森が現れた。


「ここが、名主の滝公園だよ」


 住宅街の中に広がる緑のオアシス。百本以上の木々が植えられ、滝から水が流れ落ちる自然庭園。それが王子の名所、名主の滝公園だった。


 入り口である薬医門を入ってすぐに、大きな池がある。

 公園奥の森にある四つの滝から、水が流れ込む池だ。

 俺たちは小川に沿って、水源のある森へと遊歩道を歩いて行った。


「うむ、ここだ。ここがよい」


 森の中にある滝、男滝から流れ出て来る小川にぶち当たると、遊歩道を歩いて来たテレサは足を止めた。

 ひょい、と岸辺へ飛び降りるテレサを見て、俺は慌てた。


「おい、何やってんだよ。危ないぞ」


 幾ら浅瀬とはいえ、岩がゴツゴツしてるし、滑らないとも限らない。心配する俺をよそに、テレサは流れを見て、満足した様に呟いた。


「大したものだ。人工の流れなのに精霊がいる。いかも、かなり生きが良い。それだけ、ここは自然に近いのだな」


 そう言うとテレサは、ブーツを脱いで清流に裸足を浸した。


「あっ……」


 透き通るような白い肌を眩しく感じ、思わず目を逸らす俺の前で。テレサは魔剣ランホイザーを鞘から抜いた。


「ちょっとテレサさん、先生が町なかでは剣を抜くな、って言ってたでしょ」

「ここは、町なかではあるまい」


 それって屁理屈なんじゃ……と思う俺の前で、テレサは手にした魔剣ランホイザーをクルクルと回しながら、舞う様に、ゆっくりと体を動かし始めた。

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